多賀

多賀大社は近江にあって伊奘諾命を祀る古社である。古事記に「伊耶那岐大神は、淡海の多賀に坐す」とあり、少なくとも古事記の頃から伊奘諾命をお祀りしている。

朝から着古したスクラブを洗濯に出しに病院に行くと循環器内科医とすれ違う。会釈すると彼もわずかに会釈し目を反らす。

医局秘書の女性は看護師と話している。私は以前自分はなぜモテないのかと秘書の女性に問い詰めたのですっかり嫌われてしまった。しかしどうしようもない時は周りにぶちまけるしかない。自分が潰れて死ぬよりましだ。

スクラブを洗濯かごに放り込むと妙にお多賀さんにお参りしたくなった。天気予報は雨だったのに空は徐々に晴れてきていた。もともと昨日は椿大神社が気にかかっていたが片道一時間半もかかるから無理だと思っていた。日頃からお世話になっているお多賀さんにお参りするのはとても適切に思えてきた。

多賀というのは不思議な土地である。

近隣の深い山の中に三本杉なる霊木あり、上古の昔伊奘諾命伊邪那美命の二柱はこの杉に降臨給いたのが多賀の宮の始まりという。多賀の山の中は深い。惟喬親王の都より逃げ給い、この多賀の山中に隠れ杣人に仏具を模した木椀をろくろもて作ったるが日本の木工のはじめだ。木地師というのは所謂木工職人のことで実に日本中の木地師は多賀山中の木地師の本拠地から印可をもらわねば商売する能わずと。大君が畑という地名は実に惟喬親王を讃えた地名ならん。なお政所とあるも惟喬親王のゆかりならん。政所に惟喬親王の墳墓あり。さらには政所は日本最古級の茶の木あり。樹齢三百年を数え、その味きわめて素朴ながら不可思議に複雑なり。政所茶は大津の中川誠盛堂にて販売せらる。

さて多賀三社参りとていつの頃から人の言うならん、多賀胡宮大瀧の三社もて三社参りと申すはいかにも滋賀県の観光誘致の方便なるべしと思い定めつれどもこれまた稀有なるご神縁の機会なれば本日いかにも晴天にて風涼しく、青竜山が私を誘うようだ。

胡宮神社は伊奘諾命伊邪那美命二柱をお祀りする古社にて創建の由緒不明ながら上古の昔より崇敬せらるるお宮なり。かの東大寺を勧進したる重源もまたこの胡宮神社にありし敏満寺に合力の依頼を書状にしたためてあり。青竜山背後にあり。標高三百三十三米なり。これ昔は神体山、すなわち山自体が御神体であったことと思う。その証拠に山頂には磐座と小さな池あり。この池かつてはこの磐座参拝の前に身を清めるのに用いられたと伝わる。この池のあるによって龍神の山に住まいたることが連想されたことから青竜山の名が付いたかと思う。磐座は社殿を必要とする以前の信仰のなごりだ。岩に神様が降りてくるという信仰だったかと思う。山の中の巌にて神様をおろがみ祀った。山そのものが聖地のなり、ふもとから山を拝むこととなったのが神体山の信仰と私は理解している。胡宮の信仰は大変古いことがわかる。また麓には石仏谷と申して古くは十二世紀ほどの時代からのあまたの石仏、あまたの墳墓あり。今なお発掘調査せらる。敏満寺は天台宗の大寺にてもともとの創建は飛鳥時代の敏達帝の御代になされた。以後拡大続け城郭を擁するようになったが十六世紀織田信長に焼討にせられて寺院ことごとく灰燼に帰す。焼け残った礎石のたぐいを古井戸に投げ込まれたのが、平成のいつごろかに掘り出して胡宮神社の境内に積み上げてあり。これを焼石の塚と申す。胡宮神社は多賀大社と同じ御祭神にて延命長寿の霊験あらたかなりとぞ。

さて多賀三社参りの最後は犬上川上流に御鎮座せらるる大瀧神社にて、きびしい巌を縫うような清流の傍らに坐すお宮なり。

これは犬上氏の祖先稲依別命にゆかりあり。御祭神は高龗神、闇龗神にて京都貴船の貴船神社と同じ御祭神にして水の神様なり。これは川の上流、水源地だからこうした神様をお祀りするのだと思い、「水の神」だったから後の世に水の神様である高龗神闇龗神を祀るとしたのだろうと思う。犬上氏は今の豊郷町に犬上神社あり、これは犬上氏の祖神稲依別命をお祀りする。なお稲依別命は日本武尊の王子なり。日本武尊は瀬田川の建部大社に祀られてあり。近江に日本武尊の足跡多い。そういえば伊奘諾命は琵琶湖を渡って大津の三尾神社に至った。長等山を目指して淡海を渡った。これは多賀の地から淡海を渡ったものか。近江には伊奘諾命の足跡も多い。三尾神社は全国に珍しい「兎」を神使とする宮である。

さて話を大瀧の宮に戻そう。

稲依別命、犬上の土地に至ってこの地を治めんとしたとき悪しき大蛇が犬上川に住まうと聞いた。これを討つため愛犬小石丸と共に探索に出たが中々大蛇見つからず。七日七夜過ぎて稲依別命疲れたものか寝入っていたら小石丸盛んに吠え始めて止むことがない。怒った稲依別命一刀抜き払って小石丸の首切り落としたら首は地に落ちずして飛んで薮の中に入り、薮に潜み居た大蛇が首に噛みついてこれを絶命せしむ。小石丸は主人を守るため盛んに吠えたのだ。稲依別命は愛犬の忠義に感じ、またその命失ったを悲しみ、愛犬をこの地に弔い松の木を植えた。これ犬胴松という。いつの世に枯れたか知らぬが大瀧神社道路挟んだ向かいに犬胴松の木の乾いたものが今でも祀られてあり。小石丸の首は大瀧神社の脇、巌を縫う急流を覗くような場所に祀られてあり。

さてさらに適当なことを書けば、敏満寺焼討の際に不動明王を救出したのは佐々木隼人庄宰相と申す者にて、今の世に至るまで不動明王を清涼山不動院とて敏満寺の集落内に守り伝えている。あまり調べていないがこの隼人庄と言うからには昔この地には薩摩隼人が移住したものか。たしか奈良時代に国策として隼人をあちこちに移住させたことありと開聞岳ふもとの資料館で見た記憶あり、その一例といえば山城は田辺の棚倉彦神社の隼人舞を見よ。舞に用いる盾には隼人の用いる赤い渦巻き模様が今も描かれている。

さらには近隣に楢崎古墳あり。横穴式石室。古墳の様式はよく知らんが渡来系の影響ありと言われていて、考古学に知識とぼしく不勉強だからこれ以上はわからん。

日本史では所謂遣隋使に犬上御田鍬が行ったのは有名な話だ。それは小野妹子もまた渡来系氏族の出にして派遣された(近江は大津の小野に小野神社あり。小野氏は実に日本に最初に「おもち」を持ち込んだ大偉人が先祖だ。なお「おまんじゅう」を日本に最初に持ち込んだのは大和奈良、高天の交差点近くに坐す漢国神社、その境内にある林神社に祀られている人だ)のと同じで、犬上氏も渡来系氏族かあるいは渡来の文化に詳しい氏族だったのであろう。

さても多賀、犬上、豊郷の地は面白い土地よ。歴史は深く複雑である。

よし、人から蔑まれることあったとしてそれが渡来、薩摩隼人の故に古代疎まれたならば、そのよし今は蔑むにあたらず。蔑まれることは別に近代江戸幕府のフィクションではなく古代よりのことだが、古代に遡ってその理由蔑むにあたらぬことを弁えるのが大切と私は思う。思うのだがこれはいかにも浅学の私が断言すべきことではない。

精神科の指導医に乞われるままに豊郷、犬上の自分の知っていること話したら喜ばれ、

「今からでもその道に行ったらどう」

と言われたのは医師が向いてないと言うより古代を話す私が楽しげだったからであろう。

実に文学部、古代史の研究で生き残るほどの卓越した実力は我に無い。無いが、医師として、またご神縁にて、こういう日本の神々のことは実は世界中の万国民に有用な気が私はするからできる範囲にて考えたい。神様が与えて下さるなら至るだろう。

多賀三社参りはよいお参りだ。

空谷子しるす

精神科2

患者の女性がまた飯を食べられなくなった。

彼女はまだとても若いが、小さいころから父親との関係に苦心した人だ。父親は教育水準の高い人で、繊細でしかも体格のよい男性だ。

どうも「ちゃんとしなければいけない」という観念が彼女を小さいころから苛んでいたように私には思われる。父親は弱いところがあり、「ちゃんとした」状況から逸脱するような彼女を打擲した。彼女は音声言語を発せなくなり、自傷、自殺企図が発生し、彼女が言うには複数の人格が彼女内に出現した。

彼女は東田直樹さんが自分に似ていると言うのだ。

難しい文章は書けるが文章を読んで理解することが困難である。知的な障害があるとみなされるが算出されたIQに見合わぬ情報を取り入れたり発信したりできる。東田直樹さんも自身の使用する語彙が豊富なことから周囲による文章の捏造を疑われることもあるようだ。彼女もまた、複雑な文章を読めるのに何故言葉が理解できないふりをするのか?不動産屋とメールでやり取りするのに慣用句も漢字も使うのになぜ普段ひらがなの曖昧な書き言葉を使うのか?本当は自らの症状を偽るところがあるのではないかと時に疑われる。真実は正直なところ私には分からない。しかし彼女が自分はこうした人間だと思うのなら私はそれでよいと思う。彼女は「そうした人間」なだけなのだ。あとは彼女が苦しみ過ぎぬ程度に世の中と折り合いがつけばよかろうと思う。

彼女はしばしば尿閉になるかと思えば、失禁してしまう時期もあった。自らの意識か無意識か、下部尿路は意のままにならぬようである。そうして精神的な負荷がかかると心窩部痛が出現する。ネキシウムやレバミピドを指導医が用いても奏効せず。ブスコパンもあまり効かない。一、二週間ほどすると収まる。EEGにも著明な所見はなくバイタルの変動もない。

この間から彼女は外出訓練をするようになった。しかしそのことが彼女を不安にしたようだ。外出自体も彼女に負荷を与えたが、さらには一人暮らしやグループホーム暮らしのことを考え、彼女はどうも自らの容量を超えた重責を得たようだ。再び心窩部痛を訴え、呼びかけても反応しない。

私は指導医に頼り、自らの遅鈍な頭脳で勉強を進める他にない。

看護師をはじめとした周囲が私を軽蔑している気すらしてくる。

「おいっ貴様医者なんだから患者を救わねばならんぞ。それができんオツムと体力しかないならば直ちに医者をやめよ」

かかることを言う内科医は多い。これは真実である。

しかしながら真実は正しからず。私は神にのっとって進む。

基本的に神様の言うことしか聞かぬ。

空谷子しるす

精神科1

「あの先生はエビデンスに基づいていない。注意したほうがいい」

ある医師が私の指導医について警告を発した。

私はと言えば、教科書やガイドラインをよく読まないので当該医師が標準治療から逸脱しているかはわからなかった。指導医のうけもつ患者の半分を担当し、彼らの話を聞いて回るので精一杯である。

しかし患者たちは安定を見せた。

私の研修病院ではどつぼにはまるしかなかったような高齢のアルコール依存患者が生き延びて、立って歩いて帰った。

入院したらどのみちある程度落ち着くものだろうか。外来患者のコントロールも悪くないようだった。

統計をとれば医師たちの「優秀さ」は評価できるものだろうか。エビデンスは有用であるが万能ではないことは全ての医師が認識している。その上で、多くの医師はエビデンスに基づかない治療をする医師のことを憎悪し、知識の浅い研修医を侮蔑する。

「エビデンスというのは医者の勝手で、患者からみたらいい医者というのは全く別だ」

箕面の神父は言った。

「自分が信頼できるかどうかだ」

医療界には「やさしいヤブ医者」という言葉がある。

患者にやさしく、信頼されるが、医学が疎漏なので患者を死なせるというのだ。

こうした医師がただのヤブ医者よりもはるかに有害だとされ、平凡な医師たちは日頃己の命を削ってエビデンスを追究する。医学は無限に更新され、常に「お前の治療はエビデンスにもとる」と陰に日向に侮蔑される恐怖と戦わなければならない。

少し話がそれる。

こうした状況下で「頭の悪い奴は医者をやめろ」という言説が現場で飛び交う。無能な人間は有害だと言うわけだ。そこには互いに補い合うといった発想はない。体育会系部活動に表れるような、日本の学校教育における実力至上主義を背景とした無能を排除する構造を私は疑う。それはとても合理的に見えて人間を使い潰す思考である。組織はむしろ脆弱になり、慢性的な人員不足から優秀な人間までも破滅していくことを私は予想する。

話を戻す。

優しいヤブ医者という現象は本当に出現し得るのだろうか。

箕面の神父によればそれは嘘だと言う。

それはそうだ、患者も馬鹿ではないから、おのれに真摯に向き合う医師かどうかは分かる。真摯な医師であれば、真摯さ故に完璧でなくとも最善の治療を彼ないし彼女の力の範囲内で行うはずだ。結果的に現代の標準治療を「すべての点において」遂行することができずとも、患者は不平であろうか。

むしろ知識で武装した上で高慢かつ冷徹な態度を取る医師を患者は納得するだろうか。

私の兄は刑事だ。ある人が死亡し、死体検案書を要することは多い。三次救急病院にかかりつけであった場合、そこの医師はしばしば死体検案書を拒否する。「警察はなにもわかっていない」「私は今忙しいんですがね」彼らの苛烈な職場環境は彼らを残忍な人間にしていく。彼らが愚かだと思う人間たちを見下し、人の死を軽侮し、自らが修羅道を往くことのみに誇りと生き甲斐を感じる。

やむを得ないことだ。理知、合理の修羅道におかれた人間がしだいに修羅に変ずるのは当人の責任ではない。本居宣長は古事記伝の中で理知、合理の精神を「からごころ」と呼び批判した。細かくは覚えていないが、実用性がなく硬直的で戦闘的という欠点があるということだったように思う。実用性の無さについてはどうだかはわからない。西洋科学の理知、合理は患者たちの疾患に一定の有用性があるからだ。しかし理知、合理の追究は人をだんだん戦闘的にする。医療はおのずから人間と向き合う領域である。人間の不合理性も認識せねばならない。理知のみの修羅に果たして人間が診られるだろうか。理知のみの修羅に診てほしくないから「共感と傾聴」などという言葉が昨今の医学教育に頻繁に出現するのではないか。患者も馬鹿ではない。理知の修羅の形式的な共感と傾聴は無価値であることを見抜いている。

しかしながらエビデンスというものの有用さも大切なことは論を俟たない。

できる範囲で私もやろうと思う。

できる範囲でだ。

空谷子しるす

角鹿

角鹿と書いて「つぬが」と読む。つぬがというのは敦賀の古名であって、昔当地に渡った新羅の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)にちなんでいる。

人の世は不穏に満ちておった。先の首相が射殺されたり、日本国内の給料が上がらなかったり、露国の独裁者と烏国が戦争したりしていた。病棟では患者が不穏になり、扉を乱打する音が響いていた。

私は気比神宮に行くつもりになった。

とてもよく晴れているから気比神宮に行くのだ。

ラジオは藤井風の「まつり」を流していた。祭りは神様がいなければ塩味の無い塩のようなものだ。神様と人々が楽しむのが祭りである。

敦賀の気比神宮は神宮の名を持つ通り立派なお宮である。清々しい風が吹き抜けて邪な思いは流れていく。都怒我阿羅斯等を祀る角鹿神社は気比神宮の摂社である。隣には子どもを守護する兒宮があり、静かに鎮座ましましている。

昨日は重症心身障害児の在宅訪問診療を見学した。

人は人を見ると間違える。

夜、鹿児島の桜島が噴火した。

世は乱れ、さまざまに入れ替わる。御代替わりとはそうしたものであろう。人間はいい加減なものだ。今の世に褒められる人間に英雄の例しは少なく、全てはただ夢中の中に行われて先の世で検められる。

人間を見ない方が良い。夜の闇に目を凝らす。

空谷子しるす

晴れている

このところ雨が続いたがそれが一段落して晴れている。

精神科のために外病院に出ねばならない。毎日そちらに行く。毎日病棟をぷらぷらして気のないカルテを書く。気のない割には気を遣っているから、毎日妙に疲れる。

精神科とは奇妙なところだ。患者たちはたしかに普通でないようだが、冷静に考えたら別に大して変わらない人間である。誰だって気に入らない時は殴りたくなる。パンツを脱ぎ散らかしたり、訳がわからなくなって小便をそこらにする。「そんなことはしない!」と言える人はよほど幸せな頭をしている。前後不覚になって、あたかも異邦人が太陽の光のために殺人を犯したように、赤と黒の中で青年が殺人を犯したように、そうした人間の混乱をつゆしらず、親の金でのうのうと暮らしてきたのだろう。そうした人たちは叩き起こされて寝ぼけたことすらないようだ。人間存在に絶対の自信がある、幸せな自力信仰の自由主義者だ。

ストレスがかかると性的な欲求が出る。人間には常のことであるが、自慰をするといかにも情けなく、自らが下等な人間に思われる。不細工な顔がますます不細工に、矮小な体躯はますます貧弱になる気がする。しかし身を焼く情欲はどうしようもない。一年目の研修医に風俗に詳しい男がいる。彼に今度神戸の福原を案内してもらう予定だ。ナポレオンが金を払って童貞を捨てたような哲学的な体験ができるとは思わぬ。なにしろ私の陰茎はここぞのときに勃たない可能性が高いのだ。ああ私は実に世間に無用な男だよ。みんな私をどうか憐れんでください。しかし侮辱せずに一人の人間として認めてください。私はなんの能力もないが、侮辱されることが宇宙で一番嫌いなのです。

私に寄る女性はみな年上か、器量も教養もない女性ばかりだ。そのたびに私は絶望する。私はとんでもない女に支配されるか、あるいは38から45歳の女性と結婚して子を諦めねばならぬ。誰もが私をたしなめる…私は身の程知らずにも子どもを持ちたいと願い、平穏な家庭を望んでいるからだ。私に年上の女性を薦める人たちは悪気なく私の本質を見抜いている。私に家庭を持つ価値は無いと言うのだ。聖パウロ、あなたは独身でいるならその方がよいと仰ったが、望まないで独身でいさせられる苦しみは大きいものがある。全ては私が愚かにも年齢や顔、教養、考え方があうかどうかで女を選別するのが悪いのだ。私がつまらない人間というのはそれだ。私はまともに女と付き合えたことがない。女に相手にされない男になんの価値があるのか。

精神科の病院は犬上の土地にある。犬上の土地は渡来の人々の匂いがする。安食の神社は百済氏の作庭の日本最古級の庭がある。天稚彦を祀る宮があるのは、彼は高天原に弓引いた男だから、とても珍しいことだ。犬上の土地は明るいだけの歴史ではなかったようだ。しかし諸々の罪穢れはとどまらず、生まれては流れゆく。

私はなんのために生きているのだ。天津神、国津神、どうか私に生きがいを与えてください。私によい医業とよい妻とをお与えください。

しかし医業はともかく、妻は「もの」ではないのだから、私のような醜い外道のもとへ来ることは永劫あり得ない。

空谷子しるす

ゆうかい警報発令

本日、京都市全域にゆうかい警報が発令された。
前日、小学校では誘拐に備えて登下校には保護者が付き添うよう言い渡された。
我が家では前夜より会議が開かれ、紛糾の末、娘は小学校を休むこととなった。

当日朝、布団にて
3歳息子:お父さん、ようかいに会ったことある?
父:うーん、あるかな
6歳娘:えー、あるの!?あー、おばけ屋敷であったことならあるね
3歳息子:ようかいって飛ぶんだよね?
父:そうやね、ぴゅーって飛ぶかな。ようかい怖いの?
3歳息子:うん、こわい
6歳娘:お父さん、ようかいやっつけられるよ。鬼さんもやっつけるもんね。
父:うん、お父さん、ようかいやっつけるよ。

その後、布団にくるまってポジション争いをする娘と息子
6歳娘:ゆうかいこわいよー
3歳息子:ようかいこわいよー

楽屋裏にて

司祭:ねえねえ、デフォーちゃん
デフォー:なになに、いいワイン入った?
司祭:違うのよ、昼間っからなに言ってるのよ、まじめな話よ!
デフォー:なによなによ
司祭:あのさー、最近若い人が何考えてるか分かんなくってさ。話が全然合わないのよ。
デフォー:あー、若い人難しいよね。もうBTSとか分かんないもんね。
司祭:無神論よ無神論!自分でなんとかなるって思ってるみたいなのよ。危なっかしくて仕方がないわ。
デフォー:それわかるわー、自分で運命を決めるとか思えちゃってるよね。聖書も読んでないでしょ。
司祭:そうなのよ!それよ!聖書全然読まないわよね、ほんとに世も末だわ。
デフォー:わかるわー
司祭:ローマカトリックがいけないのよ、自由意志なんて言い出しちゃって、腹たつわー
デフォー:そこなんよなー。自由意志って言われると若い人にはきいちゃうよね。
司祭:ねえ、ねえデフォーちゃん、あんたちょっとなんか本書いてよ。
デフォー:また藪から棒に。本ってなによ?
司祭:聖書を読まずに自由意志とか言ってると痛い目みるよっていうのがよくわかる本よ。
デフォー:いやいや、そんなの書けないでしょ。
司祭:あんたならできるわよ、小説なんかにしてさ、エンタメっぽく。
デフォー:えー、いや、企画としてはいいかもやけどさ、売れるかねー。
司祭:あんたいっつも飲みながらデタラメなこと言ってんでしょ。ああいう話でいいんだから。あんた才能あるわよ、やんなさいよ。
デフォー:自分で運命をつかもうとしたその先には過酷な現実があった!みたいなことか?
司祭:そうそう。運命を自分でなんて言ってないで、聖書一冊あれば人生なんとかなるっていうのがよくわかるような感じで書いてよ。
デフォー:それやったら、『夜と霧』読ませたらいいんちゃう?地獄のような現実のなかで、人生の意味を問うっていう感じで。
司祭:いや、フランクルちゃんまだ生まれてないから。それに『夜と霧』読んで、じゃあ聖書読むかって気になんないでしょ。
デフォー:それやったら、『生かされて。』はどうよ。過酷な現実のなか、祈りのうちにマリア様が出てきてるやん。
司祭:いや、イマキュレーちゃんもまだ生まれてないから。
デフォー:それやったら、もうキルケゴールでええやん。絶望の仕方もわかるし、キリスト者になろう、ってなるやん。
司祭:生まれてないから。
デフォー:あーみんな生まれてないんかー、やっぱ俺かー
司祭:あんたなのよ、あんたが書くのよ。
デフォー:いけるかも。ちょっとプロット見えてきた。
司祭:え、もう来ちゃったの、すごいじゃないのよ。どんなのよ。
デフォー:いやさー、大航海時代じゃん。若い子で命知らずだと、船に乗って、ブラジルで農園作ったりとか、黒人さらって奴隷にしたりして儲けたりとかはやってんじゃやん。
司祭:うんうん
デフォー:親の言うこと聞かずに船にのっちゃった若い子を主人公にするのわどうよ、いけるかな。
司祭:うわ、もうなんかいい感じじゃないのよ!すっごいデフォーちゃん、やっぱりできるわよ。
デフォー:あーいける気がしてきたー
司祭:過酷な現実みせてやって!
デフォー:無人島に漂流させるか。遭難して死ぬだけやとあっさりやもんなあ。なんかこう、死んだらまだよかったものの、無人島についてもうて生きながらえてまうっていうのはどうかな。
司祭:それいいね、非日常の後に続く、どうしようもない日常、そこで聖書よ!!若気の至りの後には必ず日常のしっぺ返しがくるんだからね!
デフォー:無人島で何年か生活してた奴おらんかった?船長と喧嘩して無人島に置いてかれた間抜け。
司祭:セルカークちゃんでしょ。
デフォー:それそれ。あいつ確か4年くらいやったよな。もっと長い方がいいよな。
司祭:20年くらいにしちゃってよ!舐めてたら現実がどんだけ恐ろしいか見せつけてやって。あと、摂理!摂理ってあるんだ、って分かるようにして。マジで大事だから。
デフォー:摂理かー。確かに、摂理を感じられんことには信仰は深まらんよな。じゃあさ、日付を全部そろえるってのはどう?初めて船に乗る日も、遭難する日も、島を出る日も全部揃える。どうよ。そんな偶然ないやろ。
司祭:あんた天才だわ、デフォーちゃん。あと、ローマ・カトリックの悪口も入れといて。
デフォー:おいおい、注文が多いな。
司祭:ありがとう、デフォーちゃん。今度いいラム酒ももってくからね。

当直明けの明け

今日は当直明けの明けだ。

くそ暑い。関西はもう梅雨明けらしかった。私の髪を切ってくれた美容師の人がそう仰っていた。美容院には猫がいた。白くて巨きな男の猫だ。

明けの明けは体が重い。当直は熱中症が5人くらい来た。あとは「1〜2週間前から調子が悪い人」が何人か来た。なんでわざわざ今日くるのだろう。2年目の研修医があなたの愁訴を解決できると思うのか?やれるだけはやります。でもやれるだけしかやれません。あとは知りません。

疲れていると落ち込む。この間デートした人は今週末法事があるらしい。そもそも好きかどうかもわからん。僕が女をえり好みするのが悪いという説は依然として有力だ。

結婚相談所の事務員は「積極的に活動しなさい」を繰り返していた。私に対して具体的な改善点を挙げることはないように思われた。彼女は私のことを「内気で弱気で奥手な男」だと思っているようであり、あらゆる女性のことを「素敵なお相手」として私に薦めてきた。私との相性とかを無視しているように思われた。適当な女性をあてがって、はげましてやれば喜んで食いついてカタがつくと思っているのか?と、私はいつものように被害妄想に火がつき、怒った。怒りの休会届けを提出している。さっさと退会できないのが私の愚かさだ。入会金11万を損切りできない。馬鹿だ。

東近江の山々が漠然とした近江平野にぽこぽこと並び立っている。その奥の鈴鹿山脈は夏の空気に霞んでいる。

むこうのホーム、駅舎の中、街の中に美しい女性は無数にいるのに、私はその誰とも縁がない。

小さい頃から三輪明神の夫婦石に願をかけているが、私の中のきたない心が見透かされて、いまだに縁がない。

大国主命は大変モテたが、たしかに私は彼ほどのカリスマは無いのだ。因幡の白兎神社にも行ったが、私はウサギより猫派だ。

明日から精神科なのだ。明るくなれない。

若い頃の椎名誠みたいになんでもケトバせるようになりたかった。もちろん椎名誠だって悩んだし、苦労はしたのだ。

でも僕も少し苦労したのだから女と付き合えるくらいあっても良くないか。

空谷子しるす

活動報告 2022年6月19日

コロナ禍でWeb上の活動を行っておりましたが,数年ぶりのリアルでの会合となりました.

○ラカンの勉強会
精神科医・思想家であるジャック・ラカンの講義録『不安』(岩波書店)をテキストにした勉強会を行っています.本日からテキストも後半に差し掛かりいよいよ表現が複雑さを増して参りました(汗) 先輩のレジュメを参考に少しずつ噛み砕き,ディスカッションをする中で,以前よりも欠如,対象a(アー),欲望,不安,倒錯,外傷といった概念について親しみを持てるようになって来たような気がいたします.

○映画鑑賞会
続いて映画鑑賞会を行いました.映画については,この映画を推奨してくださったSさんの文章を引用しておきましょう.

(以下引用)皆さんご存知かもしれませんが、ラカンの奥さんは、バタイユの奥さんでした。バタイユの奥さんは、ジャン・ルノワールの映画に出たことがあります。ジャン・ルノワールは、有名な画家オギュスト・ルノワールの息子です。バタイユーラカンの奥さんは、息子ルノワールの中編『ピクニック』で主人公を務めました。この映画、ロケの途中で悪天候に見舞われ、未完成に終わり、そのままお蔵入り。撮影済のフィルムはナチスに没収されてしまいます。戦後、シネマテークフランセーズの館長とプロデューサーがフィルムを集め、ルノワールの承諾を得て、作品を完成させました。ルノワールは作品の完成に寄与しませんでしたが、出来上がった作品はルノワールの傑作のひとつに数えられています。(以上引用終)

小一時間と短いのですが,一つ一つのカットや台詞に暗喩やオマージュが込められております.集中して鑑賞しました.現代の我々が『不安や欲望』といったテーマで映画を作るならばどのような内容にするだろうか?というSさんの問題提起で幕を閉じました.

○報告会
お昼休憩をはさみ(各自が持ち寄ったパンやチーズや缶詰を食べました)午後は近況等報告会となりました.其々の職場での活動や,今後の展望について語りました.日本酒と豆腐,発達と学習,音楽と読経,図書館のあり方などなど多彩なテーマで対話を重ねました.

本日は充実した一日となりました.当初やや長いかと考えていた7時間はあっという間に過ぎてしまいました.

今後とも臨床文藝医学会(りんぶん)を宜しくお願いします.

梅雨

滋賀は梅雨曇りだ。

昨日はマッチングアプリで知り合った人と京都府立植物園に行った。あじさいを一緒に見たのだが、色んな種類があるものだ。私はその人を好きなのかどうかわからない。その人と直接会ったのはこれが初めてだ。感じは悪くないが、私がどうしたいのかまだはっきりしない。考えるともやもやするから考えないようにする。

UNICORNのベスト盤を聴きながら電車は京都に向かう。奥田民生さんが人のライブに出たが、泥酔してろくに歌わなかったと聞いた。その人の歌をYouTubeで聴いたが私の好みではなかった。それで一瞬、奥田民生さんが泥酔してもしかたないかなと思ったが、どんな理由があっても侮辱されることは誰にとっても耐えがたいことだ。まして私は小さいころから同級生、先輩、後輩、先生などさまざまな人からバカにされて来て、バカにされることが死ぬほど嫌になった上、人のことをあまり信じられなくなっているのだから、いくらライブの人の歌がつまらなくて気に入らなくても奥田民生さんの行為を許すわけにはいかない。

たしか夏目漱石が「余は諸君らの台所に卑しいものを届けたことはただの一度も無い」と言っていたような気がした。調べても出ないから私の勘違いかもしれない。ただ、この言葉の表す気持ちは大好きで、卑しくないものを世の中に出すことはとても大切だ。五代目古今亭志ん生が言ったように芸には人間が出る。卑しい人間は卑しい芸になる。軽薄な人間は軽薄な芸になる。かたい人間はかたい芸になる。だから自分の中身を卑しくないようにするのは大切なことだ。自分で「これは卑しくない」などと思っていても、日頃が軽薄だったら出るものは全部軽薄になる。軽薄な芸は見るに耐えないと思う。軽薄な芸を世の中に流して世の中を軽薄にすることに憎しみや腹立ちを覚える。でもそうしたら自分も許せなくなるから面倒だ。自分だって軽薄で卑しい部分が沢山あるからだ。

批判というものは自分に返ってくる。だから人のことは見たくない。見ればさまざまな批判が湧くからだ。批判が湧けば、自分自身にも同じ批判が向いて、生きるのが辛くなるからだ。

私は昨日デートのあと、一人で上賀茂神社に行った。宮では夏越の祓をやっていた。青々した茅の輪はいいものだ。新しい草のにおいと上賀茂神社の境内の川の瀬の音が混ざって私たちの頭のごちゃごちゃを少しだけ風通し良くしてくれる。

梅雨曇りの下で頭と心を悩ませるということはしたくない。先のことを考えると、「こんな生活が一生続くのか」と思うと、誰しもやり切れなくなる。本当は人間の頭で先のことは一ミリも分からないのだ。先のことを考える人間は病気だ。しかも誰もがもっと先のことを考えるように互いに圧力をかけるから、耐えられなくなった人が死んでしまうのは無理もないことだ。

頭が悪くても性格が悪くても体がモヤシでも現在ただ今のことだけ見ておればよいのだ。未来のことも他人のことも見たくない。それはウィリアム・オスラーも言っているし、新約聖書にも書いてあるし、神道でも中今というのだから正しいことだ。

中今を邪魔する魔障は全て滅ぶべきだ。

中今についての調査は進んでいない。

今日は臨床文藝の集まりだ。私は徳利と日本酒を持って行く。割れないように気をつけながら、湿気に満ちた滋賀を南下しながら、結婚したいなあと思いながら。

空谷子しるす