患者さんのことなど3

その方は緑膿菌肺炎であった。

若い時はタバコを吸っており、COPDと気管支拡張症が基礎疾患にあった。

朝、訪床すると、ぜいぜいいいながら寝台に腰掛けておられることがしばしばであった。

「話してると楽になるわ」

しばらく対話をしていると、たしかに落ち着くようだった。

「ありがとう」

話を聞くだけで病がよくなるなら安上がりでよいことだ。こちらだって、注射も、採血も、内服の計画もできんろくでなしなのだから、話くらいしかできんのだから、ありがたいことだ。

彼は宮大工であった。

「いままでに、そうやなあ…」

過去を思い出す彼の目は病室の中空を見る。

「大通寺の台所、竹生島の三重塔、石山寺、岩船寺なんか扱ったワ…。」

「それはすごい」

「そうやなあ。ありがたいことや…」

彼の左手の親指は短く変形している。

なにか事故によるのだろうか。

「石山寺でナ、あすこに縁側とか、渡り廊下があるやろ、昼休みにそこで昼寝すんねんな」

天下の昼休みである。

私は石山寺の、木漏れ日のなかで昼寝する男たちを想像した。

それは天下一の昼寝に違いなかった。

「趣味のないもんには、しかたないけどナ…」

彼は馬場秋星の「浅井三代小谷城物語」という本(絶版のようだ)を読んでいた。

「浅井の墓には行った?」

彼はそう尋ねたが、私は残念ながらまだ参らない。

「小谷山も、いろいろ面白いんよ」

彼はさまざまな寺の話をしてくれた。

岐阜、京都、近江、奈良…彼は休みのたびに寺に詣で、家族、こどもらを観光に連れ出し、みずからは寺をじっくりと見ていたようなのだ。

「大工仕事が平日、忙しいからゆうて」

と彼は苦笑した。

「こどもらは休みの日はオトウチャンに遊びに連れて行ってもらおうと思ってるしナ。家で寝てばかりいるわけにはいかへんナ。家族サービスせんとな…」

彼の緑膿菌は、抗菌薬によりだんだんとよくなった。しかし酸素の管は、外せぬままだ。

「こんなんなって、なさけないなあ」

酸素がなければ彼の酸素化は確保できず、息がくるしいのだ。

在宅酸素の機械は、大きすぎるというので彼は拒絶した。

「先生…」

「なんですか」

「長命寺は行ったことがある?」

「いえ、まだ…」

「いい寺よ」

彼はそう言ってニカッと笑った。

「いっぺん行ってみ」

長命寺は近江八幡にある古刹だ。

日本第一の長命で有名な、武内宿禰ゆかりの寺なのだ。

私は母をともない、長命寺へ登った。

よく晴れていた。八百八段を登り切ると、小さな涅槃のような境外の地が待っている。

私は境内のロハ台に座り、大きな本堂をつくづくと眺めた。

俗世には要求が山ほどある。

その切実な要求を「救う」寺が長命寺である。

それはつまり、俗世のどんな悩みも、仏の前にお願いしてよい寺ということだ。

仏門は超俗のものゆえ、欲から離れよなどとは言わぬお寺ということだ。

自分は、そうした古刹を、数少ないがいくつか知っている。

多くの人が、そうした寺に、かそけき切実な思いを抱えて石段を登ってくる…。

静かな山のなかに梵鐘が低く遠く響いている。

宮大工の彼は、この本堂をどう見たのであったろうか。

休みごとに寺に参じ、祈りをささげた彼は、なおらぬ肺の病と共に生きている。

やまいとはなんであろうか。

私は、短絡的には考えぬ。

私は、祈ることをあらゆる意味と段階において諦めることはない。

空谷子しるす

わたし

今回もinterestingな言葉

5歳6ヶ月の娘
幼稚園の年長

ここ数ヶ月、娘の一人称が「わたし」となる時がある
それまでは「ももちゃん」と自称していた
妻には、幼稚園でみんなが使っているから、とその経緯を説明したようであった
一人称を軽やかに変化させたその軽やかさに憧憬を抱いた
数週間たって、同様の答えを期待して、聞いてみた
「どうして、わたしって言うの?』
すると、ナイーブな問いだったのか、「いや」と強く回答を拒否した
何かを侵襲しているように感ぜられたため、それ以上は問わなかった

考えてみれば、「わたし」ほど、主体性の純度が高い表現もない
しかし、娘においては、その使用は他者に大きく影響されている
主体性にしのぶ他者性の影
私にしても、「ぼく」から「オレ」への跳躍には随分と難渋した
最近は仕事での立場上「わたし」と自称する場面が増えたが、不協和音が響いている
随分と不自由な主体だこと

素寒居士

患者さんのことなど2

その女性はⅡ型糖尿病の教育入院であった。

かかりつけの病院で高血糖を指摘され、紹介されて来られたのだ。

「ブラジルでは、じぶんで血糖値をはかる器具を買って、じぶんではかります」

その方は日系ブラジル人であった。

ずいぶん前に日本人と結婚され、日本にきた。

「ブラジルにはカトリックとエヴァンジェリストが半々です」

ご高齢のブラジル人にカトリックが多く、若い年代にエヴァンジェリストが多いとのことであった。

彼女はカトリックであり、エヴァンジェリストはあまり得意でないようだった。

カトリックは貧しい人とお金持ち、エヴァンジェリストは貧しい人が多いとのことで、いわゆる教会への寄付は、カトリックでは「あの」馴染み深い皮袋に、いくらいれても、いれなくても自由だ。しかしエヴァンジェリストは、給与の1割を収めねばならんらしい。

それは酷なはなしである。

「娘の彼氏、ファベーラの人なんだけど」

ファベーラとはブラジルのなかで貧しくて危険な区画と私は理解している。

「ファベーラ、危なくないです?」

彼女は首を振った。

「ファベーラの人と友達の人、大丈夫。その人といっしょに行けば危なくない。」

でも、と彼女はいたずらぽく笑った。

「わたしはちょっとこわいね。ひとりではいかない」

彼女は、結婚する相手は心だと言った。

「男の人、よく、若いとか、顔で結婚する。よくないね。ブラジル、30代で結婚はふつうよ。」

「そうなんだ」

「私も、だんなさんすごい優しい人!」

そういう彼女の顔は明るく、太陽のようである。

「だから、あせらない、あせらないよ」

悪いことには子供のようであり、考え方については大人のようであれ、とは聖パウロのことばである(コリ1 14:20)。

人間のつきあい、人間のつきあい、

これはもう「赤心」をもって、こどものように、大人のように、臨むしかあるまい、と思った。

空谷子しるす

こわいの

今回はinterestingな言葉。


妹が出生する前後から2歳3ヶ月の息子に、例によって赤ちゃん返りがみられ始めた。
妹が家にやってきて以来、妹は母親の乳を吸いながら眠っている。
その妹と母親の間が、彼にとって意味のある空間として立ち上がってくる。
彼はしきりと母親にすがって、その間に入りたいと泣く。
こわいの、こわいの。

 母親が出産のために入院している間、彼は姉と私の間に分け入ってきた。
それに対して姉はもちろん抵抗した。
姉と言えどまだ5歳なのだ。
夜の闇のなか、私の横は簡単に明け渡し難い。
しかし、やがて弟が泣いて怯える様を見て、間という特殊な空間を譲った。

母親がまだ生まれて1週間の妹を連れて帰ってくると、今度は妹と母親の間が彼にとって切実な意味を帯びる。
たとえ生後数週間のかよわい体であることは、彼にとって意味をなさない。
かの特殊空間を求めて彼は叫び求める。
その時、私はふいに「あ、痛い!」と叫んでみる。
やはり息子は「どうしたの?」と応じた。

 私はこれまでも観察から、彼が甘えて泣いている時に、誰かがたまたま「痛い」や「うわ」などの言葉を発すると、すぐさま「どしたの?」とやってくることを見知っていた。
今まで泣いていたのが嘘であったかのような表情をしていた。
なるほど、彼の表現としての涕泣にはいくつかの意味があるのだろう。
身体的にないし精神的に強烈な痛みが彼を襲った時、彼はその時何をしても泣くだろう。世界が崩壊しつつあるように感じられているのかもしれない。
しかし、痛みの程度がさほどでもないとき、例えば甘えから泣く様な時、彼の精神にはまだ遊びがあり、容易に切り替えが生じうる。
私はその観察からの仮説を就寝時に彼がかの特殊空間を希求して泣くときに活用した。

 彼は私が「痛い」と叫ぶと、すかさず「どうしたの」とやってきた。
姉もそばにいる。
私は「ヨシヨシして」とリクエストする。
すると彼は「ヨシヨシ」としながら手でさすっている。
私はさらに「大丈夫?ありがとうって言って」とリクエストする。
すると彼は、その通りに言う。
そこで姉も私も笑う。
「なんでありがとうやねん」と。
すると、つられて彼も笑う。
しかし、すぐにまた彼はかの特殊空間を求めて泣く。
そしてまた私が「痛い」と叫ぶ、笑う。
繰り返しているうちに、彼は眠りについた。

お粗末なテクニックだと思う。
嵐が去るのをただ待つこともできたのかもしれないし、その方が良かったのかもしれない。
しかし、私はその夜、彼の中に生じたある種の刃を無力化し、私たちは穏やかに眠ることができた。

われわれの会誌「臨床文藝」創刊号がまもなく発刊される。
主に私はケアについて論じ、LINE座談会でもケアが話題にあがった。
急性期においては、あえてまなざしを注がないことが保護的になることも論じられた。
相手の内なる刃を見て見ぬ振りをする。もしくは、ずらす。
 子育てをしているときにも、子のうちに刃を見ることがあり、記録しておく。

追記)
発達障害の外来で心理士がオペラント条件付けの「消去」という対応法を紹介していた。
例えば、子供がお菓子売り場でお菓子を買ってくれないことにかんしゃくを起こしてその場で手足をばたばたとさせてしまう状況を考えてみる。
この時、かんしゃくに耐えかねて親がお菓子を買ってあげると、かんしゃくという行動の正の強化となる。今後同様の状況でかんしゃくを起こしやすくなる。
逆にかんしゃくに対して、「そんなわがままする子は今日はゲームなしだからね」とすれば、負の弱化となる。
ところで、そもそも相手にしないというのが消去。見て見ぬ振りをするといわけである。 
私の今回の対応は、単に見ぬ振りをしたのではなく、他の感情を喚起させるよう、他の現象を出来させた。消去とも少し異なるテクニックのようである。

素寒居士

患者さんのことなど 1

その方は肺炎と心不全を患っておられた。

大正うまれであって、戦争を経験されたようなのである。

「ようなのである」とは、本人が認知症なので、また発声がいささか不明瞭なので、はなしがよくわからぬのである。

「南方で航空隊やったんよ」

と、その方は仰った。

「兵長やったんや。飛行機の整備をやっていた。二等兵から兵長になるのは、並のことやないんよ」

私は旧日本軍のしくみに明るくないが、一兵卒が兵長になるのは、たしかに大抵のことでないように思われた。

15歳でバルブ工場につとめたらしいのだ。

バルブの中の溝を、手作業で削っていたらしい。

その技術力が上官にかわれたのかもしれない。

水道管やバルブは、私の研修地の名産である。

「あたらしいバルブを、開発せなあかん」

彼の「あたらしい」ことへの情熱は強かった。

「ふるいものと、あたらしいもの、そのいれかわりが難しい」

先のいくさから、とにもかくにも日本は変わったし、世界は変わったのであった。

べつに欲しいといったわけでもないのに携帯電話が出た。パソコン、タブレット、スマートフォンに、そうした高価なものがなくては生きていけぬ習いとなった。

バルブも、今は彼の言うような古典的な削り出しでは作らなくなったようだ。

「この◯◯(患者さんの名前)がいたということを忘れないでください」

彼は歯のない顔で笑った。

そうして彼は私の手を取った。

「えい!えい!」

彼は私の手に、みずからの手を勢いよくなんども重ねた。

それはなにか、かたちにならぬものを渡そうとしているかのようだった。

しかし、それがなんだったのかは、いまだにわからぬままだ。

空谷子しるす

Iが過剰

消耗している.かつて私は自尊感情の塊.それが今は,この荒れた部屋の中身が私の思路思考そのものになった.どうにも言葉が重なる.寝ていても,「To Do リスト」が頭をよぎって目が覚める.本当にそれらはTo Doなのかな.

とにかく,と打ってそれを消した.どうして消したんだろう.兎に角兎に角,どうしてうさぎにツノなんだろう.一々気になってしまう.

消した理由は自分で分かっていて,「すべき思考」とか「Tunnel Vision」とかでまとめられる概念と近いようなそうでもないような,自分を急き立てるような言葉でそれが嫌になって消してしまった.

あと10分で2021年6月1日の22時になる.書いている間に,通り過ぎる.今自分

また手がとまったので,思い立ってそとにでた,夜風がきもちよかった.自動販売機でジュースを買って飲もうと思って出て,実際そのようにした.自動販売機でジュースを買う行為は愚の骨頂.利便性を考慮しても高すぎる買い物だ.それでも今の自分にはスコールが必要だった.愛のスコール(マンゴー).初めて飲んだ.このわざとらしいマンゴー味!(・・・元ネタわかるかな?)

Q先輩がうつになったと教えてくれた.とても苦しいとおもう.この仕事は様々な能力を試される.知識,技術,必要に応じて寝ないこと.眠気を我慢するのは自分にはとても苦痛だ.興奮しているときはいい.興奮して眠くないのは一項にかまわない.ただその次の日とかに後悔することになる.自分を苛む人は真面目な人だ.自分はそこまでストイックになることができない.それはそれでまた,悩むことになってしまう.『生まれつき僕たちは悩み上手にできている』(長い坂の絵のフレーム,陽水).

どうしてどうしてと,おもってもきりがない.ラインの通知がたくさん来ているのは分かっている.でも今はまずは,ここにこうして言葉を・・・書いていくことがきっと何かしかに導いてくれるはずだ.それは自分で自分を選択していくことだ.

もう一度,To doから整理していこう.

その後,返信しよう.

そしたら明日もあるし,寝よう.

(H)

追記

部屋で欲望したスコールというシニフィアンが対象aだったのでしょうか?・・・間違っている気しかしない・・・

おいしみがたまる

5歳娘
朝食後、幼稚園にでかける前のこと
娘「ねえ、パパ、梅の実食べてみようよ」
父「うーん、ちょっと早いんじゃないかなあ、砂糖もまだ溶けきってないし」
娘「え〜食べてみようよ」
父「じゃあ、幼稚園から帰ってきたらちょっと食べてみよっか」
娘「わ〜、おいしみがたまる〜〜〜」

素寒居士

呼吸器内科

「コモンな症例がなくてごめんね」

と、呼吸器内科の部長先生は私に仰ったのだ。

2年前からつづく世界的な悪疫は日本の田舎の研修医にも波及している。

呼吸器内科の先生方は主にコロナを診ることになり、他科の診れそうな疾患は他科に分担されることとなった。

しかもどういうわけか、先月はそれなりに来ていた胸水や気胸といったありふれた疾患も、この5月は全く来なかった。

私は賜った患者の方々を見にいっては、呼吸数や心拍数をとって、著変がないことをたしかめ、カルテを散漫に見て、業務上には存在意義のないカルテを書いて、

はなしがしたい患者さんがあれば、

行ってお話を伺っていた。

私はなにをやっているのであろうか。

相変わらず、薬の指示も、静脈のルートとりも、定期処方の継続すら、できぬままである。

入職前に上の先生から聞いたことがある。

「CVを何本いれたとか、挿管を何回やったとかは、たいした問題ちゃうんやで」

また六ヶ所村の松岡先生は仰ったのである。

「ハイパー病院とか行っても、行っただけになる人が多い。行った先で何をするかなんだ」

行った先で、ちからの及ぶかぎりはやるつもりでいたのである。

いまも常にやれる限りのちからは尽くしている。他人がどう思おうが、天地神明に照らして嘘偽りのないことである。

しかし、なんぼ初期研修の、手技のいくつかをやるとか、仕事がすこしできるようになったとかが、先達の仰るように大したことでなかったとしても、

私はやはり無能ではないかという思いが強くなる。

肺音を毎日聞く。

副雑音なしとカルテにかく。

同日の昼頃のカルテにて、オーベンが、捻髪音ありと書く。

夕にきけば、吸気終末に、わずかに捻髪音をきくようである。

私はいまどうなっているのか?

無能の駄目研修医なのか?なにかやり方を変えねばならないのか?

それともこのままちからを尽くしてゆくので大丈夫なのか?

なにかができるようになった訳でないまま呼吸器内科が過ぎていく。

空谷子しるす

糖尿病内科

4月から始まった研修は糖尿病内科からであった。

オーベンは早口であった。

オーベンというのは指導医という意味の業界用語であり、obenとはドイツ語にて「上に」という意味らしく、研修に入ってはじめて聞いた。じつに化石じみた言葉だ。一体、ドイツ語というのは、森鴎外のように権威的でえらそうに聞こえるから嫌いだ。カタカナ語やアルファベットの略語はなんだかわからぬからきらいだ。

オーベンは早口であった。

早口であったが、怒ったりはしなかった。

「あの、先生、ね、メトホルミンですね、下痢をおこすことはありますが、メトホルミンイコール下痢という図式がね、先生のなかで固定されてはね、それは気の毒と思いますから…」

2型の糖尿病、教育入院の方がはなはだ下痢をしておられたのであった。

ビグアナイド系の薬がときどき消化器症状をもたらすというのははじめて知ったが、一日に十遍以上も下痢をするのは困った。その下痢は結局、メトホルミンを減量したらひいていったのではあったが、よくわからぬことだ。

まったくよくわからぬことばかりだ。

薬の指示も、輸液の指示も、まだするを得ぬ。

なにかが起きても、それが何故のことか、見当がつかぬ。

医師免許がきたら少しはモテるかと思うたが、別段モテはせぬ。

しかし持病の胃食道逆流症ばかりは、

就職したがため、給金が入るようになって、

差し当たり飢え死にの心配がなくなったから、

すこしましになった。

空谷子しるす

ばばたんに言うの?

今回はfunnyではなく、interestingでありthrillingでもある言葉

2歳4ヶ月の息子、5歳の娘と早めの夕食を終え、まだ日が暮れる前にスーパーに買い物にでかけた。
今回始めて、子供を乗せないシンプルな買い物カートを選んだ。
カートを押しながら買い物をしている横を子供達はキャッキャと踊りながら、歌いがながらついてくる。
と思っていたら、息子がいない。
ざっと、周囲を見渡してもいない。
その間、おそらく1分もないと思うのだが、とにかくいない。
娘と名前を呼びながらスーパー中を買い物途中のカートを押しながら足早に探し回った。
もし外に行っていたらと、焦燥感にかられながら、娘と名前を呼んでいた。
肉売り場にもいない、おやつ売り場もいない。
これはいけない。
ひとまず、サービスカウンターに相談しようと向かうと、そこに女性に抱えられた息子がいた。
特に泣くでもなく平然としている。
その女性は親切にも息子がスーパーを出て一人でしばらく歩いているのを不審に思い、抱えて連れて来てくれたのである。
もし何かがあれば、立ち上がっていたかもしれない別の世界線が、瞬時に脳裏によぎった。
これはどうしようもなく私に非がある。
なんという不注意。
とにかく無事であることに安堵した。
息子に詫び、女性に深謝し、辞去した。

その後、買い物の途中、娘はしきりに「危なかった~~」と繰り返していた。
買い物を終えて、いよいよ帰るというときに、娘が唐突に「ばばたんに言うの?」と聞いた。
同様のことを考えていた私は驚いた。

説明を加えると、
まず、いま我が家には母親(私にとっての妻)がいない。
3週間前に生まれた娘(この子たちにとっては妹)が、発熱して入院することとなり、母親も付き添いで入院している。従って、妻の母がピンチヒッターとして遠路はるばる来てくれている。

話を戻して、あの問いである。
私はちょうど、「もし、今のことを義理の母(ばばたん)に言うと相当心配するだろうな」と考えながら帰途に着こうとしていた。
不意をつかれた私は戸惑った。
私は娘に心持ちを見透かされたような気持ちにもなった。
「ん~どっちでもいいんじゃないのかな」と誤魔化した。
かわいそうに、娘の問いは答えられることなく棚上げされてしまった。

スーパーから5分のところにある我が家まで帰る途中、娘はもう一度、同様の問いをした。
私は「言いたかったら、言ったらいいと思うよ」と。
娘の問いは虚しくも再び棚上げされた。

マンションの玄関に着いて、娘はいつになく部屋番号を間違えて押してしまった。
その間違えたことを私が指摘すると、顔に不安がたちこめ、指を咥える退行が始まった。
エレベーターで移動しながらも不安気に、しきりに指を咥えている。
4本の指を全て口に入れ込んでいる。
私は間違えたことは気にしなくていいよ、と繰り返した。
しかし、指しゃぶりは収まらなかった。
私は娘の指しゃぶりはこれまでに見たことがなかった。
よほど大きな不安がこの子に今、あるのだろうか。
ここまできてようやく、娘が切実に問いかけていたあの問いを棚上げしていたことに気がついた。

おそらくは、娘にとっても、弟がいなくなるかもしれないというのは恐怖体験だったのだろう。
当然である。
買い物を続けながら、「危なかった~」と連呼していた。
そのペースでいけば、当然、彼女の心は家でも連呼することとなる。
しかし、ばばたんは、この事件を知らない。
それを、言うのか、言わないのか。
言うのであれば、誰が言うのか、私は言い出しにくい。
という問いがが帰る間際の娘に生じた。

私が言うべきかどうか打算したのとはおそらく別の風景から同様の問いを持っていた。

われわれ大人は、と一般化するのが適切か不明だが、
少なくとも私はこのレベルの嘘(大人風に誤魔化して言えば、情報の制限)は常日頃からなんの躊躇もなくしているのだろう。

その後、家に着いた時には19時を過ぎていた。
風呂にも入っていなければ、明日の幼稚園の準備もしていない。
娘の指しゃぶりは風呂の中でも続いた。
私は娘に「お風呂をあがったら、ばばたんにちゃんと言おうね。パパが言うからね」と告げた。
それでも娘の表情は硬かった。
これは体を動かさなければと私は直観した。
入浴後、ばばたんと出来事を共有し、娘も「ほんとに危なかった~」と言った。
すでに寝る時間を過ぎているが、どすこい(すもう遊び)と、ダンスをしてから寝た。
どすこいの時には、娘はいつもの娘になっていた。

反省することの非常に多い買い物であった。
あの時、娘は何を思って私に問いを発したのだろうか。

2021/05/30 素寒居士