今回はfunnyではなく、interestingでありthrillingでもある言葉
2歳4ヶ月の息子、5歳の娘と早めの夕食を終え、まだ日が暮れる前にスーパーに買い物にでかけた。
今回始めて、子供を乗せないシンプルな買い物カートを選んだ。
カートを押しながら買い物をしている横を子供達はキャッキャと踊りながら、歌いがながらついてくる。
と思っていたら、息子がいない。
ざっと、周囲を見渡してもいない。
その間、おそらく1分もないと思うのだが、とにかくいない。
娘と名前を呼びながらスーパー中を買い物途中のカートを押しながら足早に探し回った。
もし外に行っていたらと、焦燥感にかられながら、娘と名前を呼んでいた。
肉売り場にもいない、おやつ売り場もいない。
これはいけない。
ひとまず、サービスカウンターに相談しようと向かうと、そこに女性に抱えられた息子がいた。
特に泣くでもなく平然としている。
その女性は親切にも息子がスーパーを出て一人でしばらく歩いているのを不審に思い、抱えて連れて来てくれたのである。
もし何かがあれば、立ち上がっていたかもしれない別の世界線が、瞬時に脳裏によぎった。
これはどうしようもなく私に非がある。
なんという不注意。
とにかく無事であることに安堵した。
息子に詫び、女性に深謝し、辞去した。
その後、買い物の途中、娘はしきりに「危なかった~~」と繰り返していた。
買い物を終えて、いよいよ帰るというときに、娘が唐突に「ばばたんに言うの?」と聞いた。
同様のことを考えていた私は驚いた。
説明を加えると、
まず、いま我が家には母親(私にとっての妻)がいない。
3週間前に生まれた娘(この子たちにとっては妹)が、発熱して入院することとなり、母親も付き添いで入院している。従って、妻の母がピンチヒッターとして遠路はるばる来てくれている。
話を戻して、あの問いである。
私はちょうど、「もし、今のことを義理の母(ばばたん)に言うと相当心配するだろうな」と考えながら帰途に着こうとしていた。
不意をつかれた私は戸惑った。
私は娘に心持ちを見透かされたような気持ちにもなった。
「ん~どっちでもいいんじゃないのかな」と誤魔化した。
かわいそうに、娘の問いは答えられることなく棚上げされてしまった。
スーパーから5分のところにある我が家まで帰る途中、娘はもう一度、同様の問いをした。
私は「言いたかったら、言ったらいいと思うよ」と。
娘の問いは虚しくも再び棚上げされた。
マンションの玄関に着いて、娘はいつになく部屋番号を間違えて押してしまった。
その間違えたことを私が指摘すると、顔に不安がたちこめ、指を咥える退行が始まった。
エレベーターで移動しながらも不安気に、しきりに指を咥えている。
4本の指を全て口に入れ込んでいる。
私は間違えたことは気にしなくていいよ、と繰り返した。
しかし、指しゃぶりは収まらなかった。
私は娘の指しゃぶりはこれまでに見たことがなかった。
よほど大きな不安がこの子に今、あるのだろうか。
ここまできてようやく、娘が切実に問いかけていたあの問いを棚上げしていたことに気がついた。
おそらくは、娘にとっても、弟がいなくなるかもしれないというのは恐怖体験だったのだろう。
当然である。
買い物を続けながら、「危なかった~」と連呼していた。
そのペースでいけば、当然、彼女の心は家でも連呼することとなる。
しかし、ばばたんは、この事件を知らない。
それを、言うのか、言わないのか。
言うのであれば、誰が言うのか、私は言い出しにくい。
という問いがが帰る間際の娘に生じた。
私が言うべきかどうか打算したのとはおそらく別の風景から同様の問いを持っていた。
われわれ大人は、と一般化するのが適切か不明だが、
少なくとも私はこのレベルの嘘(大人風に誤魔化して言えば、情報の制限)は常日頃からなんの躊躇もなくしているのだろう。
その後、家に着いた時には19時を過ぎていた。
風呂にも入っていなければ、明日の幼稚園の準備もしていない。
娘の指しゃぶりは風呂の中でも続いた。
私は娘に「お風呂をあがったら、ばばたんにちゃんと言おうね。パパが言うからね」と告げた。
それでも娘の表情は硬かった。
これは体を動かさなければと私は直観した。
入浴後、ばばたんと出来事を共有し、娘も「ほんとに危なかった~」と言った。
すでに寝る時間を過ぎているが、どすこい(すもう遊び)と、ダンスをしてから寝た。
どすこいの時には、娘はいつもの娘になっていた。
反省することの非常に多い買い物であった。
あの時、娘は何を思って私に問いを発したのだろうか。
2021/05/30 素寒居士