ある老師の話3

キリスト教には謙遜の徳という概念があると聞く。

ことに聖母マリアがその徳を恵んでくださると聞く。

「謙遜の徳と申しますが」

と私は神父に聞いた。

「馬鹿で、無能で、病や障害を抱えていて、人から見下されたり、ものごとが何もうまくいかなくて馬鹿にされたり怒られたり、強烈な無能感に苛まれる時に謙遜などできるでしょうか?そんな時は自らも怒り、悲鳴を上げて押し潰されるのに逆らうしかできないのではないでしょうか」

神父と我々は店を探して東梅田を歩いている。

神父は言った。

「人間てどうしようもないところがあるやん。たとえばどうしても苦手な人とか嫌なことに遭ったら嫌やなとか思うやん」

「はい」

「そんな嫌な心とか嫌な部分が自分にもあると、自分で忘れずにいる。それが謙遜でいいんちゃうかな」

空谷子しるす

ある老師の話2

「上智大学におった時な」

と、箕面のおっさんは大学生のころの話をパンを手で割きながら言うのだ。

「ネメシェギいうハンガリー人の神父がいたんよ。おもろいおっさんでな。試験は口頭なんやけど、なにゆうても『素晴らしいですね』ゆうて合格にしてくれるねん。ありがたかったで」

神父が案内してくれたシチリア料理の店はちいさな面積であったが、肉も魚もうまいうえに照明がほんのりと明るいので和やかな雰囲気であった。

「ソビエト動乱のときにハンガリーから亡命した人でな」

そう言いながら運ばれてきた白身魚の焼き物に神父はナイフを入れる。

「カトリックの国は貧乏でめしがうまい。プロテスタントの国は金持ちでめしがまずい」

ひひひ、と笑って神父は魚料理を口に運んだ。少なくともシチリアのめしがうまいのは事実なようだった。

「医療者は忙しいやろ?」

唐突に箕面の神父は問いかけた。我々はうなずいた。

「いろいろなことが重なって、全部はできないと言うことがあるな」

外の通りは森ノ宮であって、日が傾いた青鼠色の澄んだ空気が大阪に染み込んできている。

通りに仕事から帰る月給取りが地下鉄に向かって歩いている。自転車も通る。女も男も通る。いつもの大阪の夕暮れがやってきて、通り過ぎていく。

「神父も二つのことは同時にできんでな」

神父はいつも大きく表情を変えぬ。

大阪のおっちゃんであり、神父であり、教誨師であり、教師である。

笑顔を見せても、まじめであっても、彼は求めるべき軸を見ていて、大きく変わらないように見える。

神父も人間であるから、さまざまなことを選んできたのであるらしかった。

「どうしても別のことまでできんときはナ」

と神父は言った。

「『痛みをもって、ことわりなさい』とネメシェギ先生は言うたんよ。『痛みをもってことわりなさい』」

痛みをもってことわりなさい、痛みをもってと神父は繰り返した。

シチリア産の赤ワインは澄んで酸い味がする。

「な」

と神父は言った。

「いい店やろ」

我々はうなずいた。

空谷子しるす

ある老師の話

その神父は箕面の田舎のおじいさんであって金勘定が好きだというのだ。

「そら楽しみなんてほかにあらへんやん」といいながらヒヒヒと笑うのだ。とんでもない坊さんである。

彼が中宮寺の話をした。

「昔中宮寺に若い男が来たんよ。その男は日がな一日仏さんの前に座って動かんかった」

ワインをのみながら箕面のオッチャンは語る。

「夕方になって小僧さんが門を閉めないとならんのにその男はまだおる。日が傾いていよいよ日没と言う時になってもまだおる。しかたなくもう時間ですと言うと、男はようやく立ち上がって帰っていった。その翌日男は出征して戦地から帰ってこんかった」

神父は赤ワインを飲む。店の電灯がワインの面に映ってきらきらしている。

「僕もややこしいことや嫌なことがあったら中宮寺の仏さんのところに行くんよ」

私の出身は奈良であるから斑鳩はよく知っている。翌日私は法隆寺に向かった。

中宮寺は法隆寺のすぐ隣にあるから、法隆寺の前に車を停めれば歩いていける。法隆寺の拝観料は1500円と極めて高いからそれは入らずに、土塀と石畳の道を中宮寺までてくてく歩く。

中宮寺は尼寺である。

皇室の女性が出家するいわゆる門跡寺院であって、ちいさな寺は全体的に風雅な趣がある。中宮寺の拝観料は600円だ。常識的と言えよう。

本堂は山吹の花に囲まれた池に浮かんでいる。

その中に如意輪観音半跏思惟像がおわします。

蝉が鳴いているのは梅雨が明けたのであった。

池の傍で亀が甲羅干しをしている。

今日はよく晴れた。暑い中に風が吹き抜ける。奈良盆地特有の焦熱が心地よくて助かる。

漆黒の御仏は微妙な表情で衆生を救う手段を考えている。

人間一切が救われることは無いかもしらんが、考え祈ることは…

他人の痛みを取れずとも、我もまた悩み痛むならば…

斑鳩は晴れている。小宇宙のようなきれいな寺と汚くて埃っぽい地べたが混ざる。

野の花が咲いている。

私は腹が減ったから街に向かった。

空谷子しるす

神道とケア

神道とケア

投稿者:空谷子2021/02/25

「神道とケアについて発表して下さいよ」とi先生が仰った時、私は奮い、考えた。

神道とケアという話についてそれまでどこかで結びついたらよい、生きながら考えていたらその内わかるだろうくらいに思っていたので、それをいざ人に話すとなればどうしても何らかの形にしないといけない。それは自分の能力では到底無理に思えた。どうすればよいのか見当もつかぬ。

そもそも神道に医療的概念があんまり無いのだ。全然無いと言ってもいい。日本仏教が悲田院や北山十八間戸といった医療・福祉を早くから実施し、弱者への慈悲を以て接していたことからすればその差は大きい。また儒教は儒教で国内政治の安定から失業者保護の活動や救貧政策を江戸時代に行なっていたように記憶している。大塩平八郎だって、あれも一種の陽明学的福祉精神の発露と言えるだろう(結局テロリストだが)。

それでは神道は一体何をしたか?

何もない。ちょっと調べるくらいでは全然出てこない。もちろん私の無能と不勉強が前提なのは大ありなのだが、そもそも経典がない神道ではその思想的側面を云々することが難しいというか不可能に近い。神道では神はロゴスでは無いのである。素朴に言えば、その土地に固有の「ただ存在する」神であるのだ。

神道を云々することはとても難しい。

しかし、小テレジアのように博覧強記でなくとも神を深く理解したので教会博士となった人もいる。ベルナデッタのように、ちっとも教養がないのに聖人となった者もいる。神を理解するということは言葉によらぬところである。神道は実践しかないから、ある意味でいちばん信仰に近い宗教かもしれぬ。

そうした意味では祈り、祈り、祈って、感得したところを適当に言語化するのが良さそうだ。言葉からまた言葉を紡ぐより、そのものに向かってそれを拙い言葉で表してしまう。人を恐れぬ大胆さだ。一体、人は人の間では正確であらねばならない。しかし神様から比べたら、人間の差など誤差にすらならぬ…

そんな傍若無人の振る舞いをせねば怖くて話すどころではなかった。しかし皆様、温かく聞いてくださり、しかもたくさん質問いただいたのでとても嬉しくかたじけないことにございます。ありがとうございます。

いよいよ神道とケアのことを考えていきたいと思いつつも、「祭りと癒し」の関係をはじめ、神道自体のことも(いわゆる「神道書」というものを読んだらむしろどんどん神道から離れていく気もします)勉強していきたい所存です。皆様どうもこの度は誠にありがとうございました。