男と女とオーマイガ−

5歳娘と

娘:どうして男はおしっこの時、ちんちん拭かなくていいの?
父:うーん・・そういう形やもんなあ・・・
娘:どうして男と女は違うの?
父:うーん・・・
娘:どうして男の子にはおちんちんがあるの?
父:うーん・・・おちんちがあるから男の子なのかなあ・・・うーむ・・
娘:女の子にはおっぱいあるよ?赤ちゃんができたらおっきくなるんだよ
娘:先生に「みんな女の子なのにはたおり上手だね~」って言われたの
父:・・・・
娘:先生に「みんな女の子なのにはたおり上手だね~」って言われたの
父:それでどう思ったの?
娘:オーマイガ-!ってなった
父:・・・・・・そう言われて嫌だった?
娘:嫌じゃないよ

素寒

龍膽寺雄「焼夷弾を浴びたシャボテン」平凡社

褒められぬ。

人から求められぬということはつらいことである。

子供じみた悩みといえばそうだが、人間はすべからく子供じみていることは八十、九十歳の人々を見れば容易に気がつくことだ。

自力でなんとかするというのは虚構である。

虚構であることを若いうちは思わぬから、歳をとったあとに余計に子供じみてくる。

歳をとってから、死ぬ直前に、自力が虚構であることに気づくよりは、若いうちから己の無能に苦しむほうがましである。

己の無能に悩むことは、生まれてからずっと続く生き地獄である。

己の無能によって、まわりに理解されることは無理である。まわりに求められることも無理である。まわりは己の無能を憎み卑しむ。だから己をまわりから自ら截断し、閉じこもり、あほになる。

龍膽寺雄は戦前戦後の作家である。

塗炭の闇のなかにあってサボテンのことばかり考えていた作家である。

文章がうまい。

「仕事という仕事は、––小説書きでも、学問や研究でも、金儲けでも、人間臭さの中でおこなわれる。このようにして世に生きて、自分がはき出すハナ持ちならぬ臭気に自分で背を向けたいからこそ、ひとり静かに植物の一と鉢もいじってみたくなるのだろう」(空想独楽)

大変前向きだ。世間をうっちゃってサボテンを育てることほど前向きなことがあるだろうか!

怠け者の堕落と前向きな行動とは紙一重である。

自力が虚構であることを知るものは道楽に走る。

道楽に真摯になれば道に至る。

道に至れば人間は満足である。

修羅は絶滅せよ。龍膽寺雄に誉れあれ。

道楽を邪魔する魔障は調伏されよ。

空谷子しるす

映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』

 映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観た。

 他者をどう考えるかという問いに対して、三島は「私の大嫌いなサルトル」という言い方をして『存在と無』から最も猥褻なのものは縛られた女の肉体であるという文言を引用し、エロティシズムと暴力の必要性について語っている。ここでいう他者というのは、双数関係にある他者ではなく、大いなる他者であろう。それを三島は天皇という。

 他人を物のように扱うことの誠実さは他人の中に自分を見出さない、他者は自己の鏡ではない、という切断的態度の内にある。サディズムは自分と似た他者を切断する行為によって虚無を回避し大いなる他者を現出させようという涙ぐましい努力である。三島は映画の中でも言っているように、その他者は天皇である必要はなかった。本来的になんでもよいが、卒業式で時計をもらったときの天皇はとてもご立派だった、そういう個人的恩顧が三島にはあった。

 三島の学生への問題提起は、物と持続についてであった。机は本来の使用用途とは別の扱いを受けることがある。たとえばバリケードのように。究極的には何者でもないことは可能なのか、という問いである。革命が本来の使用用途や存在様式から離れることであるとして、それを持続させることは原理的に可能なのか、ということである。成功するかどうかは問題ではないと言ったときに無自覚であるのはどういった点か。それは何者でもないということは不可能であるということだろう。常にすでに、人は何者かになってしまっている。同時に物はある眼差しの中でそれが本来的とよび得るか非本来的とよび得る在り方かどうかによらず何物かであってしまっている。

 学生たちが他者と思しい権力と対峙するなかで、三島の問題意識は他者がいないこと、大いなる他者が不在であるということにあった。だから三島の学生に対する問いは、転覆した先の他者をどう担保するのか、ということでもあっただろう。というより、他者は大なり小なりおらずにはおれないものではあるが、君たちのそれは私が天皇と名指すものに匹敵し得るものなのか、どうなのかということだろう。大澤真幸は『三島由紀夫 ふたつの謎』の中で三島の原点、出発点に「一の内的不可能性」があったということを書いている。少し引用する。

 こんなふうに問いを立ててみよう。もし究極の真実が『豊饒の海』の結末が示唆しているように、容赦のない虚無であるならば、つまり「0(ゼロ)」であるならば、どうして何かが、世界が存在するのか。

 究極の真実は、虚無、つまり「0」とは異なる何かではないか。見まちがうほどによく似てはいるが、「0」とは異なる何かではないか。それを、ここでは「一の内的不可能性」と呼んでおこう。…

 私は学生の頃、戯れに0∞システム(ゼロ無限システム)というものを考えたことがあった。虚無であるところの人と無限大であるところの絶対的存在からキリスト的一が析出し得るという信念に基づく体制をそう呼んでみた。0∞=1は可能性の海であるが、それは幻想に過ぎない。このシステムは人が限りなく0か無限大に近づくことで有1であるところの1を体現できるという信念があって初めて駆動するが、実際にはこの1は遡及的にしか見出されない代物であるが故に不可能である。

 0∞=1の地平で闘っても資本主義やキリスト教は乗り越えられないということをおそらく三島は自覚していた。0∞≠1と否を叩きつける存在を三島は強く求め、その存在として天皇を選んだ、ということではないか。

 三島は自我が極端に肥大し風景の隅々にまでそれが侵食したような小説を書く一方で、自我を極度に希釈させてみせるような試みもする、その所作はゼロと無限の間を焦慮に駆られながら気忙しなく振幅しているようにも見える。

 私たちは常にすでに1であり、そこから逃れることはできない。何ものでもない在り方や何ものでもある在り方を求めることはシステムにとっては織り込み済みの行為であり、それこそが資本主義の糧となっている。私は何ものでもないとか、何ものにでもなり得るという態度は、だから態度として至極「合法的」といえる。三島がいう非合法的暴力は0でもなく無限大でもなく0を反転させた形での無限大でもなく無限大を反転させた形での0でもなく、それらのスペクトラムとは全く無関係に有無を言わさず新たに1を穿つ行為のことではなかったか。それが三島の小説においても実際の行動においても成功しているとは思えないが。

 基礎に立ち返ると、1はやはり穿つものではなくすでに穿たれたものとして立ち現れる。あらゆる、多様な1が可能だが、穿つことはできない。それと知らずに1となっている、活動とはそういうものではないか。1を目指すことはできないし、そもそもその目指す行為は意図せずその人を双数関係へと導いてしまう。

 ジジェクは平等と認識される正義は妬みの上に成り立っているという(スラヴォイ・ジジェク『パンデミック2 COVID-19と失われた時』)。能力に応じて働き、必要に応じて受け取る、ということは平等主義とは異なる。問題なのは序列や格差が自由や平等の名の下にうまれていることだろう。三島は持続を問うていた。それは机をバリケードたらしめる行為者への責任を問うことでもある。たとえば、あなたたちはバリケードであると言った場合、その眼差しが持続しないのであれば机は絶えず名指すものの顔色を伺っていなければならなくなる。持続しないこの暴力は三島の言葉を借りれば合法的な暴力ということになるだろうか。織り込み済みの暴力である。ベンヤミンの説いた神話的暴力(法維持的暴力、法措定的暴力)と神的暴力の分類でいうと、機動隊の暴力は法維持的暴力で学生の暴力は法措定的暴力にあたるだろう。三島はそれとは別の神的暴力を発動させたかった、のではないか。

 それは天皇である必要はなかったと三島は言う。私は近所のおじさんでもNPOでもいいと考えている。おじさんだろうがNPOだろうが気づいたら1になっている、ということがあるだろう。 (2021.06.14)

カブトムシ

カブトムシが出ちゃうからお片付けしないとと4歳の長女が言った。

床をはってるところを長女が見つけてベッドの部屋からおもちゃの方に行って見失ってベッドの部屋で発見したところを妻がやっつけたのだそうだ。

怖いね、お片付けしようね、と言った。

(2021.06.13)

患者さんのことなど3

その方は緑膿菌肺炎であった。

若い時はタバコを吸っており、COPDと気管支拡張症が基礎疾患にあった。

朝、訪床すると、ぜいぜいいいながら寝台に腰掛けておられることがしばしばであった。

「話してると楽になるわ」

しばらく対話をしていると、たしかに落ち着くようだった。

「ありがとう」

話を聞くだけで病がよくなるなら安上がりでよいことだ。こちらだって、注射も、採血も、内服の計画もできんろくでなしなのだから、話くらいしかできんのだから、ありがたいことだ。

彼は宮大工であった。

「いままでに、そうやなあ…」

過去を思い出す彼の目は病室の中空を見る。

「大通寺の台所、竹生島の三重塔、石山寺、岩船寺なんか扱ったワ…。」

「それはすごい」

「そうやなあ。ありがたいことや…」

彼の左手の親指は短く変形している。

なにか事故によるのだろうか。

「石山寺でナ、あすこに縁側とか、渡り廊下があるやろ、昼休みにそこで昼寝すんねんな」

天下の昼休みである。

私は石山寺の、木漏れ日のなかで昼寝する男たちを想像した。

それは天下一の昼寝に違いなかった。

「趣味のないもんには、しかたないけどナ…」

彼は馬場秋星の「浅井三代小谷城物語」という本(絶版のようだ)を読んでいた。

「浅井の墓には行った?」

彼はそう尋ねたが、私は残念ながらまだ参らない。

「小谷山も、いろいろ面白いんよ」

彼はさまざまな寺の話をしてくれた。

岐阜、京都、近江、奈良…彼は休みのたびに寺に詣で、家族、こどもらを観光に連れ出し、みずからは寺をじっくりと見ていたようなのだ。

「大工仕事が平日、忙しいからゆうて」

と彼は苦笑した。

「こどもらは休みの日はオトウチャンに遊びに連れて行ってもらおうと思ってるしナ。家で寝てばかりいるわけにはいかへんナ。家族サービスせんとな…」

彼の緑膿菌は、抗菌薬によりだんだんとよくなった。しかし酸素の管は、外せぬままだ。

「こんなんなって、なさけないなあ」

酸素がなければ彼の酸素化は確保できず、息がくるしいのだ。

在宅酸素の機械は、大きすぎるというので彼は拒絶した。

「先生…」

「なんですか」

「長命寺は行ったことがある?」

「いえ、まだ…」

「いい寺よ」

彼はそう言ってニカッと笑った。

「いっぺん行ってみ」

長命寺は近江八幡にある古刹だ。

日本第一の長命で有名な、武内宿禰ゆかりの寺なのだ。

私は母をともない、長命寺へ登った。

よく晴れていた。八百八段を登り切ると、小さな涅槃のような境外の地が待っている。

私は境内のロハ台に座り、大きな本堂をつくづくと眺めた。

俗世には要求が山ほどある。

その切実な要求を「救う」寺が長命寺である。

それはつまり、俗世のどんな悩みも、仏の前にお願いしてよい寺ということだ。

仏門は超俗のものゆえ、欲から離れよなどとは言わぬお寺ということだ。

自分は、そうした古刹を、数少ないがいくつか知っている。

多くの人が、そうした寺に、かそけき切実な思いを抱えて石段を登ってくる…。

静かな山のなかに梵鐘が低く遠く響いている。

宮大工の彼は、この本堂をどう見たのであったろうか。

休みごとに寺に参じ、祈りをささげた彼は、なおらぬ肺の病と共に生きている。

やまいとはなんであろうか。

私は、短絡的には考えぬ。

私は、祈ることをあらゆる意味と段階において諦めることはない。

空谷子しるす

わたし

今回もinterestingな言葉

5歳6ヶ月の娘
幼稚園の年長

ここ数ヶ月、娘の一人称が「わたし」となる時がある
それまでは「ももちゃん」と自称していた
妻には、幼稚園でみんなが使っているから、とその経緯を説明したようであった
一人称を軽やかに変化させたその軽やかさに憧憬を抱いた
数週間たって、同様の答えを期待して、聞いてみた
「どうして、わたしって言うの?』
すると、ナイーブな問いだったのか、「いや」と強く回答を拒否した
何かを侵襲しているように感ぜられたため、それ以上は問わなかった

考えてみれば、「わたし」ほど、主体性の純度が高い表現もない
しかし、娘においては、その使用は他者に大きく影響されている
主体性にしのぶ他者性の影
私にしても、「ぼく」から「オレ」への跳躍には随分と難渋した
最近は仕事での立場上「わたし」と自称する場面が増えたが、不協和音が響いている
随分と不自由な主体だこと

素寒居士

患者さんのことなど2

その女性はⅡ型糖尿病の教育入院であった。

かかりつけの病院で高血糖を指摘され、紹介されて来られたのだ。

「ブラジルでは、じぶんで血糖値をはかる器具を買って、じぶんではかります」

その方は日系ブラジル人であった。

ずいぶん前に日本人と結婚され、日本にきた。

「ブラジルにはカトリックとエヴァンジェリストが半々です」

ご高齢のブラジル人にカトリックが多く、若い年代にエヴァンジェリストが多いとのことであった。

彼女はカトリックであり、エヴァンジェリストはあまり得意でないようだった。

カトリックは貧しい人とお金持ち、エヴァンジェリストは貧しい人が多いとのことで、いわゆる教会への寄付は、カトリックでは「あの」馴染み深い皮袋に、いくらいれても、いれなくても自由だ。しかしエヴァンジェリストは、給与の1割を収めねばならんらしい。

それは酷なはなしである。

「娘の彼氏、ファベーラの人なんだけど」

ファベーラとはブラジルのなかで貧しくて危険な区画と私は理解している。

「ファベーラ、危なくないです?」

彼女は首を振った。

「ファベーラの人と友達の人、大丈夫。その人といっしょに行けば危なくない。」

でも、と彼女はいたずらぽく笑った。

「わたしはちょっとこわいね。ひとりではいかない」

彼女は、結婚する相手は心だと言った。

「男の人、よく、若いとか、顔で結婚する。よくないね。ブラジル、30代で結婚はふつうよ。」

「そうなんだ」

「私も、だんなさんすごい優しい人!」

そういう彼女の顔は明るく、太陽のようである。

「だから、あせらない、あせらないよ」

悪いことには子供のようであり、考え方については大人のようであれ、とは聖パウロのことばである(コリ1 14:20)。

人間のつきあい、人間のつきあい、

これはもう「赤心」をもって、こどものように、大人のように、臨むしかあるまい、と思った。

空谷子しるす

こわいの

今回はinterestingな言葉。


妹が出生する前後から2歳3ヶ月の息子に、例によって赤ちゃん返りがみられ始めた。
妹が家にやってきて以来、妹は母親の乳を吸いながら眠っている。
その妹と母親の間が、彼にとって意味のある空間として立ち上がってくる。
彼はしきりと母親にすがって、その間に入りたいと泣く。
こわいの、こわいの。

 母親が出産のために入院している間、彼は姉と私の間に分け入ってきた。
それに対して姉はもちろん抵抗した。
姉と言えどまだ5歳なのだ。
夜の闇のなか、私の横は簡単に明け渡し難い。
しかし、やがて弟が泣いて怯える様を見て、間という特殊な空間を譲った。

母親がまだ生まれて1週間の妹を連れて帰ってくると、今度は妹と母親の間が彼にとって切実な意味を帯びる。
たとえ生後数週間のかよわい体であることは、彼にとって意味をなさない。
かの特殊空間を求めて彼は叫び求める。
その時、私はふいに「あ、痛い!」と叫んでみる。
やはり息子は「どうしたの?」と応じた。

 私はこれまでも観察から、彼が甘えて泣いている時に、誰かがたまたま「痛い」や「うわ」などの言葉を発すると、すぐさま「どしたの?」とやってくることを見知っていた。
今まで泣いていたのが嘘であったかのような表情をしていた。
なるほど、彼の表現としての涕泣にはいくつかの意味があるのだろう。
身体的にないし精神的に強烈な痛みが彼を襲った時、彼はその時何をしても泣くだろう。世界が崩壊しつつあるように感じられているのかもしれない。
しかし、痛みの程度がさほどでもないとき、例えば甘えから泣く様な時、彼の精神にはまだ遊びがあり、容易に切り替えが生じうる。
私はその観察からの仮説を就寝時に彼がかの特殊空間を希求して泣くときに活用した。

 彼は私が「痛い」と叫ぶと、すかさず「どうしたの」とやってきた。
姉もそばにいる。
私は「ヨシヨシして」とリクエストする。
すると彼は「ヨシヨシ」としながら手でさすっている。
私はさらに「大丈夫?ありがとうって言って」とリクエストする。
すると彼は、その通りに言う。
そこで姉も私も笑う。
「なんでありがとうやねん」と。
すると、つられて彼も笑う。
しかし、すぐにまた彼はかの特殊空間を求めて泣く。
そしてまた私が「痛い」と叫ぶ、笑う。
繰り返しているうちに、彼は眠りについた。

お粗末なテクニックだと思う。
嵐が去るのをただ待つこともできたのかもしれないし、その方が良かったのかもしれない。
しかし、私はその夜、彼の中に生じたある種の刃を無力化し、私たちは穏やかに眠ることができた。

われわれの会誌「臨床文藝」創刊号がまもなく発刊される。
主に私はケアについて論じ、LINE座談会でもケアが話題にあがった。
急性期においては、あえてまなざしを注がないことが保護的になることも論じられた。
相手の内なる刃を見て見ぬ振りをする。もしくは、ずらす。
 子育てをしているときにも、子のうちに刃を見ることがあり、記録しておく。

追記)
発達障害の外来で心理士がオペラント条件付けの「消去」という対応法を紹介していた。
例えば、子供がお菓子売り場でお菓子を買ってくれないことにかんしゃくを起こしてその場で手足をばたばたとさせてしまう状況を考えてみる。
この時、かんしゃくに耐えかねて親がお菓子を買ってあげると、かんしゃくという行動の正の強化となる。今後同様の状況でかんしゃくを起こしやすくなる。
逆にかんしゃくに対して、「そんなわがままする子は今日はゲームなしだからね」とすれば、負の弱化となる。
ところで、そもそも相手にしないというのが消去。見て見ぬ振りをするといわけである。 
私の今回の対応は、単に見ぬ振りをしたのではなく、他の感情を喚起させるよう、他の現象を出来させた。消去とも少し異なるテクニックのようである。

素寒居士