こころのかぜ

帰宅後、5歳の娘と

娘:ダニアレルギーってどういうこと?
父:あ-・・・アレルギーかぁ
父:例えば、パン食ったら、ももちゃん、ぶつぶつでてくる?
娘:でないよ
父:中にはパン食ってぶつぶつでちゃう人がおるんよ。そしたら、その人は、パンにアレルギーをもってる、っていうねん。ほんで、ダニアレルギーは、ダニのうんことかにアレルギーをもっちゃうわけや
娘:じゃあ、ももちゃんはパン食べてもいいの?
父:いいよ。ももちゃんはパンにアレルギーないもん。
娘:ふーん。じゃあ、こころが風邪をひくってどういうこと?
父:うーん、心と体があるやん?
娘:うん。
父:心がくしゃみしたり咳したりすることかなあ
娘:ふーん。ももちゃん、こころ好きだよ。
父:あー、それ焼き鳥な。
娘:うん。

素寒

患者さんのことなど5

その人は指導医の外来に来ていた人であって、大動脈弁置換後にワルファリンを服用していたのであったがINRが伸びすぎたのであった。あと何故かよくわからない低ナトリウム血症があった。そして今回の入院原因は肺炎なのであった。

肺炎は抗菌薬によりただちに軽快した。

低ナトリウムも正体不明ながら持ち直した。

INRもだんだん調整できてきた。

しかしながら、この人は、4年前から全身が痛むらしいのだ。すでに膠原病内科にも受診済みだ。CEAとMMP-3が高値である以外は全て陰性だ。上部内視鏡、下部内視鏡、全身CTも異常はない。頭部MRIでも脳炎のような所見はない。本人は全身が痛いというが苦悶の表情はない。そもそも仮面様顔貌というのか、表情自体が乏しい。筋剛直もない。四肢に把握痛もない。Xpでも骨折はなさそうだ。かつて脊柱に圧迫骨折の歴があり、いくつか派手に潰れてはいるが、それは4年前よりもっと前の話だ。

病床を尋ねると決まったことを言う。

「しんどさはかわらないね。」

痛みに対してNSAIDsやトラムセットを用いたが何の効果もなさそうだ。最終的に線維筋痛症も疑ってアメリカリウマチ学会の予備診断基準に従いスコアをつけた。合計で33点になり、診断基準は満たしそうであった。

サインバルタを用いたらすこし飯を食べるようになった。

飯の摂取は日に日によくなったが、本人は変わらないようだった。「かわらないね」を無表情で言うだけだ。「全身が痛い」

それでも飯を食うようになったのは嬉しく思ったものだ。そうは言っても治療方針を組み立てるのは私ではなく全て指導医な訳で、私はなにもしていないから、私がどうこう悩むのはどうでもよいことだった。しかしそれでも私なりにあれこれ考えて、苦しむ患者の前に行き、自らの無能にさいなまれていたのは事実であった。

私は阿保である。

悩まぬことを悩む一人相撲をして、くたびれ果ててロクに勉強もしない。

私は何をやっているのかと思いながら毎日病棟に向かう。

私より賢い研修医なら彼を救うかあるいは指導医とうまく連携できるのだと思う。

患者は退院していった。最終的に飯は10割食べていた。

そして数日後、CPAとなって救急に運ばれてきて、そのまま逝ってしまった。

救急隊は誤嚥で窒息したのが原因かと言った。車の中で残渣がかなり吸引できたらしい。しかし救急外来ではあまり引けなかった。自己心拍は戻ったが、翌日明朝またCPAになって逝った。

彼が運ばれてきたとき、私は半休を取って病院にいなかったから、翌日に彼の亡くなったのを知ったのであった。この病院は研修医を休日に呼び出すことは無い。

空谷子しるす

循環器

ある研修医は言った。

「気にしすぎなんだよ。『すみません』で流していけばいいじゃない」

またある研修医は言った。

「できるようになったことに目を向けた方が楽しいですよ」

循環器は6,7月の2か月だった。

指導医にひたすら金魚の糞をするという状態であって、カルテのことや採血、カテーテル治療のシース組みなどを教わった。教わったのであったが、物分かりの悪い私は何度も同じしくじりをした。

私は相変わらず病棟に行って患者方の話を聞く。

驚くべきことに、この6,7月は「ふつうの心不全」や「ふつうの不整脈」は来ず、私が見たのは正体不明の重症肺炎、正体不明の全身疼痛と低ナトリウム、プロテインS欠乏症などであった。

私は無能感にかられる。

私はたしかに疲れている。

来月からの消化器内科はより大変らしいから、これは仕方ないことである。

空谷子しるす

ある老師の話

その神父は箕面の田舎のおじいさんであって金勘定が好きだというのだ。

「そら楽しみなんてほかにあらへんやん」といいながらヒヒヒと笑うのだ。とんでもない坊さんである。

彼が中宮寺の話をした。

「昔中宮寺に若い男が来たんよ。その男は日がな一日仏さんの前に座って動かんかった」

ワインをのみながら箕面のオッチャンは語る。

「夕方になって小僧さんが門を閉めないとならんのにその男はまだおる。日が傾いていよいよ日没と言う時になってもまだおる。しかたなくもう時間ですと言うと、男はようやく立ち上がって帰っていった。その翌日男は出征して戦地から帰ってこんかった」

神父は赤ワインを飲む。店の電灯がワインの面に映ってきらきらしている。

「僕もややこしいことや嫌なことがあったら中宮寺の仏さんのところに行くんよ」

私の出身は奈良であるから斑鳩はよく知っている。翌日私は法隆寺に向かった。

中宮寺は法隆寺のすぐ隣にあるから、法隆寺の前に車を停めれば歩いていける。法隆寺の拝観料は1500円と極めて高いからそれは入らずに、土塀と石畳の道を中宮寺までてくてく歩く。

中宮寺は尼寺である。

皇室の女性が出家するいわゆる門跡寺院であって、ちいさな寺は全体的に風雅な趣がある。中宮寺の拝観料は600円だ。常識的と言えよう。

本堂は山吹の花に囲まれた池に浮かんでいる。

その中に如意輪観音半跏思惟像がおわします。

蝉が鳴いているのは梅雨が明けたのであった。

池の傍で亀が甲羅干しをしている。

今日はよく晴れた。暑い中に風が吹き抜ける。奈良盆地特有の焦熱が心地よくて助かる。

漆黒の御仏は微妙な表情で衆生を救う手段を考えている。

人間一切が救われることは無いかもしらんが、考え祈ることは…

他人の痛みを取れずとも、我もまた悩み痛むならば…

斑鳩は晴れている。小宇宙のようなきれいな寺と汚くて埃っぽい地べたが混ざる。

野の花が咲いている。

私は腹が減ったから街に向かった。

空谷子しるす

患者さんのことなど4

「兄はな、学校に通っている時に汽車に乗ってたんやけどな」

「はい」

「むかしは汽車に人間が乗り切らんので、連結部にぶらさがっていた」

「はい」

「それで兄が通学のときに、連結部にぶらさがっていたら」

「はい」

「すべり落ちて、足が車輪に挟まれたんよ」

「なんと」

「親切な人がいて、兄の傷ついた脚を、履いてた足駄でてこの原理で固定して」

「はい」

「それからリヤカーに乗せて、病院に行ったんよ」

「はい」

「駅からずっと、兄の血が点々と病院までついてね」

「はい」

「私はそのころ××の女学校に通っていたから、知らせを受けて、兄は死ぬんかと思って」

「はい」

「あわてて病院に行った。当時私の家に疎開していたいとこが学校まで来て知らせてくれたんやけど」

「はい」

「病院に行ったら、合羽をひろげた上に兄の脚があって、血の海なんよ」

「はい」

「毎日学校が終わったら、ご飯のお櫃を背負って、防空頭巾を携えて見舞いに行った」

「はい」

「するとB29が飛んできて、私は田んぼのなかに伏せるんよ」

「はい」

「上から見たら丸見えやったろうけどね。田舎やから、爆弾も落とさんと、そのままいってしまう」

「はい」

「そのころは私も少女やからね」

「はい」

「兄を見舞いながら、私は将来看護師になると思ったりもした」

「はい」

「兄が治ったら治ったで、ああ憎たらしい人やとか思って、ふふふ、看護師になろうと思わんくなって」

「ふふ」

「そうやって暮らしてきたから、それは普通のこととは違いますわなあ」

空谷子しるす

男と女とオーマイガ−

5歳娘と

娘:どうして男はおしっこの時、ちんちん拭かなくていいの?
父:うーん・・そういう形やもんなあ・・・
娘:どうして男と女は違うの?
父:うーん・・・
娘:どうして男の子にはおちんちんがあるの?
父:うーん・・・おちんちがあるから男の子なのかなあ・・・うーむ・・
娘:女の子にはおっぱいあるよ?赤ちゃんができたらおっきくなるんだよ
娘:先生に「みんな女の子なのにはたおり上手だね~」って言われたの
父:・・・・
娘:先生に「みんな女の子なのにはたおり上手だね~」って言われたの
父:それでどう思ったの?
娘:オーマイガ-!ってなった
父:・・・・・・そう言われて嫌だった?
娘:嫌じゃないよ

素寒

カブトムシ

カブトムシが出ちゃうからお片付けしないとと4歳の長女が言った。

床をはってるところを長女が見つけてベッドの部屋からおもちゃの方に行って見失ってベッドの部屋で発見したところを妻がやっつけたのだそうだ。

怖いね、お片付けしようね、と言った。

(2021.06.13)

患者さんのことなど3

その方は緑膿菌肺炎であった。

若い時はタバコを吸っており、COPDと気管支拡張症が基礎疾患にあった。

朝、訪床すると、ぜいぜいいいながら寝台に腰掛けておられることがしばしばであった。

「話してると楽になるわ」

しばらく対話をしていると、たしかに落ち着くようだった。

「ありがとう」

話を聞くだけで病がよくなるなら安上がりでよいことだ。こちらだって、注射も、採血も、内服の計画もできんろくでなしなのだから、話くらいしかできんのだから、ありがたいことだ。

彼は宮大工であった。

「いままでに、そうやなあ…」

過去を思い出す彼の目は病室の中空を見る。

「大通寺の台所、竹生島の三重塔、石山寺、岩船寺なんか扱ったワ…。」

「それはすごい」

「そうやなあ。ありがたいことや…」

彼の左手の親指は短く変形している。

なにか事故によるのだろうか。

「石山寺でナ、あすこに縁側とか、渡り廊下があるやろ、昼休みにそこで昼寝すんねんな」

天下の昼休みである。

私は石山寺の、木漏れ日のなかで昼寝する男たちを想像した。

それは天下一の昼寝に違いなかった。

「趣味のないもんには、しかたないけどナ…」

彼は馬場秋星の「浅井三代小谷城物語」という本(絶版のようだ)を読んでいた。

「浅井の墓には行った?」

彼はそう尋ねたが、私は残念ながらまだ参らない。

「小谷山も、いろいろ面白いんよ」

彼はさまざまな寺の話をしてくれた。

岐阜、京都、近江、奈良…彼は休みのたびに寺に詣で、家族、こどもらを観光に連れ出し、みずからは寺をじっくりと見ていたようなのだ。

「大工仕事が平日、忙しいからゆうて」

と彼は苦笑した。

「こどもらは休みの日はオトウチャンに遊びに連れて行ってもらおうと思ってるしナ。家で寝てばかりいるわけにはいかへんナ。家族サービスせんとな…」

彼の緑膿菌は、抗菌薬によりだんだんとよくなった。しかし酸素の管は、外せぬままだ。

「こんなんなって、なさけないなあ」

酸素がなければ彼の酸素化は確保できず、息がくるしいのだ。

在宅酸素の機械は、大きすぎるというので彼は拒絶した。

「先生…」

「なんですか」

「長命寺は行ったことがある?」

「いえ、まだ…」

「いい寺よ」

彼はそう言ってニカッと笑った。

「いっぺん行ってみ」

長命寺は近江八幡にある古刹だ。

日本第一の長命で有名な、武内宿禰ゆかりの寺なのだ。

私は母をともない、長命寺へ登った。

よく晴れていた。八百八段を登り切ると、小さな涅槃のような境外の地が待っている。

私は境内のロハ台に座り、大きな本堂をつくづくと眺めた。

俗世には要求が山ほどある。

その切実な要求を「救う」寺が長命寺である。

それはつまり、俗世のどんな悩みも、仏の前にお願いしてよい寺ということだ。

仏門は超俗のものゆえ、欲から離れよなどとは言わぬお寺ということだ。

自分は、そうした古刹を、数少ないがいくつか知っている。

多くの人が、そうした寺に、かそけき切実な思いを抱えて石段を登ってくる…。

静かな山のなかに梵鐘が低く遠く響いている。

宮大工の彼は、この本堂をどう見たのであったろうか。

休みごとに寺に参じ、祈りをささげた彼は、なおらぬ肺の病と共に生きている。

やまいとはなんであろうか。

私は、短絡的には考えぬ。

私は、祈ることをあらゆる意味と段階において諦めることはない。

空谷子しるす