S先生が関東から来るから飲まないかとI先生が誘ってくださった。
S先生は小児科医である。しかし消化器内科専門医でもある。
重症心身障害児の成人内科への移行が円滑にいかないことがある。成人内科は先天性疾患がわからない。小児科医は成人疾患がわからない。はざまにある重症心身障害児の人々は、しばしば誰が診るのかが問題となる。それでS先生は小児科専門医を取得した後消化器内科専門医となろうと思った。重症心身障害児の成人疾患を自分で治せるようになるためだ。内視鏡技術を獲得し、自分で重症心身障害児に内視鏡治療を行えるようになるためだ。それですぐに彼は雰囲気のよさそうな某病院の門を叩きに行った。給料はいらないから消化器内科の修行をさせてくれと言った(実際は給料は出たらしい)。
彼は患児に「お前」と言う。患児の親にも「お前」と言う。腹が痛くて学校に行けぬと親が言う。患児の愁訴を親が言う。彼は患児をまっすぐ見て、「で、お前はどうしたいの」と言う。「学校にいきたくない」と言ったりする。「おう、それでいいよ」と言う。彼は患児にしろ、研修医にしろ、考えて行ったことは認める。考えなしの行動は認めない。「腹が痛くて学校いけなくってもいいよ。どうしても本気でやばくなったときは、おれが胃カメラして診てやるから」と言う。内視鏡技術があることで、患児もいざというときは治してもらえると思って安心する。「こどももバカじゃないからさ。でまかせは通じないよ」とS先生は言う。
S先生はいいかげんな処方や指示を嫌う。漫然と3号液が繋がれているのを嫌う。死亡診断書を「作っておきました」と軽々しく言うのを嫌う。死は特別な瞬間である。なぜ診に来ないのか。病棟で彼は亡くなった患者ならびにその家族と向き合った。その患者は彼の担当でない。担当医は来ない。担当医が事前に「作っておいた」死亡診断書があるだけだ。彼は「作っておいた」診断書を破り捨てて一から作った(いまは事前に死亡診断書を作っておく習慣に一定の理解を示している)。
彼は後輩に金を出させない。かならず奢る。良い加減な指示や処方は蹴散らすので、彼の指示を仰ぐために若手が彼の周りに並ぶ。パワハラをしていると彼は言う。しかし逃げ道は残しているから、訴えられたり潰れたりはしないと言う。
彼は小児科医として、総合診療医的性格を有する小児科医として、医療への思いを語る。しかしあくまで「ひとつの意見として聞いてくれ」と必ず言う。
彼は朝誰よりも早く、誰よりも遅い。彼は力にあふれ女性にもてる。貧しい境遇に育った。乗用車に住み、そこから学校に通ったこともある。母子家庭に育った少年である。異様に頭が良く、小学1年次で二次関数を解した。
まずベッドサイドに行けと彼は言う。それで余計な処方がひとつ減るから。とにかくベッドサイドに行けと。研修医はいちばんそれができるしそれでよいと。患者に寄り添うというのは当たり前のことだ。その上で専門家として「指針」を示すのが医者だと。この指針というのは医学的な選択肢を並べ立てることではない。彼は専門家として進むべき道を示すのだ。もちろん相手の意思を鑑みながら、しかも彼は苦しむ人間に道を示すのだ。
「そういう意味では宗教みたいなもんだよ。S教の教祖だよ」とS先生は言う。知識や技術のうらづけはあっても、最終的には「おれを信じろ」ということになるからだ。ことばで人を安心させて導く。しかしことばで導くからこそ、まちがいは起こりうる。だからいつでも全責任をS先生は背負うつもりでいる。
私は、そうすると医者は落語家のようですねと言った。医学知識は古典落語の知識である。古典の知識を知らなければまともに話すことができない。その上で落語家は芸に人間が出る。まじめな人間はまじめな芸になる。人を見下した人間は人を見下した芸になる。芸はごまかせない。医者も同じようですね。診療に人間が出る。たしかな知識をもとにして、その上で話芸で人をよくしていく。
S先生は「よくおれの話を聞いてる」と仰った。
S先生は酒をたくさん飲む。S先生が指導医であったら、とても怖かろうと思った。
空谷子しるす