病棟の児のひとりが危うかった。
私の担当ではないが、いままでカンファレンスでも危ういという印象は私は持っていなかった。画像上危ういことがわかった。症状もよくないようだった。
医者は人の極まるところを見る。医者としてはしだいにその職責に慣れていく。しかし人間としては慣れることはない。
私は所属グループの当番を終えて御所に来た。
春の御所は新緑にまみれて、風は涼しくて爽やかだ。
うんかがくるくると宙を舞う。その先に空があり雲がある。その上に飛行機雲が東西に伸びていて、風に吹かれて次第に薄まっていく。
長雨が午後から止んだ。御所にはたくさんの人がいる。英語やフランス語が聞こえてくる。二度と逢わない人たちがいる。
私はPICUの先生に話しかけられた。それで来年度からのべつの病院で集中管理や救急をやろうと誘われた。
母校の集中管理の教授は私にとてもよくしてくださった。「enjoy your lifeや先生」と彼はよく仰ったものだ。
ドンボスコがとうとう孤児院をやる金が尽きて、石段に腰掛けて涙を流した。そのときにふとある男が彼をみつけ、彼に孤児院をやるための新しい物件を紹介したという。
私たちは苦しまねばならない。いつまで生きるかしれない。生きている限りは苦しむのである。しかしその先に、「軸」があればその先に、神様の導きがあることを期待せねばならぬし、期待したい。
私たちには一秒先のこともわからないのだ。分からないから、不安になり、泣き、わめく。そうしながらも祈り求めるのが人間の真実の姿なのだと思う。
空谷子しるす