専攻医11

イエズスのように生きることはとても難しい。

血液のローテーションが終わり、神経免疫グループに移った。血液ではまだ様々な児が様々な困難に直面していた。悪性腫瘍という大病を乗り越えるにはめちゃくちゃな治療を必要とする。そのために圧倒的な労苦を必要とする。親も児もいらいらしたりわめいたり疲れたりする。本来生きられなかった者が生きられるかもしれないとなると、次は様々な要求も出る。あの症状を止めよ、この症状を止めよということになる。本来が無理を通して不治の病を治そうとしているからさまざまな症状は出る。その全てを予防したり治したりすることは不可能である。医者も人間だからそのできることはしたいと思う。

どうも体調がよくない。今週末は二日連続の当直である。

どうか神様がお守りくださいますように。

すべての人が幸せになりますように。

空谷子しるす

専攻医10

昨日母に連絡がつかなくなった。

結論から言うと母は無事だった。職場の仲間と飲み会だった。

母と連絡がつかない間私はとても不安になった。母の死を想像した。夏の部屋で母が腐敗するさまを思い、私がそれを発見して絶望するさまを思った。私に身内の死体検案は不可能だろうと思った。

中学生のころを思い出した。毎晩父と母が口論し、路頭に迷う話をしていた。私は寝床の中や居間で「助けてください」と祈っていた。自分に自活する知能と体力が無いことがわかっており、そのことがとても恨めしかった。自分を鍛える余裕もなかった。私はただ毎日死んだような顔をしながら学校に行き、学校から帰っては助けてくださいと願いながら古いゲームをやり直したり漫画を読み直したりして現実を緩和していた。

そのときのことを思い出した。絶望の中で何かに助けてくださいと祈っていた気持ちを思い出した。母がここで死んだらいったい私はどうしたらいいのだろうと悩んだ。なぜこんなつらい目にばかり遭うのかと神を恨んだ。父が亡くなったのは解剖実習の始まる前の試験中だった。なんで医学生として極めて忙しくなる時期に死んだのかわからなかった。なんで間の悪いことばかり私の人生に起こるのかわからなかった。

母が無事で本当によかった。何万円を稼ぐよりも嬉しかった。

病棟の最重症の児が亡くなった。児が亡くなったのは未明だったから私と中間医は呼ばれなかった。その児とは短い付き合いだったが、私の中では色々あった。惜しい人間を亡くしたと思う。思い出すと泣きたくなる。私はべつにその児と親しかったわけではない。その児はオクラと白いご飯を食べたがっていた。児は絶食管理だったので食べてもらうわけにはいかなかった。私は児に気兼ねしてしばらくオクラを控えていた。児が亡くなって、私は久しぶりにオクラを煮込んだものを食べた。うまかった。児がいまごろ、オクラも含めて、うまいものを食べられていることを信じている。うまいものを食べる以上にいい報いが得られていることを信じている。

児が亡くなって、一日の病棟の時間が過ぎて、私が夕方に帰る時には虹が出ていた。私は児が天国に行ったことを信じる。

空谷子しるす

覚書15

物を書くようになってすぐまともなものが書けなくなった。

結構のある小説、理路の通った論説、いずれも面白くなく全く書けなくなった。書きたいとも思わなくなった。

たまに頭の通りが悪くなり、はたからみるとよくなったときに少し通じることをいうと、ちゃんと薬を飲んでいるのだろうとか、体験から逃れているのだろうとか見当違いの想像と微笑ましいような眼差しを向けられて、そういうときはおむつのなかでよりいっそう激しく放尿したくなる。むしろおむつをはずした瞬間に放尿したくなる。放尿は時に正義だ。

廊下を歩いていると、両脇にいつも同じような感覚でうつろな表情で、というより中毒症状やひとりで脳内で闘志を燃やしている人たちが、昼の日光を浴びて、外部と交流している。頑張れよとおむつをした私はふらふらでそこを通り抜ける。天井を突き抜けるように、地面を睨みつけながら、腹はまっすぐ突き出して。

中庭に四葉のクローバーが密生している一角がある。誰も気づいていないのかむしろ不気味に思ってか、手はつけられずにいる。岩陰になり日当たりも悪く、小さくなれるから私は彼女か彼らが風で微かにそよぐのをみながら岩に張りつきながら、耳を澄ましている。小さな声をききとろうと。

ある日、エアコンもきかないような図書館の自習室で勉強する学生に紛れて、私も勉強する学生だったじぶんに、官能小説を書いていた。図書館の廊下の窓に差し掛かる木の枝からはリスが飛び乗り、図書館を行ったり来たりしていた。薄暗い古い建物でいつも人がいても図書館だからというわけではなく、静かだった。

もっと小さい頃は母とプラスチックの赤いカゴを持って、絵本などを借りにきていた。

私は勉強もせずに官能小説ばかり書き続けていた。主人公は変態だった。いつもなぜか同棲している年上の女の人の歯ブラシをしゃぶっていた。プロレスごっこと称して子供たちは女の体に触れたがった。

それから私はAV監督になり、ストーリー性のある作品を作ることにこだわった。AVなのに女はほとんど裸にならず、むしろ最後まで裸にならないのではないかというところで裸になったりならなかったりした。ならなかったりしたものだから男はおこって怒って酷評する。主演女優のひとりはやさしい作品を作ってくださりありがとうと引退するときに礼をのべた。彼女がいちばんきれいにみえる作品を撮ろうと思っていた彼女だった。体ではなく彼女ごときれいだと思わせる作品が撮りたかった。AVというジャンルである必要があったのか?とある人は言った。AVでなければならなかったと思うと私は答えたが明確な理由は言えなかった。それはあえて言葉にする必要もないと思っていた。わかりきっているじゃないか。わかりきっていることがわからない人だけがいつも問うている。

彼女はヴェールを纏い(比喩ではない)、教会で天を仰ぎ、日記を綴り讃美歌を歌う日々を半分ドキュメンタリーとして撮った。半分ドキュメンタリーというのは彼女は教会に行かないし讃美歌も歌わないからで、ただ日記は書いていたから。あの年の夏の日差しを彼女とともに収録できたことは私にとっても幸福なことだった。何本も並ぶ彼女の作品の中で脱がなかったのは当たり前のように私の作品だけだった。それをAVとする必要があったのか?と人は問うが、何度も問われるうちに私はまともに答えることはせずにその都度考えるようにわかりませんと言うことにした。

2023年機関誌販売中

会員限定で2023年度以降の機関誌の紙媒体での販売を行なっております(※2022年以前の号は紙媒体は在庫がなく現在販売しておりません)。購入をご希望の方はまず会員登録をお願いいたします。総会への参加希望がなければ賛助会員よりご登録をお願いいたします。
入会いただいた年のみ機関誌の最新号(※2023年度以降)を送料込みで1冊無料で提供いたします。
2023年度機関誌の発送は2023年7月中旬頃を予定しております。売り切れ次第販売終了し増刷の予定はありません(残り6冊)。会員登録いただいても機関誌をお送りできない場合がございますのでご了承ください。売り切れの際は会員登録時のご案内メールで入金前に事前にお伝えいたします。販売終了後に入金いただいた場合は、2023年度限定公開記事のパスワードをメールでお伝えし、2024年発行の機関誌を2024年7月頃に1冊お送りいたします。

安心してください。全然売れてません。(2023年7月13日現在)

ご注文方法はこちらをご参照ください。

2023/06/18 勉強会記録

2023/06/18 勉強会記録

13時からの予定ということで午前中は子供とショッピングモールのようなところで買い物をしたりドーナツを食べたりして過ごした。赤ちゃん用の籠に乗りたがって、乗せると上の子はもう6歳だから体が入らなかったが下の子は3歳でなんとか乗れた。どっちも乗ろうとするから喧嘩になる。上の子は結局乗れないから諦めたようだった。ドーナツは持ち帰りにするつもりだったようだが、下の子がちゃっかり外の席に座っていて食べる気満々だったからその場でみんなで食べているともう12時を回っていて家に着いた頃には13時になっていた。

未の刻には、遅くとも申の刻にはとメールをして会場へ向かった。

今回から理事長iさんの自宅で開催できることになった。今年の秋口から開業予定のiさんのお宅は二世帯住宅でそのひと棟をクリニックとする予定である。

つい先ごろご家族で転居された。京都駅で伊勢丹に寄ってお祝いを選んでいると、いつのまにか15時を過ぎていた。獺祭とシャンパンとメロンを買った時点でくたびれてしまい、酒のつまみを吟味するゆとりがなくなってしまった。パン屋でフランスパンだけ買っていくことにした。

桃山駅を降りて、東へしばらく歩いて山を登り、南へ下る頃には緑の深い森林に囲まれ空気が少し冷ややかに感じられる。神社を越え、線路を抜けるとiさんのお宅がみえてきた。

インターホンが2つついており、どちらを鳴らしてよいかわからないので黙って鳴らさずに入った。入ると手前の家の網戸越しにiさんたちの姿が透けてみえる。私は網戸を開けて畳のお部屋からお邪魔した。もうだいたい終わりましたよといったことをiさんが言い、薬剤師のuさんが私と会ったら帰ろうと思ってたといい帰っていった。オンコールなのだそう。皆さんお忙しい。

他には学生のaさん、大学で講師などされているsさん、この前あったときは学生さんだったはずのmさん、今は病院勤めのよう。この前大手術を終えたばかりのhさんがいた。

今回の読書会はブッダのことば スッタニパータだった。特別講演はiさんの緩和のお話だった。いずれも遅れてきたのでどんなだったかはわからない。ただ昼からお酒を呑みながら、皆頬を赤らめているところをみると、まだ煩悩を捨て去ってはいないようで安心した。日本酒が美味しくて、呑みすぎてしまう。本の紹介はhさんがされた。アイとアイザワというAIと恋をする漫画だった。アイは超限記憶を持っており、アイザワは人間の不完全性をインストールされたようなAIだった。二人はとんでもないことが起こらないようにフラグを回収していく。だいたいフラグ回収はオイディプスのように、それ自体が運命へと導いていく形で不可避的に進行していく。運命はいつも、過去も未来も丸ごと変わる。もっとドラマティックではない、展開されなかった未来がいつも背後に伏在している。ドラマが起こらない日常を描くことは、ドラマの裏番組を流すことで、それが丸ごとドラマのほうまでを伝える力がある。

iさんの子供たちが2人、3人とぞろぞろと入ってきて、銃で撃たれたり腕を切られたり眠らせられたりしているうちに日は傾いていった。(2023.6.20)

専攻医9

丸太町通にはプロテスタントの寺があって、十字架が曇天の空を指している。

朝はいつも「マリア様助けて下さい」と祈る。朝に限らずいつも祈る。祈るとかろうじて物事が進む。私は病人である。重篤な病人が薬を切らしては体が悪化するように、私は祈りを切らしては滅びてしまう。

中間医から患者のことを尋ねられてもだいたいのことが分からない。6月から来た研修医の先生のほうがよく分かっている。私はあまり優れた医者ではないのだと思う。しかし適当に生きていく。私は全ての誠意を尽くしていることは神がご存知である。

論文の抄読会が来週にある。論文は手元にあるが、まだ読めていないしパワーポイントのスライドもできていない。この週末に片付けることはできるだろうか。

初めて外勤というものに来た。伏見の山にある病院に来た。入院している児らは元気だ。病院といってもいろいろあるのだと感心する。発達に凹凸のある児らが入院しているという。見ているかぎり彼らは普通だ。親しくすれば色々と見えてくるのかもしれない。

私は常に考えることを要求されている気がしている。それはとてもうんざりすることだ。一体なんのために考えるのかが分からなくなるからだ。一体医者はなんのために鎬を削るのか分からなくなる。おおむね患者のためというのは間違いないことだ。しかしそのためと言うには学会、論文抄読、さまざまな事務作業は迂遠に思われる。もちろんそれらは利益のあることだろう。しかしそれらが主な目的にすり替わりかねないほど忙しくしては不幸なことだ。

竹下節子の「聖女伝」を読み、その文章の複雑さに困る。聖女の成したことを単純に知りたいと思っても、竹下節子の批判的学術精神が彼女自身の分析を文章に加えることを逃がさない。私はただそのまま聖女が歩んだ実際を知りたいだけなのだ。その意味では聖人伝として有名な「黄金伝説」も、宗教にありがちな荘厳をあえて取り付けた感じがして苦手だ。私は淡々と聖人たちの歩みが見たいだけなのだ。

学術というのは…正確さを保つために言葉が厳密になり、言葉が厳密になると実際に現れてくる姿は真実から遠ざかる気がする。学術らしい学術をいくら重ねても救われない気がする。もちろん科学は治らない白血病を治るようにしたのだ。そこに自然の軸があれば学術は意味が生じる。自然の内奥には神がある。軸のない学術はただ難しい言葉を並べるだけの無意味である。

乾燥した世界に水が欲しい。神のいない知恵比べをする羅刹の世界にはいられない。

空谷子しるす

2023年度機関誌『臨床文藝』

このたび2023年度機関誌『臨床文藝』をオンライン上で公開開始しましたのでお知らせいたします。

今年から機関誌を会員限定で販売いたします。

送料込みで一冊1000円です。

予約注文受付中です。ご購入いただいた方には7月上旬から中旬頃には紙媒体で発送できればと考えております。

今年は精神科医の高木俊介さんたちとの座談会も掲載しておりますので、ご興味のある方は手にとっていただければと思います。

よろしくお願いいたします。