覚書12

氷を三つ、入れて、水滴をなぞり、陽光を左の手でさえぎり、砂浜を眩しく眺めて、海面を乱舞する光の粒の脇で羽を休めている白い鳥の、波に揺られるままの浮沈を、全く意に介さない2、3の海水パンツの子供たちが駆け抜けてゆく それもいつのことか

私がこうして寝そべっているのは  度し難い厳密さで指を折り だから?と首を傾げる君の氷の眼差しを そのまま君に送り返す

叙情的な音楽を好む私はひどく蔑まれ それでも、人間くさいものに拘り続け 涙のひとつでも流せばよいだろう という君に 君が求めているものがたいしたものではないことを諭すような野暮はせまいと、苦笑いひとつで済ませ 雨が降りそうだ と真昼の晴天の遠くの空をみて嘯いてみせる、というのも人間臭い笑みを引き出したくて

よしおがみた彼女はもう少し角がとれ、洗練されたというよりトカイの荒波にもまれ擦り切れていたのだろう、よく言うように。信じまい。

あのときの光がみていた彼女の背がほんとうなのだ。

根源的不信が叙情的な音楽をかろうじてこの世に繋ぎ止める最後の藁なのだから、真実とか現実とか、気安い言葉に気やすく付き合えるように

よしおは彼女に手を引っ張られ、いつものように、足はもつれ、少し肌寒くなってきたねと銀杏並木の落ち葉と高くなった空を同時にぼんやり眺めながら呟くでもなく、声にもならず、ただうめきのように重低音が喉元で鳴る、彼女はそれに答えることもなく、ただいつものように振り返ることなく、前のめりの彼を黙々と引っ張っている 

目が合わない というのは視線を向けているということではない、ということを私は彼女にどう伝えたらよいか

彼女の隣についてきた男は視線を向けずに目を合わす人でそれですべてが救われたような気がした。

男は高い空を見ていただけだった。しかし彼は空を見ていたわけではなかった。同じほうを向いている ということは見られていることといっしょだった。

見ないことで見ることがある。空はいつも私の理解を超えている。

すると、彼女の手の湿り気を覚えた。彼女もまたそうして私を見ていたのだろうか。よしおは重低音を響かせながら恥じ入るように謝罪した。驕りは罪である。

彼女の汗を愛おしく思った。飛びついて抱きついて締め付けたくなった。彼女の手を少し力を加えて引き寄せると、倍の力で引き返された。彼女のこめかみに一筋の汗が滲んでいた。彼女の目は汗だったとそれで気づいた。もうよくなりましたと、次ははっきりと言える気がした。彼女に感謝しなければならない。すると彼女は、暑いですねえと。依然彼女の言葉は1mmも触れなかったが、抱きつきたい気持ちと感謝の気持ちは変わらなかった。うう、うう喉元を鳴らしせめて未来へ届けよと思った。

死に至る病

I先生に勧められてキルケゴールの死に至る病を読もうとしたのだが私にとってはあまりに難しくちっともわからなかった。

なんとなく

「すべてを可能にする神の可能性を信じぬことが絶望」
「みずからに課せられた十字架に従順でないことが罪」
という2点を論証しようとしているのかなと思った。合っているか間違っているかわからない。

自分に課せられた十字架に従順でないのはたしかに私のことだと思う。

私は自分がかしこいと思っている。しかし現実にはさまざまな人たちに劣っている。劣っていることがわかりながら、弱者の身振りをしながら、「おれはばかの振りをしているけど、実はいろいろわかっているのだ」とひがんでいる。

自分にできること、できないことを従順に受け止めること。それが十字架の従順ではないかと思う。不従順はキリスト教における罪だ。つまり自分を過度にいやしめるのも持ち上げるのもどちらも罪になる。

しかし自分の生のすがたを見つめたくなくて悶絶することも、自力では解決することは難しいように思う。

もしかしたら本来は自力で解決できるのかもしれない。自転車にどうしても乗れない、こわいと泣く子供が、なにかの拍子に乗れるようなもので、誰にも本来、生の自分を従順に見つめる力が備わっているのかもしれない。

生の自分を見つめることはとても恐ろしいことだ。

「自分はなにもできない」と言い放つより、「自分はこれくらいの人間だ」と認めることのほうが遥かに怖い。

死に至る病のほとんどの箇所は全然わからない。何度か読めばまた少し分かるだろうか。

神の全能性による可能性を信じることというのはこころよいことだ。

今の自分だけで全てを判断しなくてすむ。

空谷子しるす

にんにくとシュトーレン―2022/12/18のこと―

ラカン,生一本,濁醪,川口加奈氏(NPO法人Homedoor),音と詩,

唇が腫れている間に,書きとめておく.大いに語り合った良き日であった.全員参加は叶わなかったが(それぞれの戦場にあったのだ),一方で新たな関係も生まれた.

令和4年はそうして暮れていくのだった.

塞の神

大津の山の、山科との境に蝉丸神社がある。

これは百人一首で有名な歌人の蝉丸を祀るのであって、彼の生前の威力から歌、技芸の上達に験があるばかりではなく、前がちょうど逢坂山の峠道だから交通安全の神でもある。

このように往来の安全を祈り、不審物の侵入を防いでくれる神を塞の神と申す。村境や峠、三叉路、追分などに祀られる。

大津から瀬田川をくだり宇治に出る山中に猿丸神社がある。猿丸大夫は三十六歌仙の一人である。

猿丸はどんな人物か未詳だが蝉丸は盲目の歌人だったという。彼の庵が逢坂山という、どちらの国にも属さぬ境界にあったのが宮の由来と申す。

歌人にせよ盲人にせよ、共同体の境界、本来の日常から外れた人間は、卑しまれるとともに尊ばれる。はずれものは境目に追いやられ、しかも神として畏れられるものかもしれぬ。

境目にあらねばならぬ人間は弱い。弱いから追いやられるのである。

しかし弱く追いやられ、しかも歪まず正しい道を思う時、その人間はまことに尊い。

弱くあらねばまことに強いとは言えぬという矛盾がある。まことに苦しみ、まことに心身弱いがゆえに恨みや怒り、耐えがたさや業苦が湧くものを、なおも正しさを思わねばならぬ。まことに弱くあらねば強くならぬ矛盾である。まことに頭と体が弱く、それゆえに苦しまねばならぬのに歪むことなく正しさを思うところに人間の真実がある。

弱くなければ真実は得られぬ。キリスト教のえらいところはそうした弱い人間を聖とて認めるところにある。日本に必要にして不足しているのはそこだと思う。強い人間、強い存在のみが神なのではない。弱いがゆえに境目にある人間の、なおも祈る人々が尊いというのは、円空などの雲水を尊ぶこころと通う気もする。しかしその目線はよそよそしく、教養ある上級民のみが美術を自分たちは理解するというように彼を見るのみだ。

境界にありながらも祈り求める人間を私はほとんど知らない。そうした人間だけが人間らしい人間と私は思う。

空谷子しるす

聖女リタ

聖女リタはカトリックの聖人で他の聖人と同じように大層苦労した人である。

俗世で旦那は乱暴であった。しかしリタの祈りの甲斐あって旦那は穏やかになった。しかし旦那はある者に殺害せられてしまい、憤慨した息子が仇討ちに向かいこれもまた死んだ。

世を儚んだリタは出家せんとて尼寺に向かうも年増のリタを尼寺は請けない。リタ再三祈り、尼寺の尼僧いくたびも断るが閉じたはずの門扉の内側にいつのまにかリタ入りおったりしてこれは神の奇跡なのか、とにかく本来認められぬ尼寺への異例の入門となった。

しかしながら尼寺に入ったあともリタは苦労ずくめだ。ただでさえ高齢の入門者で疎まれている。リタはイエズス・マリア・ヨゼフ・諸聖人しか頼る者もおらなかったかと思う。なのに、ある日彼女が御堂で祈っておると、あろうことかイエズスの像のいばらの冠よりいばらのかけらが射出されてリタの額に命中、傷跡は治らず膿をはなち悪臭ひとかたならないからこれは大したことだ。リタはいよいよ憎まれるし隔離されて幽閉されて暮らさねばならんくなった。

リタの物語はもう少し詳しく知りたい。竹下節子女史の本を読みたいと思っている。

亡くなってのち、リタの遺体は腐敗せず、生前の悪臭はうってかわって素晴らしいよい匂いを放ちはじめたというからこれは奇跡である。

リタは不可能を可能にしてくれる聖人と申す。

いったい世の中は不可能なことが多い。私も医学部に入る折には毎日聖女リタの御取り次ぎを祈ったものである。

キリスト者にとってキリストと共に歩む以外の意味のあることは存在しない。天文学者のヨハネス・ケプラーもまた天文学が神に一番近い学問としてその学びに与かれる栄光を心から喜んだのであった。神への敬愛が科学の原動力の重要な一要素である場合がある。

思想や科学に信仰のない今の世はまさに塩味のない塩のような時代だ。そこに味わうべき妙味も情熱も感じがたく、すべては脳髄の神経接続の出来栄えを誇って生き馬の眼を抜く遊びをしながら、緩慢な全員の退廃に気づかず日々を貪るのみである。

とはいえなにもできるわけではない。

同じ思想が巡る。

人から軽侮される道こそは真実の道なのは間違いなく思える。イエズスもまた軽侮され、愚弄され、蹴飛ばされて惨殺されたのであった。日蓮の、迫害されるほどにおのれの真実であることを信じたように、乞食のラザロが神の右に座り金持ちが平伏するように、弱い人間こそ真実である。それはおそらくマルクスやウェーバーの言うような社会不安を緩和する麻薬や魔術としての宗教ではあるまい。それは実際面にはたしかに人々の業苦をごまかしてなんらの社会改善をすることのない麻薬であり魔術である。だが弱く、陰を歩く人間が祈るときに正しさと真実があり、唯一弱い人間が良くなりうる契機があるとしたら真摯な祈りのみによる。

空谷子しるす

地域医療

滋賀の北部は順調に寒くなり、伊吹山は今年初めて雪が降った。

長浜の息長のあたりでは伊吹山に三度雪が降れば三度目には里にも降ると言う。

息長はいわゆる息長氏の故地であり、すなわち八幡神の発祥の地とも言えるだろう。山津照神社という宮が息長氏の祖神を祀り、境内には古墳がある。

私は診療所の所長から褒められた…「先生はいい医者になる」。しかし診療所の奥方の看護師にはあまり受けが良くないようだ。相変わらず一年目の研修医や、同期の優秀な研修医からは軽侮されている。

診療所の所長は農学部を出てから医師になったので、コメの起源を調べるため東南アジアに繁く通った人間だ。

私はコメの道を思う時、さまざまな人間の流れを思う。ある種の憧憬が湧く。力と理力で人を圧倒し恫喝する生き方ではない、弱い人間の生き方に憧れる。

ちかごろ長谷寺験記の和訳を読んだ。長谷寺の観音は願いを叶えてくださると言い、古くから藤原氏の崇敬厚い。

仏教ではしばしば今の世の理不尽な苦しみは前世の業によるものと説明される。長谷寺の仏は定業亦能転と申し、自力でどうしようもないその業を転じて助けてくださるという。

世の中は不合理である。生まれ持った豊かな心身、家の財産、整った両親、そうした数多の利益のいくつかをもとにして成功した人間が努力の大切さを語ることは無尽蔵に愚かなことだ。

私が医師免許を与えられたのも、私の体が弱いのも、私の頭が鈍いのも、顔が醜いのも、全て賜物である。私がことごとく社会に馴染めないのも賜物であるかもしれない。

恐ろしい理不尽な災禍は仏教では前世の悪因といい、キリスト教では神のみわざが顕れるためという。私は自力の無さゆえに抑圧を感じる。抑圧を感じるゆえに苦しむ。私は何のために生きるのかわからなくなる。

私は極端なことを言えば、自らの抑圧のゆえに、全ての恵まれた自力信心の人間をことごとく滅ぼしてしまいたい。しかしそれは自力の不足のゆえにできず、また神仏の望むところでもない。私はただ不真面目に祈りながら抑圧されているのみである。しかも非力な自分の生存に適した場所に行くことなく、なにかに憑かれたようによくわからぬ道を進もうとしている。

いったい神は私に何を望まれるのか。いったい私は何を望んでいるのか。自分のことは常に一切が分からない。

地域医療で出会った患者や医師は珠玉である。私はとても疲弊したが形にならぬ体験をした。

診療所の所長は私を大陸引き揚げ者の昼食会に招待してくれた…人間の営みは変わらず、惨憺の中になおも普遍的なことを求めなければならない。

ばかな私になにができるというのか。小テレジアの歩んだ道、ドンボスコの歩んだ道を私も歩まねばならないというのか。彼らより遥かに愚かで矮小な私は、それでも聖人と同じ道を歩まねば救われないというのか。しかもカトリックに至ることではなく、日本社会の人間たちが等しく私をいらない人間と憎むのに、日本の神々と親しむ道を歩まねばならぬ。

万人は私を知能の低い人間、つまらない人間、ものぐるいになりかかった見るべきもののない人間、そもそも存在に気づくことのできぬほど不明な人間と思うだろう。

どうか私を導いてください。

空谷子しるす

覚書11

彼は言葉を発しなかった。ジャングルのような髪の毛の茂みに蟻が絡め取られていた。同級生の悪戯に少年は静かに涙を流した。悪ふざけが過ぎたと彼らが手をひいたか火に油を注ぐ形となったかは定かでないが、私はその頬をつたう涙のあとだけは覚えている。

彼は何も言わず私が戯言をいうとむくむくと微笑んだ。ほくそ笑んだというほうがふさわしいかもしれない。学校で彼はよく白帳に絵を描いていた。入選したこともあったと思う。

彼がもっと大きくなったときに再会した日のことを想像して、書き物の一部にしたことがあった。若い頃の話。私は彼とドラえもんの学校の裏山のようなところで夕暮れ時を過ごしていた。彼はよく喋るようになっており、ドラムを空で叩いていた。秋の微風を感じ夕日に面していた。鴉の声が聞こえる。木々の葉のそよぎ、小川のせせらぎが聞こえる。

umaはいつもそうやって人に話を合わせたり合わせなかったりして、時々上機嫌にしている、と言いながら彼女が睨みをきかせていることにふと気づいた。地べたに横たわり天井が見える横に彼女の顔があり、名前は忘れたが仮に山田さんとすると山田さんは、「聞き覚えのあるような文字と声と顔つきあわせていつも風とか音とかいい感傷にひたる悪いくせだ」と言ったと思う。umaはいつもそうだと言わんばかりだった。umaとはumanoidのことで本当はumaではないだろう。ただそれを彼女は、名前は忘れたがumaと言ったのだろう。(私の記憶は不鮮明で彼女がumaと言ったのではなかったかもしれない。私がumaと思ったのかもしれない、彼女のことを)

umaはといい彼女は私の手をひいた。umaはこうするのだと言わんばかりに。

ある時は彼女はただひたすら喋り私が食べ終わるのを待っていた。それが彼女の義務なのかもしれず、終始つまらなそうに頬杖をついて眺めており、私がものをこぼすとuma!uma!と言った。言ったように思った。乱暴なてつきで彼女は私のこぼしたものと口周りを拭き取り、「仕事仕事また仕事、遊んではいけない、少なくとも勝つまでは、ろくなことを言わない、そう思うでしょう」と言い私は同意を示すために頷いてみせた。彼女は私の同意には満足しなかったようだが。

言葉を失ったのは私も一緒だった。彼は普通の言葉で考えていたかもしれないし、彼女は普通の言葉で語っていたかもしれないし、私は或いは普通の言葉で考え発声していたかもしれないが、読んでいる人間や聞いている人間は私たちの物したことどもを表層で変換して伝えようとするために、表記されるものがどうなっているか私たちの預かり知るところではなくなっているというわけだった。それも何かを隠そうととしたり、時空を跨ごうとしたり、二重三重に捻れ捩れ元通りにはならずこの現実へ帰ってくるその手前とその後の重なりを重なるものとして或いは重ならないものとして或いは同時に眺めようとして視線が定まらないから、私は彼女に限らずumaともumanoidとも言いがたく、私がそれなのか彼女かそれだったのかわからない次元でぼんやり佇んでいることになったのだろう。

コンピュータの言語変換に抵抗する、それも抵抗とわからぬよう強かに抵抗する、コンピュータに限らずしたためた物をただ届く人に届くよう、届かなくて良い人のもとを風のように通過するように、書くということがあるだろう、語るということがあるだろう。

それもumaだかumanoidだかわからないが、それを書き留めるもの、書き留めさせるものが語り手と一致しない場合は特にそうだと言えるかもしれない。

彼のことを私はかずくんと呼んでいた。仲が良くても人の家に遊びに行くということがなかったから、彼のことは学校の休み時間に話す程度の関係だったが親友だったと思っている。ジャイアンのように心友という人もいるだろう。時空を超えて声もなくいつでもフラッシュバックする友のことだ。

丹生

丹生というのは文字通り丹を生産するということで辰砂が採れた土地のことらしい。

だいたい川だ。

だいたい山の中だ。

だいたい綺麗な水が流れている。

丹生というのは日本中にある。

あああ、私はもう最近夜中によく目が覚める。寒くなってきたからだと思う。日中蒙昧である。認知機能が落ちている。

おれは来年からやっていけるのか?

引っ越さねばならないけど部屋はどうするのか。

私は京大の小児科プログラムに進むことにした。

なぜ?兄貴の直観に頼ったのもある。京大に行かねばならぬ気がした。

車はどうする?今年車検だ。お金が減る。小児科学会に入らないと。CVもPICCも自分一人で入れられない。縫合もほとんどやらずに来た。どの研修医よりも誰よりも時間と内面とで患者に向き合った事実はある。しかし大学では能力だけを見られるだろう。

伊勢の大神様を心に拝すれば、全く問題ないと言われている気がする。

診療所の実習を近頃行っている。所長の先生には毎日とてもよい昼飯を食べさせてもらっている。私は大した働きもせず大層な昼飯をご馳走になるから恐縮している。所長の奥方は看護師で有能な人だ。彼女から恐らく私は嫌われたらしい。2日目に5分遅刻したのが発端かもしれない。ただでさえ私は女性から嫌われることが多い。私がおどおどしているからかもしれない。それは私が不器用で、何をしたらよいかいつも困っているからだ。私は自分に何らかの発達障害的な傾向があることを疑う。近頃いよいよ認知機能が落ちて来た気がする。

先日人を吉野に案内した。

吉野は神代の土地だ。古い神々と天皇家のゆかりの土地だ。私の曽祖母もまた吉野の人間であり、みかどへの感情や雰囲気は理解できる。

丹生川上神社中社は日置川の清流のたもとにあり吉野宮の伝承地である。

「どこが本当の丹生川上神社なのか」という論争にあまり意味があるとは思えない。そのあたりの論争に詳しくないし興味がないから書かない。

川は美しく水清く紅葉が赤く色づく様は万人を感動させる。

神社にお参りして「そのままではいかん」と思ったことはあまりない。特に医者となった後は全く無い。俗界でさんざん軽んじられ、私自身自らの無能に喘いでいるのに、神前では何も問題無く思える。膨大なことに悩みながら手を合わせても、格別に願い求めることが何もない。

世の中は嫌なものだ。人間は嫌なものだ。ものごとをどんどん複雑にして喜んでいる。

空谷子しるす

覚書10

何十年も前に言うべきことを言えずに離れた人とすれ違いざまに、もっと前に暖炉のある家でワインを傾けて、頬を照らし何も言わず、むしろ毒づいていっそ嫌われようとしたその人と施設で再開したときには互いに顔もわからず、記憶も曖昧で言葉も出ないが静かに微笑みを交わし合い、「どこかでお会いしましたっけ」と昨日のことも忘れて、それでも他生の縁と思うのは巡りめぐってただ正しいこと以上に実に正しいことのように思われた。

彼は若い頃に男に接吻された話をした。「そういうことも何度かあった」テーブルの吸い飲みを加えて少し咽せ込んだ。車椅子を挟んだ正面に窓があり、眩しそうに揺れる木の枝のあたりを見つめている。

私は彼がするテレビゲームの画面を見ていた。彼はゲームの最中、ローディングの時間だったか、おもむろに振り返り唇をあててきた。産毛のような髭の感触が口元に残る。彼はじっと私をみて、何事もなかったかのようにゲームを続けた。

彼はまた吸い飲みに手をかけたが、今度は飲まずに少し吸い飲みのお茶を揺らしただけだった。

彼が何度唇を押しつけてきたのかもはや覚えていない。中学の頃の話だ。彼はもっと親密になろうとした。私がそれを拒んだのはある種の羞恥からで、けして彼のことを拒んだわけではなかったが、それから彼は私の家に来なくなった。高校に上がった頃には綺麗な彼女とうまくやっているらしいというのを風の便りで聞いた気がするが、夢かもわからない。私もそれからだいぶ先の話にはなるが、女性と付き合うようになった。男性との関係は一切なかった。世にこんなにも男がいるのに勿体ないと言う人の気持ちはわからないことはない。ただあえて出会おうとする気がなければ、機会は極端に少なく女性のほうに結局流れるのだろう。

彼は別室の彼女のところを足繁く訪ねた。尿道に繋がった管に気づかずに、尿の入ったバッグを置いたまま走り出すものだから看護者にとっては厄介な行動であったかもしれないが、彼は手を縛られようと、体を縛られてようと、手袋をつけられようと、囚人服のような服を着せられようと、何をされようが拘束具をひきちぎってでも彼女のもとへ向かおうとした。彼は「妻だ」という。彼女のもとへ無事辿り着くと、奇妙なことだが自然と懐かしい気持ちが溢れてくるのか、穏やかな表情になり布団を掛け直し、今日もいい天気だねと窓の外を眺める。彼女は視線が合わないまま遠い方を見つめている。