その方は緑膿菌肺炎であった。
若い時はタバコを吸っており、COPDと気管支拡張症が基礎疾患にあった。
朝、訪床すると、ぜいぜいいいながら寝台に腰掛けておられることがしばしばであった。
「話してると楽になるわ」
しばらく対話をしていると、たしかに落ち着くようだった。
「ありがとう」
話を聞くだけで病がよくなるなら安上がりでよいことだ。こちらだって、注射も、採血も、内服の計画もできんろくでなしなのだから、話くらいしかできんのだから、ありがたいことだ。
彼は宮大工であった。
「いままでに、そうやなあ…」
過去を思い出す彼の目は病室の中空を見る。
「大通寺の台所、竹生島の三重塔、石山寺、岩船寺なんか扱ったワ…。」
「それはすごい」
「そうやなあ。ありがたいことや…」
彼の左手の親指は短く変形している。
なにか事故によるのだろうか。
「石山寺でナ、あすこに縁側とか、渡り廊下があるやろ、昼休みにそこで昼寝すんねんな」
天下の昼休みである。
私は石山寺の、木漏れ日のなかで昼寝する男たちを想像した。
それは天下一の昼寝に違いなかった。
「趣味のないもんには、しかたないけどナ…」
彼は馬場秋星の「浅井三代小谷城物語」という本(絶版のようだ)を読んでいた。
「浅井の墓には行った?」
彼はそう尋ねたが、私は残念ながらまだ参らない。
「小谷山も、いろいろ面白いんよ」
彼はさまざまな寺の話をしてくれた。
岐阜、京都、近江、奈良…彼は休みのたびに寺に詣で、家族、こどもらを観光に連れ出し、みずからは寺をじっくりと見ていたようなのだ。
「大工仕事が平日、忙しいからゆうて」
と彼は苦笑した。
「こどもらは休みの日はオトウチャンに遊びに連れて行ってもらおうと思ってるしナ。家で寝てばかりいるわけにはいかへんナ。家族サービスせんとな…」
彼の緑膿菌は、抗菌薬によりだんだんとよくなった。しかし酸素の管は、外せぬままだ。
「こんなんなって、なさけないなあ」
酸素がなければ彼の酸素化は確保できず、息がくるしいのだ。
在宅酸素の機械は、大きすぎるというので彼は拒絶した。
「先生…」
「なんですか」
「長命寺は行ったことがある?」
「いえ、まだ…」
「いい寺よ」
彼はそう言ってニカッと笑った。
「いっぺん行ってみ」
長命寺は近江八幡にある古刹だ。
日本第一の長命で有名な、武内宿禰ゆかりの寺なのだ。
私は母をともない、長命寺へ登った。
よく晴れていた。八百八段を登り切ると、小さな涅槃のような境外の地が待っている。
私は境内のロハ台に座り、大きな本堂をつくづくと眺めた。
俗世には要求が山ほどある。
その切実な要求を「救う」寺が長命寺である。
それはつまり、俗世のどんな悩みも、仏の前にお願いしてよい寺ということだ。
仏門は超俗のものゆえ、欲から離れよなどとは言わぬお寺ということだ。
自分は、そうした古刹を、数少ないがいくつか知っている。
多くの人が、そうした寺に、かそけき切実な思いを抱えて石段を登ってくる…。
静かな山のなかに梵鐘が低く遠く響いている。
宮大工の彼は、この本堂をどう見たのであったろうか。
休みごとに寺に参じ、祈りをささげた彼は、なおらぬ肺の病と共に生きている。
やまいとはなんであろうか。
私は、短絡的には考えぬ。
私は、祈ることをあらゆる意味と段階において諦めることはない。
空谷子しるす