あっちに行きたい

終末期がんを患う80代女性が、少しでもよいから自宅に帰りたいと言っている
と病院の先生から相談があった
われわれ在宅緩和ケアチームがその願いを遂げるべく、病院でのカンファレンスに臨んだ時のこと

私は病床の患者さんを訪れた
彼女は肩で呼吸をしており苦しそうであった
呼びかけたところ明確に反応があった
私は自宅での生活をお手伝いする医師だと自己紹介をした

すると、彼女は半ば喘ぎながら「もうお家に帰るのは難しい・・・少し動くだけでも苦しい。もうあっちに行きたい・・・」

通常、このように終末期の患者さんが苦しみながら、「あっちに行きたい」と言った場合、周囲にいる者は「苦しくてもうあの世に行きたいと言っているんだな」と理解することが多かろう。
そのような時に「あっちとはどこのことですか」と尋ねるのは野暮というものである。
打算的な私は共感を示すつもりで
「苦しくてもうあっちの世界に行ってしまいたいんですね」と問いかけた。

「4階に行きたい」
力なく、しかし明確に彼女は私の問いかけを否定した。
4階は緩和ケア病棟のある場所で、先日その患者は緩和ケア病棟の面談を済ませていた。
「苦しくってもうあの世に行きたい」と言いたかったのではなく、「苦しいから自宅ではなく緩和ケア病棟に行きたい」と言いたかったのだ。
私は自分が度のきつ過ぎる冗談、冗談ではすまない冗談を言ってしまったことに気がつき、恥じ入るとともに失礼をお詫びした。

その後、彼女は希望通り緩和ケア病棟へと移動した。

おバカな私のはやとちりである。

素寒

なんでか~い

我が家にも教育方針というものが、ちゃんとある。
その到達目標の最上位は、適切にツッコミを入れること、だ。
これは譲れない。
笑いは精神の一つの運動だ。
ツッコミもまた笑いの契機となる精神運動の一つである。
ツッコミができれば、寒い状況も笑いになる。辛い現実も笑い飛ばすことができる。
具体的な教育内容は、僕が普段してる通りに、娘にも妻にもツッコミ続けるだけのことなのだが。

そして、機は熟した。
2歳半である。
「〜か〜い」とツッコむようになった。
幼稚園のバスが少しでも遅れれば「来ないんか〜い」
幼稚園で先生が「〜しようね」とみんなに言えば、娘だけが「〜するんか〜い」
などとツッコミを入れるようになった。
先生には申し訳なく思っている。
少々薬が効きすぎたと思わないでもない。
親バカな私はこの達成だけでもビール数杯の肴にしてしまう。

その表現形の一つが、「なんでか〜い」である。
「なんでやねん」とするところを「なんでか〜い」と言う。
この表現は聞いたことがない。
「なんでか〜いって、なんやねん!」とすかさずツッコミたくなる。
ともあれ、タイミングは悪く無い。
妻には申し訳ないが、九州出身の妻よりはるかにいい。
ツッコミはタイミングだ。
ピンポンと同様来た球を反射的に返す。考える暇などない。

この子は東京生まれの東京育ちである(2歳まで)。
そこでは、私がツッコミを入れると人々は喜び、私がボケても誰もツッコまなかった。
なんとひどい土地柄だと思った。
東京の連中は、持ちつ持たれつとか、give アンド takeとか、taka アンド toshiとか、そういう表現を知らないらしい。
薄情にもほどがある。薄情な大都会人、ああ東京砂漠。
しかし、聞いてみると、ツッコミ方とそのタイミングが分からないらしい。
なんと・・・
卓球で打ち返すタイミングが分からないと。
球がそこに来てるのに、手を出せばしまいなのに、そのタイミングが分からないと・・・
うむ、これは重症だ。ツッコミ欠乏症とでも言っておこうか。
いかん、このままでは娘が精神的ピンポンもできない分からんちんになってしまう。
奮起した私は教育目標の最上位にそれを挙げたのである。

4歳半になった今でも「なんでか〜い」とツッコむのだが、最近は吉本新喜劇を見るようになり少し進化した。
末成由美が舞台に現れるや「ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー」と挨拶をかまし、直後に共演者がこける。
あの定番のシーンでは、4歳の娘も遅れじと「ズコー」っとやる。
したがって、今は何かにツッコムとき、「なんでか〜い、ズコー」とやる。

2020/10/28 素寒

おもしろ言葉 〜こどものちから〜

2020年9月12日朝日新聞に子どもの言い間違いが「珍プレー」として紹介されていた。
確かに子どもといると、思わずほっこりする言い間違いに出会うことがある。
もちろん、それは言い間違いなのだが、そこに我々にはできない言葉を組み替える楽しさがある。
子どもはあたかも、毎日、毎瞬間、自分の能力の限界に挑戦しているかのように見える。
つかまり立ちを始めた。大人なら安定性をみて物に掴むが、子どもはそんな計算はしない。掴めるものが目の前にあればとにかくつかまって立つ試みをし、結果こけて頭を打つ。
ようやく歩き出した。おぼつかない足取りで。ゆっくりやればいいものを、先を急ぐかのように歩こうとして、こける。分かっていてもまたこける。多くは泣いて、数少ないが時に成功して破顔する。
失敗を考えずにとにかく前のめりにチャレンジする。
私にもそんな時期があったろうか。今は失敗、成功の計算に長けた賢い大人になってしまった。

さて、ここでは子どもの言い間違いを、前のめりなチャレンジのポジティブな産物として、皆で共有したい。
それは紛れもなく子どもの力だ。


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臨床文藝医学賞

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売れるかどうかにとらわれず、何かをつくり、考えることの歓びを分かち合える場となればと思います。

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