ころな

5歳娘と

娘「パパ、もうレストラン行けないからね」
父「どうして?」
娘「緊急事態宣言だからよ」
父「緊急事態宣言ってなに?」
娘「幼稚園の先生が言ってたんだよ」
父「緊急ってなに?」
娘「コロナが大変なんだよ。パパ、病院で働いてるんだから知ってるでしょ」
 「コロナってなに?」
父「コロナはビールよ」
娘「コロナはばいきんでしょ!」
 「コロナはどうやったらやっつけられるの?水?」
父「ビールでやっつけるよ」
娘「なんでビールなの、もー」
父「ビールはアルコールよ。アルコールでやっつけるよ」
娘「ふーん」

素寒

じゅんじゅんで

2歳3ヶ月男児のこと

最近、何かにつけて「じゅんじゅんで」と前置きする。
行為の前に発せられる。
その意味するところは、「自分で」である。
何かを食べるときも、コップに牛乳を注ぐのも自分でやろうとしなければ気が済まない。結果、床が牛乳まみれになる。
風呂掃除のときも、すかさずやってきて、じゅんじゅんで、とやるのだから閉口する。
その行為が自分で完遂できるか、という見立てはまるでない。
とにかく、自分が関わる行為は、じゅんじゅんでやりたい。
誰でもなく、<わたし>がしたい。

時を同じくして、正確には、それに数ヶ月先行して「見て」という要求が頻用されるようになった。
最近では、帰宅すると、まず「見て」と発語され、手をとられて舞台に連れて行かれる。
見て、と言われるから見る。
見ているその最中にも、重ねるように「見て」と要求される。
見られている以上に苛烈に、とにかく見られることを欲している。
そこから結論されるのは、<何かしていること>を見て欲しい、のではなく、何かしていることを<見て欲しい>。
目的は見られる、という他者のまなざし。
<他者>にみられたい。
この他者は必ずしも親である必要はないようだ。
しかし、全くの他人ではいけない。親しいと感ぜられる他者。
他者がある程度、親しくなれば、彼は其の者の手をとって、「見て」とやる。

これら「じゅんじゅんで」と「見て」をまとめると、
彼は<わたし>がしたくて、それを<他者>に見られたい。

なるほど、2歳2語文はその通りだとうなずかされる。
彼は2歳ぴったりでは2語文はほとんど使わなかった。
しかし、2ヶ月ほど経ると、いつのまにか2語文を使用するようになっていた。
2語文では主語がたつ。
「ママいない」といった具合に主語と述語が構成される。
「にゅうにゅう(牛乳)飲む」のように述部のみのこともある。
しかし、より革命的なのは主語が据えられることだと思う。
<わたし>が・・・

「自分」という言葉の面白さについて聞いたことがある。
自ら分ける/分かる、自ずと分ける/分かる。
自分という表現には、自と他の区別が含まれているようだ。
「じゅんじゅんで(自分で)」という要求には、まず自分と他者が区別されなければならない。
誰かに「見て」と要求する際にも、自他の区別が前提されている。

言葉の獲得について、チョムスキーは生成文法を唱えた。
経験的な言語への曝露以上に、そもそも生得的に文法を理解する能力がある。
なるほど、人間のCPUには言語に関わる根本的な能力が含まれているのであろう。動物と人間を弁別するところの、言語使用能力だもの。

それ以上に、彼の「見られたい」という欲望を駆動させるものは何か。
文法以前にある、あるいは文法と同時に立ち上がる「他者のまなざしへの欲望」はどう説明したらいいのか。
私は何も抽象物を据えたいのではない。
生活実感として、私と妻は彼の「じゅんじゅんで」という欲望と、「見て」という欲望に圧倒されている。

素寒

はんのう

5歳の娘と

父「ちょっと体がかゆいな、花粉症かな」
母「ももちゃんもかゆいみたい、花粉症かな」
娘「花粉症はなんで起こるの?」
父「ん、花粉症な・・・体が反応してしまうねん」
娘「はんのうってなに?」
父「ん・・・、体が気にしちゃうってことかな」
娘「パパは気にしての?」
父「ん、パパは気にしてないんやけどな。パパの体が気にしちゃうんかな・・・」

素寒

先のこと

一寸先は闇というがこれは当たり前のことであって、先のことなど誰もわからぬのである。

先のことはわからぬと言ってしまえばしかし人間社会は成り立たぬから、どうしてもわかる振りをしなければならぬ。あれをする、これをする、「ふつう」ならこれだけのことができる筈だ、してもらわねば困るという風に、世間の平均から推計をつけて、そうして諸予算を組んでいくという次第だ。この次第はそれぞれの仕事、学業、界隈で異なるのであって、難しいのでなかなか私は弁えるに至らぬ。

世の中に優れるということがある。

なにかがよくできるということであるが、なにかよほど変わったこと、たとえばとんでもない良い絵を描くとか、学問上の思いもよらない大発見をするとか、そんな突拍子無いこと以外は、優れるということは本来せねばならんことや期待されたことをよくこなし、その延長も能くすることを言うようだ。

つまり未来を勘定にいれて、その勘定を満たした上で、さらに余分な利益まで出してくれるというのが優れるということかと思う。

誰かが優れていれば人間はみな助かるのである。だからみんな優れる人を褒めるし、優れる人に応分かそれ以上の待遇を与えるわけだ。人間はみな褒められたいし、物欲があったり、万人の福利になりたかったり、自分が人間の間で生きていてよいというお墨付きが欲しかったりするから、どうしても優れたくなる。それでどうしたら優れられるかを考えるのに必死になり、地上を駆け回るのは自然なことかもしれぬ。

イタリアの片田舎、サンジョバンニロトンドの聖人ピオ神父は本当か知らぬがよく人のことを見抜いた。

ある若い神父が、これからローマに勉学に行く。遠くに行くのだから、しばらくピオ殿に会うわけに参らぬから、別れの挨拶に来たと言うたら、ピオ神父はわなわな震えた。

「勉強!それよりあなたは自らの命のことを考えなさい、命が失われたなら、勉強など…」

果たしてその若い神父はすぐ後に頓死した。本当は彼は勉強をしている場合ではなかったのであった。ローマなどではない、本当にこれから自らが行くことになる所のことを考えるべきであった。正確なところは忘れたが、こんなような話であった。

未来のことなど、私はなにもわからぬのである。

それはほんのちょっとのこともわからぬのであって、一寸先は闇なのである。

時間の管理といい、予定の管理といい、自らを研鑽して成長せしむるという。よいことである。

しかし一切は、私はどうしても神様といいたくなるから(べつに神社でも如来でも天の父上でもそこは各人の自由である)、神様からの賜り物と申したくなる。

むろん私もかろうじて人間だから、社会的の事柄はちからの及ぶ限り守るけれども、この一寸先は闇という感覚は自らの根底にあって真実離れぬ。この今、この今をちからの限り懸命するより私にできることは無い。

それが良いとか悪いとか、いずれはこうならねばならんとか、こうせねばならんとか、

さまざまなことがあっても今を生きるよりほかに何もできんのが真実である。

なんぼ経済が卓越しても本当は未来を算盤できんのが真実である。

今、今、今であって、計算できぬ事柄は、祈り、祈り、祈って求めるより他にあるまいというのが、才覚の無い私のような人間の生きる道かなと今の私は考えている。

空谷子しるす

高い

3歳の娘と浴室で。

娘が妻のボディーソープを使い始めた。

私「ママ、高いから怒っちゃうかも」

娘「高い?」といって娘のミニオンの黄色いボディーソープと妻のボディーソープを並べて背丈を比べてみせた。

私「そうだね、ママの方がちょっと高いかもね」

崇める

子供を連れて近所の公園へ出かけた。自転車に乗りたいというので、ほぼ物置兼書斎と化した応接間に収納してあった折り畳み式の補助輪付自転車を周囲に無造作に積まれた段ボールを乗り越えて壁を傷つけないように玄関に運び出す、この作業だけで一苦労だった。子供はペダルを反対向きに漕いで、漕いだ気になっている。私は自転車の背にささっているハンドルを操作して子供を誘導する。ハンドルは馬鹿になっており、右はよいが左は目一杯回してもほんの少ししか方向を変えてくれない。子供は高速でペダルを反対向きに漕ぎ続けている。

一番近所の公園は遊具が工事中であり、遊具の周りがパイロンとバーで囲われている。諦めてもう一つ近所の公園へ行った。ここも滑り台が新しくなっていたがもう工事は終わっている。子供は滑り台が好きなので真っ先に滑るかと思ったら、砂場遊びから取りかかった。小山を作り水をかけると個物が浮かび出てきた。砂の塊かもしれないが動物の糞のようでもあり子供は喜んだ。そのあとは滑り台、ブランコ、シーソー、ウンテイを順にひとしきり利用して帰路についた。

NPO法人設立後初の総会の日であった。流行病のためZoomという遠隔通信のためのアプリケーションを利用し、特定の会場は設けなかった。予約時刻の設定が米国時間になっていたようで定刻に入室できないという自体が発生した。上手くいかないことを前提に30分前に練習時間を作っていたのでiさんが対処してくれた。

電波が悪いのかpcの性能の問題なのか通信は途切れ途切れだった。文字通り間が抜ける、ということが起こる。衣擦れや吐息、ちょっとした仕草等々は当然抜け落ちるが、事務的な話であれば特段の支障はないかもしれない。ただ普段に輪をかけて間抜けになるので話はしづらい。

oさんは神道とケアについて、レクチャーしてくれた。ケガレを排除するという伝統があり神道にはケアが馴染みにくいという。ただケガレという伝統も実は近年のものであり、ターンオーバーも速く、変容への親和性も高いといった指摘もあった。神と共に日々をありがたいと思うことが神道の重要な側面ではないかとoさんはいう。

なんでもかんでも崇めてしまうということには危うさもあるが端的に素敵なことでもあると思う。憑依された人は現代の日本における西洋医学的精神医学ではICDやDSMの手にかかれば、治療の標的となることは明らかであるが、それを医学的に囲い込むことなく崇めてしまう。問題を個人に属する事柄としてではなく、コミュニティの問題として対処していく、という開かれた方向性があるように感じる。

oさんの話を聞くたびに、中井久夫の治療文化論を読み返したくなりうずうずしてくる。それで子供が寝てからこっそり布団から抜け出し、読み返していた。

ひどく大雑把に言えば創造の病い、広くは個人症候群、治療文化の話が書かれている。大切なことは周囲が見放していないことである、というような文言がある。見放すとはどういうことか。問題をコミュニティから切り離し、当人だけの問題と見做すことではないか、関与を否定するということではないか、責任の所在を当人のみに帰属させるということではないか。自由と責任はフィクションの下で機能するが、フィクションのフィクション性を剥奪することはコミュニティとしての変容の拒絶に通じる。

ラカンは不安のセミネールの中で、不安をハイデガー的気遣いSorge、サルトル的真面目さ、フロイト的予期の三方向に分けて述べている。ケアは遡れば、ハイデガー的Sorgeに通じるだろう。死を想うことを神道は忌避するという。生と死や自由と責任、共同性と自律性、時間と空間といいかえてもよいかもしれないが、すべてフィクションだが真に受ける、ありがたく思う、崇め奉る、そうした土壌を神道というのだろうかと徒然に思った。フィクションのフィクション性を暴くということが、王様は裸であると叫ぶことだとしたらそれは大したことではない、というのもそんなこと皆初めから重々承知の上なのだから。フィクションを真に受ける、というのはだから倫理と言ってよいのではないか。裸の王様の大衆に問題があるとすれば、それは信じた振りしかできなくなっていることではないか。

本当に難しいのは疑うことではなく信じることである、というのは少女漫画のセリフからの引用である。

子供が布団の上で叫び出したので、書斎から戻らねばならない。

1歳になったばかりの次女は夜泣き、もうすぐ4歳になる長女は夜驚を起こす。子供は泣き叫び、宥めようとしても手を払いのけ体を押しのける。次女が生まれてから長女と私はリビングに布団を敷いて寝ているのだが、ままままと夜泣き叫びながら寝室のほうを指差している。次女の反対側に寝かせると静かになり寝息を立て始める。私もまた横になる。

「さよなら」を臨床医学に

「さよなら」を臨床医学に取り戻そう。
その責務がわれわれにある。

ある宗教学者は、死によって無に帰すのではなく、「死はお別れ」と認識するようになった途端、死の恐怖が和らいだ、と自らの闘病生活を振り返った。

別れる。
では、その人はどこに?

患者に具体的な信仰があれば、その信仰に合う彼岸を前提とすればよいだろう。
しかし、神無き現代において、我々医療者が彼岸について具体的に言及することは難しい。

具体的な神は無い。
しかし、something  greatは存するか。

死の表現は様々にある。
終焉、絶命、永眠、死没
などと単に終わりを告げるものもあるが、

逝去、他界、辞世、不帰
などと移動を示唆する表現も多い。

しかし、どこに?

「さよなら」は世界一美しい離別の言葉。
アン・リンドバーグがそう賞賛したというこの言葉は離別を直接的に示してない。
「左様であるならば」

我々は死別に際して、どこかへ移動することを漠と想起しながら、「左様ならば」とおおらかに生を総括し、死と向かう。

これら素朴な言葉の中に、われわれの死に対する素朴な感覚が伺える。

翻って、現代の臨床医学は、この別れの様態をどのように捉えているのか。
「呼吸音、心音、対光反射がない」
医師はこの3つのないをもって、死があると診断する。
カルテにも「~時~分、死の三兆をもって死亡確認した」とのみ記載する。
医学的な死の記述として、この一行のみが記録として求められる。
もちろん、その時家族の誰がどのように振る舞ったかを記載する場合もある。
しかし、必要十分な記載は、この一行である。

「ない」という死の三兆が「ある」。よって、死が「ある」。
ないがあるからある
考えるほどに思考が迷子になる。
悪い冗談のようにも思える。

しかし、この冗談ともとれるロジックを展開しなければならない、やむにやまれぬ事情がある。
主治医といえど、24時間側にいることはできない。
急性期病院において、一睡もできない当直勤務を終えた夜に担当患者が亡くなることもある。
弁明のようで心苦しいが、われわれの体力にも限界がある。
そのような激務を緩和するために、当直医が担当では無い患者の死亡診断を行う。
会ったこともない、すでに生体反応の途絶えた患者に、上記三つの無いでもって、死を宣言する。
このとき、死の3兆以外の何かを見出すことは不可能と言える。

しかし、だからと言って、死別を常に死の3兆で切り取るのみで済ませてよいわけではない。
と私は考える。

われわれは否定ではなく、肯定でももって死と向き合うことができるだろうか。
「さよなら」についての考察が、死の肯定性を捉えるヒントをくれるだろう。

「さよなら」を臨床医学に。