精神科1

「あの先生はエビデンスに基づいていない。注意したほうがいい」

ある医師が私の指導医について警告を発した。

私はと言えば、教科書やガイドラインをよく読まないので当該医師が標準治療から逸脱しているかはわからなかった。指導医のうけもつ患者の半分を担当し、彼らの話を聞いて回るので精一杯である。

しかし患者たちは安定を見せた。

私の研修病院ではどつぼにはまるしかなかったような高齢のアルコール依存患者が生き延びて、立って歩いて帰った。

入院したらどのみちある程度落ち着くものだろうか。外来患者のコントロールも悪くないようだった。

統計をとれば医師たちの「優秀さ」は評価できるものだろうか。エビデンスは有用であるが万能ではないことは全ての医師が認識している。その上で、多くの医師はエビデンスに基づかない治療をする医師のことを憎悪し、知識の浅い研修医を侮蔑する。

「エビデンスというのは医者の勝手で、患者からみたらいい医者というのは全く別だ」

箕面の神父は言った。

「自分が信頼できるかどうかだ」

医療界には「やさしいヤブ医者」という言葉がある。

患者にやさしく、信頼されるが、医学が疎漏なので患者を死なせるというのだ。

こうした医師がただのヤブ医者よりもはるかに有害だとされ、平凡な医師たちは日頃己の命を削ってエビデンスを追究する。医学は無限に更新され、常に「お前の治療はエビデンスにもとる」と陰に日向に侮蔑される恐怖と戦わなければならない。

少し話がそれる。

こうした状況下で「頭の悪い奴は医者をやめろ」という言説が現場で飛び交う。無能な人間は有害だと言うわけだ。そこには互いに補い合うといった発想はない。体育会系部活動に表れるような、日本の学校教育における実力至上主義を背景とした無能を排除する構造を私は疑う。それはとても合理的に見えて人間を使い潰す思考である。組織はむしろ脆弱になり、慢性的な人員不足から優秀な人間までも破滅していくことを私は予想する。

話を戻す。

優しいヤブ医者という現象は本当に出現し得るのだろうか。

箕面の神父によればそれは嘘だと言う。

それはそうだ、患者も馬鹿ではないから、おのれに真摯に向き合う医師かどうかは分かる。真摯な医師であれば、真摯さ故に完璧でなくとも最善の治療を彼ないし彼女の力の範囲内で行うはずだ。結果的に現代の標準治療を「すべての点において」遂行することができずとも、患者は不平であろうか。

むしろ知識で武装した上で高慢かつ冷徹な態度を取る医師を患者は納得するだろうか。

私の兄は刑事だ。ある人が死亡し、死体検案書を要することは多い。三次救急病院にかかりつけであった場合、そこの医師はしばしば死体検案書を拒否する。「警察はなにもわかっていない」「私は今忙しいんですがね」彼らの苛烈な職場環境は彼らを残忍な人間にしていく。彼らが愚かだと思う人間たちを見下し、人の死を軽侮し、自らが修羅道を往くことのみに誇りと生き甲斐を感じる。

やむを得ないことだ。理知、合理の修羅道におかれた人間がしだいに修羅に変ずるのは当人の責任ではない。本居宣長は古事記伝の中で理知、合理の精神を「からごころ」と呼び批判した。細かくは覚えていないが、実用性がなく硬直的で戦闘的という欠点があるということだったように思う。実用性の無さについてはどうだかはわからない。西洋科学の理知、合理は患者たちの疾患に一定の有用性があるからだ。しかし理知、合理の追究は人をだんだん戦闘的にする。医療はおのずから人間と向き合う領域である。人間の不合理性も認識せねばならない。理知のみの修羅に果たして人間が診られるだろうか。理知のみの修羅に診てほしくないから「共感と傾聴」などという言葉が昨今の医学教育に頻繁に出現するのではないか。患者も馬鹿ではない。理知の修羅の形式的な共感と傾聴は無価値であることを見抜いている。

しかしながらエビデンスというものの有用さも大切なことは論を俟たない。

できる範囲で私もやろうと思う。

できる範囲でだ。

空谷子しるす

角鹿

角鹿と書いて「つぬが」と読む。つぬがというのは敦賀の古名であって、昔当地に渡った新羅の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)にちなんでいる。

人の世は不穏に満ちておった。先の首相が射殺されたり、日本国内の給料が上がらなかったり、露国の独裁者と烏国が戦争したりしていた。病棟では患者が不穏になり、扉を乱打する音が響いていた。

私は気比神宮に行くつもりになった。

とてもよく晴れているから気比神宮に行くのだ。

ラジオは藤井風の「まつり」を流していた。祭りは神様がいなければ塩味の無い塩のようなものだ。神様と人々が楽しむのが祭りである。

敦賀の気比神宮は神宮の名を持つ通り立派なお宮である。清々しい風が吹き抜けて邪な思いは流れていく。都怒我阿羅斯等を祀る角鹿神社は気比神宮の摂社である。隣には子どもを守護する兒宮があり、静かに鎮座ましましている。

昨日は重症心身障害児の在宅訪問診療を見学した。

人は人を見ると間違える。

夜、鹿児島の桜島が噴火した。

世は乱れ、さまざまに入れ替わる。御代替わりとはそうしたものであろう。人間はいい加減なものだ。今の世に褒められる人間に英雄の例しは少なく、全てはただ夢中の中に行われて先の世で検められる。

人間を見ない方が良い。夜の闇に目を凝らす。

空谷子しるす

COVID-19/7 9PM

寝覚めが悪かった.自らの咳で底から剥がされ,ほぼ同時に咽頭痛が昨日と何ら変わらない強さと性状であったのが,悪印象の原因だ.雨の中を自転車で職場へと向かい,自らの上咽頭を念入りに両鼻腔から計2回拭った.セルフ検査は確実に手技が上達した.午後陽性の連絡が入った.己にとって自明なことも,しるしは必要だ.他者や日常生活に張る結界のためだ.本を読んだりネットを漁ったりしながら一日を過ごし,男根言説について学んだり,隔離解除期間に思い巡らしたりした.ありがたい事には味覚は,ほぼすっかりと改善していた.昼は冷凍のつけ麺を食べたが,作ったつけダレを冷やした麺の上にかけてしまったので,こういったそそっかしさは,差詰コロナのせいということにした.浸け麺だろうが漬け麺だろうが,味は同じだし,まあまあ美味しかった.ただ山科の夢人,豊中の麺野郎の味に比べると落ちる.冷凍のせいということにした.悪寒の頻度は夜までに片手で数えるほどに減少し,倦怠感は改善傾向である.咽頭痛と咳嗽がしつこい.明日も続くのだろうか.今も私の咽頭に紛れたコロナウイルスomicronは増殖を試みつつは私のリンパ球たちに阻害されつつしている.(終わり)

COVID-19/7 2AM

 窓際で,ベランダ縁に滴る雨音と,濡れた道路とタイヤが滑る独特の音を聞き,レースカーテン越しに街灯を見ていたら,また咳が出てきた.パソコンを立ち上げて今が令和4年7月19日の午前2時と知った.この時刻がインスピレーションを刺激するように感じられるのは,何も今の私だけに当て嵌まる話ではあるまい.いつの頃からだろうか,夜布団の中で,今頃あのテレビで見た有名人も,記憶のあの人も,寝ているのだろうか(だとしたらチョット嬉しい)などと考えていたことを思い出した(割と頻繁に思い出す).だんだんと歳をくって夜中に起きているようになると,今度は,あの人も今起きているのだろうか,などと考えるようになって,だが今度の場合,さほど嬉しくも悲しくもないというところが,正直なところだ.ただ,今こうして過ごす刻々は,私を癒やす.

 コロナに罹ってしまった.思うに土曜日の朝,こみ上げるものを留めおけずに,やたらとハイテンションな投稿をチームのLINEの送りつけた時からすでに発症していたのかもしれない.その時点では身体症状はなかった.昼前に私は家を出た.家を出る前に水を飲んだその時に水が咽頭をすぎる時の違和感があったが,その瞬間もさほど気に留めなかった.夕方,私は咽頭の軽い違和感が解消されずむしろ増悪していること,倦怠感と筋痛・関節痛を感じていることを,はっきりと自覚した.歯磨き粉の香料の風味が変わって何度か口を濯ぎ直した.

 日曜日朝から発熱した.悪寒と倦怠感はこの日がピークで,一日中寝ては起き,水を飲んでまた寝るという有様だった.家にある口にできるものの中で,アイスクリームは比較的口にし易かったが,冷凍のお好み焼きは今や完全に私のお好みの味では無くなってしまっていた.COVID-19患者がお好み焼きについてどういった味を覚えるかについて述べた文献は渉猟範囲で見つけられなかった.なおオミクロン株では,デルタ株と比して味覚・嗅覚障害の発生率はオッズ比0.22で少ない,との記述もあった.またこの日に鼻閉・鼻汁(多くない)・咳嗽・消化管過活動傾向(屁が出る.下痢はなかった.)といった症状が揃ってきた.冬物のシュラフを被って寝た.

 起床し(この月曜日は祝日であった)嗽いをすると激しい咽頭痛を感じて慌てて水を吐いた.嚥下時痛も強くはっきりとなった.一方で明らかに解熱傾向で,時折悪寒があるものの,そして倦怠感は続くものの,随分と楽に過ごせた.咳の頻度は増えている.喀痰は伴わないが,後鼻漏の感覚を伴うときが多い.鼻閉も続いているが洗濯物の新しい匂いが分かったので,嗅覚は侵されていないと解釈した.上腕三頭筋や拇指球に時々うっすら痛みを感じる.現時点では頭痛やめまい,耳鳴り,嘔吐,皮疹といった症状の自覚はない(続)

Lancet 2022; 399: 1618–24 より引用,デルタとオミクロンの症状の有意差順に上から書かれている.横線が1.0の線を跨いでいないモノが,有意差があるもの=偶然では説明できないと解釈できる.

参考文献・サイト

  1. 新型コロナウィルス感染症診療の手引き別冊: 罹患後症状のマネジメント第1.1版 https://www.mhlw.go.jp/content/000952747.pdf
  2. https://joinzoe.com イギリスの研究企業で,上に引用した論文のデータ集めをアプリで行ったようです(研究名もthe ZOE COVID Study).ZOEは略称などでなく,ギリシャ語のそれを社名(とアプリ名)にしたようです.

『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』 

上間陽子、『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』、太田出版、2017年

本を買ったのはいつのことだったか、4、5年読んではやめてを繰り返していた。

沖縄でキャバクラや援助交際をしている少女たちを取材した記録だが、著者はその原稿を本人に読み上げ確認してもらっている。だからこれは彼女たち自身へのメッセージも込めて書かれたものでもあるだろう。社会学で語られる大文字の言葉は使わずに書かれている。

沖縄の男だけが、というわけではないだろうが、どうしようもない男たちがたくさん出てくる。DV、レイプ、彼女に援助交際をさせる男、等々。

安心できる居場所を彼女たちは自分で探さなければならなかった、裸足で逃げるしかなかった少女たちの記録。

読んでいると、こども食堂をしたい、寺子屋をしたい、図書館をしたい、バーをしたい、全部一緒にやってしまいたい、という衝動がおさえがたくわいてくる。

バーテンダーというのは優しい止まり木という意味らしいが、止まり木が、居場所がないのは何よりつらい。

話したくないことは話さなくていいし話したいことは話せばいい、そういう居場所をつくりたい。

著者はこの本を、子供が寝静まった深夜に書いていたという。私も家族が寝静まった部屋でこれを書いている(どうでもいいだろうが)。言いたいのは、社会学的な調査であっても、書かれたものは本来書き手の生活とは切り離せない。切り離せるとしたらそれはもうただの稼業でしかない。彼女はそれをわかっていて、ただの調査対象にできないこともわかっていて、生活を見届けた上で書き始めている。簡単に終わらせるわけにはいかないから。

沖縄の夜はどんなに暗いだろうか。

沖縄にかぎらない。どうしようもない男と書いたが、人ごとではない。男はメタファーにもなり得るが、どうしようもなく男だ、とも感じる。

どうしようもなくどうしようもない男だ、それは誰も人ごとではない。

晴れている

このところ雨が続いたがそれが一段落して晴れている。

精神科のために外病院に出ねばならない。毎日そちらに行く。毎日病棟をぷらぷらして気のないカルテを書く。気のない割には気を遣っているから、毎日妙に疲れる。

精神科とは奇妙なところだ。患者たちはたしかに普通でないようだが、冷静に考えたら別に大して変わらない人間である。誰だって気に入らない時は殴りたくなる。パンツを脱ぎ散らかしたり、訳がわからなくなって小便をそこらにする。「そんなことはしない!」と言える人はよほど幸せな頭をしている。前後不覚になって、あたかも異邦人が太陽の光のために殺人を犯したように、赤と黒の中で青年が殺人を犯したように、そうした人間の混乱をつゆしらず、親の金でのうのうと暮らしてきたのだろう。そうした人たちは叩き起こされて寝ぼけたことすらないようだ。人間存在に絶対の自信がある、幸せな自力信仰の自由主義者だ。

ストレスがかかると性的な欲求が出る。人間には常のことであるが、自慰をするといかにも情けなく、自らが下等な人間に思われる。不細工な顔がますます不細工に、矮小な体躯はますます貧弱になる気がする。しかし身を焼く情欲はどうしようもない。一年目の研修医に風俗に詳しい男がいる。彼に今度神戸の福原を案内してもらう予定だ。ナポレオンが金を払って童貞を捨てたような哲学的な体験ができるとは思わぬ。なにしろ私の陰茎はここぞのときに勃たない可能性が高いのだ。ああ私は実に世間に無用な男だよ。みんな私をどうか憐れんでください。しかし侮辱せずに一人の人間として認めてください。私はなんの能力もないが、侮辱されることが宇宙で一番嫌いなのです。

私に寄る女性はみな年上か、器量も教養もない女性ばかりだ。そのたびに私は絶望する。私はとんでもない女に支配されるか、あるいは38から45歳の女性と結婚して子を諦めねばならぬ。誰もが私をたしなめる…私は身の程知らずにも子どもを持ちたいと願い、平穏な家庭を望んでいるからだ。私に年上の女性を薦める人たちは悪気なく私の本質を見抜いている。私に家庭を持つ価値は無いと言うのだ。聖パウロ、あなたは独身でいるならその方がよいと仰ったが、望まないで独身でいさせられる苦しみは大きいものがある。全ては私が愚かにも年齢や顔、教養、考え方があうかどうかで女を選別するのが悪いのだ。私がつまらない人間というのはそれだ。私はまともに女と付き合えたことがない。女に相手にされない男になんの価値があるのか。

精神科の病院は犬上の土地にある。犬上の土地は渡来の人々の匂いがする。安食の神社は百済氏の作庭の日本最古級の庭がある。天稚彦を祀る宮があるのは、彼は高天原に弓引いた男だから、とても珍しいことだ。犬上の土地は明るいだけの歴史ではなかったようだ。しかし諸々の罪穢れはとどまらず、生まれては流れゆく。

私はなんのために生きているのだ。天津神、国津神、どうか私に生きがいを与えてください。私によい医業とよい妻とをお与えください。

しかし医業はともかく、妻は「もの」ではないのだから、私のような醜い外道のもとへ来ることは永劫あり得ない。

空谷子しるす

ゆうかい警報発令

本日、京都市全域にゆうかい警報が発令された。
前日、小学校では誘拐に備えて登下校には保護者が付き添うよう言い渡された。
我が家では前夜より会議が開かれ、紛糾の末、娘は小学校を休むこととなった。

当日朝、布団にて
3歳息子:お父さん、ようかいに会ったことある?
父:うーん、あるかな
6歳娘:えー、あるの!?あー、おばけ屋敷であったことならあるね
3歳息子:ようかいって飛ぶんだよね?
父:そうやね、ぴゅーって飛ぶかな。ようかい怖いの?
3歳息子:うん、こわい
6歳娘:お父さん、ようかいやっつけられるよ。鬼さんもやっつけるもんね。
父:うん、お父さん、ようかいやっつけるよ。

その後、布団にくるまってポジション争いをする娘と息子
6歳娘:ゆうかいこわいよー
3歳息子:ようかいこわいよー

楽屋裏にて

司祭:ねえねえ、デフォーちゃん
デフォー:なになに、いいワイン入った?
司祭:違うのよ、昼間っからなに言ってるのよ、まじめな話よ!
デフォー:なによなによ
司祭:あのさー、最近若い人が何考えてるか分かんなくってさ。話が全然合わないのよ。
デフォー:あー、若い人難しいよね。もうBTSとか分かんないもんね。
司祭:無神論よ無神論!自分でなんとかなるって思ってるみたいなのよ。危なっかしくて仕方がないわ。
デフォー:それわかるわー、自分で運命を決めるとか思えちゃってるよね。聖書も読んでないでしょ。
司祭:そうなのよ!それよ!聖書全然読まないわよね、ほんとに世も末だわ。
デフォー:わかるわー
司祭:ローマカトリックがいけないのよ、自由意志なんて言い出しちゃって、腹たつわー
デフォー:そこなんよなー。自由意志って言われると若い人にはきいちゃうよね。
司祭:ねえ、ねえデフォーちゃん、あんたちょっとなんか本書いてよ。
デフォー:また藪から棒に。本ってなによ?
司祭:聖書を読まずに自由意志とか言ってると痛い目みるよっていうのがよくわかる本よ。
デフォー:いやいや、そんなの書けないでしょ。
司祭:あんたならできるわよ、小説なんかにしてさ、エンタメっぽく。
デフォー:えー、いや、企画としてはいいかもやけどさ、売れるかねー。
司祭:あんたいっつも飲みながらデタラメなこと言ってんでしょ。ああいう話でいいんだから。あんた才能あるわよ、やんなさいよ。
デフォー:自分で運命をつかもうとしたその先には過酷な現実があった!みたいなことか?
司祭:そうそう。運命を自分でなんて言ってないで、聖書一冊あれば人生なんとかなるっていうのがよくわかるような感じで書いてよ。
デフォー:それやったら、『夜と霧』読ませたらいいんちゃう?地獄のような現実のなかで、人生の意味を問うっていう感じで。
司祭:いや、フランクルちゃんまだ生まれてないから。それに『夜と霧』読んで、じゃあ聖書読むかって気になんないでしょ。
デフォー:それやったら、『生かされて。』はどうよ。過酷な現実のなか、祈りのうちにマリア様が出てきてるやん。
司祭:いや、イマキュレーちゃんもまだ生まれてないから。
デフォー:それやったら、もうキルケゴールでええやん。絶望の仕方もわかるし、キリスト者になろう、ってなるやん。
司祭:生まれてないから。
デフォー:あーみんな生まれてないんかー、やっぱ俺かー
司祭:あんたなのよ、あんたが書くのよ。
デフォー:いけるかも。ちょっとプロット見えてきた。
司祭:え、もう来ちゃったの、すごいじゃないのよ。どんなのよ。
デフォー:いやさー、大航海時代じゃん。若い子で命知らずだと、船に乗って、ブラジルで農園作ったりとか、黒人さらって奴隷にしたりして儲けたりとかはやってんじゃやん。
司祭:うんうん
デフォー:親の言うこと聞かずに船にのっちゃった若い子を主人公にするのわどうよ、いけるかな。
司祭:うわ、もうなんかいい感じじゃないのよ!すっごいデフォーちゃん、やっぱりできるわよ。
デフォー:あーいける気がしてきたー
司祭:過酷な現実みせてやって!
デフォー:無人島に漂流させるか。遭難して死ぬだけやとあっさりやもんなあ。なんかこう、死んだらまだよかったものの、無人島についてもうて生きながらえてまうっていうのはどうかな。
司祭:それいいね、非日常の後に続く、どうしようもない日常、そこで聖書よ!!若気の至りの後には必ず日常のしっぺ返しがくるんだからね!
デフォー:無人島で何年か生活してた奴おらんかった?船長と喧嘩して無人島に置いてかれた間抜け。
司祭:セルカークちゃんでしょ。
デフォー:それそれ。あいつ確か4年くらいやったよな。もっと長い方がいいよな。
司祭:20年くらいにしちゃってよ!舐めてたら現実がどんだけ恐ろしいか見せつけてやって。あと、摂理!摂理ってあるんだ、って分かるようにして。マジで大事だから。
デフォー:摂理かー。確かに、摂理を感じられんことには信仰は深まらんよな。じゃあさ、日付を全部そろえるってのはどう?初めて船に乗る日も、遭難する日も、島を出る日も全部揃える。どうよ。そんな偶然ないやろ。
司祭:あんた天才だわ、デフォーちゃん。あと、ローマ・カトリックの悪口も入れといて。
デフォー:おいおい、注文が多いな。
司祭:ありがとう、デフォーちゃん。今度いいラム酒ももってくからね。