プレ・トラウマティック・オーダー

大学時代に所属していた部活の学生達から相談があると声をかけられた。

部を離れて10年ほどが経過する。
私は平素大学との接点がない。
学生達は大学にいる年配のOBに相談していた。
学年的にもっと自分達に近くて話しやすいOBはいないか。
かくして、私が名指された。

大会に出るためにOBから寄付を得たいがそれをいかんせん。
私は彼らのために酒の場をもうけた。
現役の主将と、次期主将と、引退した学生OBがやってきた。
私は事前に、OBを動かすための文章を準備するようお願いしていた。

大会に出たいが、コロナ禍で収入が減ったという
コロナ禍以前は、OBが集う機会があり、当然それは集金の機会でもあった。
加えて、このコロナ禍のため、大会中の宿泊先が限定されることとなった
これまでのように安宿を自分達で探すことができない。
つまり、コロナ禍で収入は減ったが支出は増えるという。
従って、OBの寄付金もこれまで以上に必要となる。

文章には、そのあたりの経緯が書かれていた。
しかし、そこにはある別の意図についてもたっぷりと文量が割かれていた。

曰く、「大会へ参加するための費用を自らの足で集めるというのは道理かもしれませんが、 ご寄付集めを含め、部に関する様々な部員の負担を積みに積み重ねた結果、部員の減少・部 の衰退に繋がっていると考えます。そのような負担を少しでも減らしたい」
直接挨拶に訪れて集金するという慣習は部の衰退の原因であるらしい。

これはいらない。
コロナ禍で収入は減ったが支出は増えた。
それは事実だ。
しかし、部の衰退については、解釈でしかない。
その解釈に納得しないOBからは金を引き出せない。
なにせ、会いに行くのは面倒だから挨拶に行かないが金はくれ、というわけなのだから、それなりの反発は予想されそうだ。

あろうことか、現役の主将と学生OBが泣き出した。
「これをわかってくれないOB達って一体なんなんですか、もう絶望します」と。
この数年、部員数が著しく減っており、あたかも衰退の一途をたどるようだった
彼らは諸々の重圧に耐えながら、やめていく部員を尻目にみながら、細々と部を維持していた。
私はそのことを多とした。
しかし、寄付金をいつもより集めるには目的の腑分けをしなければならない。

主に学生OBが中心となり「もうそのようなトラウマの被害者を作りたくない。そのためにはどう改革ができるか。向こう10年間後輩がトラウマを」と論陣を張った。大会は2ヶ月後に迫っているというに、10年間のトラウマ防止計画を「今こそ大改革を」と銘打って意気揚々となっていた。
一方で私は、繰り返し、目的を明確にした方がよいと説いた。
OBの行動をどう変えたいのか、
トラウマをわかってもらいたいのか
お金をもらいたいのか

両者を同時に達成できない場合、どちらを優先するのか
それを冷静に考えてみたまえ
トラウマをわかってもらえれば、お金は引き出せなくてもよいのか。
つまり、大会に出なくてよいのか。

何のために何をしたいのかね。
それだけのために4時間費やした。
トラウマを生き抜いた学生OBと現役主将によると、10年間のトラウマ防止計画という大改革は悲願のようであった。
結果的に、私は彼らの抽象性と無邪気さを開始直後にほとんど一撃で粉砕したようだ。
学生OBに至ってはほとんど終始泣いていたと言ってよい
私はここまで努力してきたのに、と泣き喚き
新入部員には一緒に楽しもう、というだけでなく起こりうる辛いことを事前に全て説明して、トラウマの被害者となることを防ぎなさいよ、と次期主将に迫っていた。

現主将は学生OBのトラウマ論に引っ張られていた。
次期主将は具体的なことを具体的に計画していく冷静さを持ち合わせていた。

私は主将と次期主将に告げた。
次相談が必要なら、2人できなさい。
泣きじゃくっていた学生OBには、君はもう来なくていいと。
私は中枢の自立を促した。

それが引き金となったようである。
翌々日のことである。
午前中に私は外来をしていた。
そこへ外線がつながった。
(学生OBの)親と名乗る人が先生と話したいとおっしゃってますが、と交換は言う。
その母親と名乗る女性は、私のことをインターネットで調べて勤務先を知り、電話してきたという。
あの日の翌日、数年おさまっていた娘の希死念慮が再燃している、一体娘とどんな話をしたのかと。今晩、私たち(両親)と会ってもらえないかと。

私は危うくハラスメントの権化となりえた。

トラウマが汎化し常にそれに先回りして対処しようとする現代の生のありようと、そのようなトラウマによる失調を前提として社会を駆動するようになった現代文明をプレ・トラウマティック・オーダーと言うらしい(上尾真道「プレ・トラウマティック・オーダー」. In 田中雅一他編『トラウマを生きる』京都大学出版会, 2018)

若者との付き合い方を考え直さなければならない。
公共性と、それがもたらすリスク。
私はもう昭和の遺物になってしまったのだろうか。