ある老師の話3

キリスト教には謙遜の徳という概念があると聞く。

ことに聖母マリアがその徳を恵んでくださると聞く。

「謙遜の徳と申しますが」

と私は神父に聞いた。

「馬鹿で、無能で、病や障害を抱えていて、人から見下されたり、ものごとが何もうまくいかなくて馬鹿にされたり怒られたり、強烈な無能感に苛まれる時に謙遜などできるでしょうか?そんな時は自らも怒り、悲鳴を上げて押し潰されるのに逆らうしかできないのではないでしょうか」

神父と我々は店を探して東梅田を歩いている。

神父は言った。

「人間てどうしようもないところがあるやん。たとえばどうしても苦手な人とか嫌なことに遭ったら嫌やなとか思うやん」

「はい」

「そんな嫌な心とか嫌な部分が自分にもあると、自分で忘れずにいる。それが謙遜でいいんちゃうかな」

空谷子しるす