産婦人科

当院はゆるやかゆえ、当直も希望制であり入らなくてもよい。

私はここ数か月当直に入っていない。

手技や知識、症例を貪欲に学ぶ同期達に気圧されたのもある。

救急が恐ろしくなったのもある。

とりあえず生きていければよいと思う。

私は無能である。

讃美歌にあるように、「世の友我らを捨て去る時も」神さんはこちらを見てくれているのなら、人間に背かれる苦痛にもなんとか耐えられる。

人生は一切皆苦である。自力でどうにもならぬ以上、私は祈り求めて与えられてきた。自力で獲得したものは何一つとして所持していない。

産婦人科で分娩を見ていると、この子達はむろん私より遥かに優れた資質があるだろうから、人生を逞く生き抜いていくのには違いないが、もし万が一私のように無能に苛まれることがあれば気の毒である。

分娩はほぼ必ず会陰が裂ける。

イヴが楽園追放の罪のために出産の苦しみを義務付けられたとあるが、たしかに出産は大変な出来事である。

日本神話にてイザナミは火の神カグツチを産む際に産道を焼かれて絶命したのであった。

出血する会陰を処理する医師の手元を見ながら、この赤い血が炎に擬せられたものかとも思える。

自力も、社会的つながりも、私のような愚かな人を救い得ぬゆえ、そうした外道のために神や仏の需要は尽きることはない。

論理的に神はいないと言えたとしても、聖書にあるように神の名は「私はある」という名であって、ただそのように思うより他は無い。

自力を恃める人は自力によって生きるのがよい。

神仏に祈らねばならぬ人は祈らねば到底生きてはいけぬ。

祈っても苦しみが止むことはない。

しかしわずかに生きることはできる。

空谷子しるす