その方はS状結腸癌の術後であった。
「若い頃は臨床検査技師やったんやけどね」
いまは認知症患者のケアマネージャーをしているらしい。
「認知症患者の人が、弄便て、便をいじらはるでしょう。あれは便器が手水に見えてはるんかなと思うんよ」
彼女の若い頃にはまだ廁の外には手水があった。
上からブリキの缶が吊るされていて水が入っていたり、水の入った陶器の器が置いてあったりしたのだ。その水を使って手を洗う。
「認知症患者の人たちもそういう年代やから、ぼっとん便所の世代やから、水の張ってあるところに便があると『手水に汚いものがある』と思うらしいんやね。それで掬って取り除かなあかんと思うんやと」
そんなものかなと思った。自分はブリキや陶器の手水はいまだ見たことがない。
「それで掬って、でも自分の手に汚いものがついているし、あわてて壁になすったり、どこかに隠したりするのよね。彼らも『なんとかしなあかん』と思ってるのよ。理性はあるんよ」
彼らの時代の考えや文化を知らねば認知症を知ることは難しいという。
「それにしてもネ」
ふと懸念の色が彼女の額にかかる。
「切り取った私の腸の病理、どうなってるんかなあ」
彼女は元々臨床検査技師だったから、そういうことが気になると言った。
「私もむかしは標本作ったりしていたけど、40年も前の話やからね」
彼女は寂しそうに微笑んだ。
「まだ結果はさすがに出んよね」
断端から腫瘍の細胞が出るか出ないかは、たしかにまだ時間のかかるようだった。
「そうよねえ」
困ったように微笑む彼女は窓の外の田ンぼや団地を眺めるのである。
外は良い天気だ。
「そうそう、孫が音楽やっていてね、演奏を動画にして贈ってくれたんよ…」
空谷子しるす