明らかに変わった。
彼は今や「その時」を知っているのだろうか。

これまで一貫して不屈の人であった。
黙って今の戦いに耐えていた。
マラソン走者が黙々と走り、時折遠くを見やる。
ゴールはまだ遠い。

しかし、どうだろう。先日は違った。
ほとんど構音ができないながらも、しきりと感謝の意を表現しようとしていた。
加えて、「大好きです」と。
彼はこれまでも、事態が極まると、そんな風に茶目っ気たっぷりに振舞うことがあった。
事態をうっちゃってしまって、後は寝て待て、酒を飲んで待て、というような。
頑なな彼が他者に委ねて<わたし>を開放する時。
アタラックスPの頻回使用で嘔気が緩和された影響もあるとは思う。
しかし、より正確には、彼は「その時」を知るに至ったのではなかろうか。
<わたし>を包み込む「その時」を知り、他者に向かって<わたし>を開いているのではなかろうか。

友としてそれは幸いのことのように思う。
死が?
実のところ私はそればかり祈っていた。
死を?

家族によると、私に全て任せると言っているようだ。
この全幅の信頼は、逆説的に私を打ちのめす。
ああ、私に何かできたらいいのに。
私に技術さえあれば、この信頼をもって、彼を治癒せしめ・・・

私は治療する者としてまなざされていた。
私は巧みに、治療する者としてまなざされる分だけ治療する者であった。
しかし、一貫して私は祈る者として存していた。
機は熟した。
私は治療を撤退する治療者としてまなざされている。

これは奇跡に違いない。
いな、彼の死が奇跡だなどとばかげた話だ。
いな、死は奇跡だ。
生が奇跡なら、生の原因であるところの死も奇跡だ。
私はそこに、祈る者として存する場を、辛くも得た。

「その時」は近い