ある老師の話2

「上智大学におった時な」

と、箕面のおっさんは大学生のころの話をパンを手で割きながら言うのだ。

「ネメシェギいうハンガリー人の神父がいたんよ。おもろいおっさんでな。試験は口頭なんやけど、なにゆうても『素晴らしいですね』ゆうて合格にしてくれるねん。ありがたかったで」

神父が案内してくれたシチリア料理の店はちいさな面積であったが、肉も魚もうまいうえに照明がほんのりと明るいので和やかな雰囲気であった。

「ソビエト動乱のときにハンガリーから亡命した人でな」

そう言いながら運ばれてきた白身魚の焼き物に神父はナイフを入れる。

「カトリックの国は貧乏でめしがうまい。プロテスタントの国は金持ちでめしがまずい」

ひひひ、と笑って神父は魚料理を口に運んだ。少なくともシチリアのめしがうまいのは事実なようだった。

「医療者は忙しいやろ?」

唐突に箕面の神父は問いかけた。我々はうなずいた。

「いろいろなことが重なって、全部はできないと言うことがあるな」

外の通りは森ノ宮であって、日が傾いた青鼠色の澄んだ空気が大阪に染み込んできている。

通りに仕事から帰る月給取りが地下鉄に向かって歩いている。自転車も通る。女も男も通る。いつもの大阪の夕暮れがやってきて、通り過ぎていく。

「神父も二つのことは同時にできんでな」

神父はいつも大きく表情を変えぬ。

大阪のおっちゃんであり、神父であり、教誨師であり、教師である。

笑顔を見せても、まじめであっても、彼は求めるべき軸を見ていて、大きく変わらないように見える。

神父も人間であるから、さまざまなことを選んできたのであるらしかった。

「どうしても別のことまでできんときはナ」

と神父は言った。

「『痛みをもって、ことわりなさい』とネメシェギ先生は言うたんよ。『痛みをもってことわりなさい』」

痛みをもってことわりなさい、痛みをもってと神父は繰り返した。

シチリア産の赤ワインは澄んで酸い味がする。

「な」

と神父は言った。

「いい店やろ」

我々はうなずいた。

空谷子しるす