龍膽寺雄「焼夷弾を浴びたシャボテン」平凡社

褒められぬ。

人から求められぬということはつらいことである。

子供じみた悩みといえばそうだが、人間はすべからく子供じみていることは八十、九十歳の人々を見れば容易に気がつくことだ。

自力でなんとかするというのは虚構である。

虚構であることを若いうちは思わぬから、歳をとったあとに余計に子供じみてくる。

歳をとってから、死ぬ直前に、自力が虚構であることに気づくよりは、若いうちから己の無能に苦しむほうがましである。

己の無能に悩むことは、生まれてからずっと続く生き地獄である。

己の無能によって、まわりに理解されることは無理である。まわりに求められることも無理である。まわりは己の無能を憎み卑しむ。だから己をまわりから自ら截断し、閉じこもり、あほになる。

龍膽寺雄は戦前戦後の作家である。

塗炭の闇のなかにあってサボテンのことばかり考えていた作家である。

文章がうまい。

「仕事という仕事は、––小説書きでも、学問や研究でも、金儲けでも、人間臭さの中でおこなわれる。このようにして世に生きて、自分がはき出すハナ持ちならぬ臭気に自分で背を向けたいからこそ、ひとり静かに植物の一と鉢もいじってみたくなるのだろう」(空想独楽)

大変前向きだ。世間をうっちゃってサボテンを育てることほど前向きなことがあるだろうか!

怠け者の堕落と前向きな行動とは紙一重である。

自力が虚構であることを知るものは道楽に走る。

道楽に真摯になれば道に至る。

道に至れば人間は満足である。

修羅は絶滅せよ。龍膽寺雄に誉れあれ。

道楽を邪魔する魔障は調伏されよ。

空谷子しるす