専攻医10

昨日母に連絡がつかなくなった。

結論から言うと母は無事だった。職場の仲間と飲み会だった。

母と連絡がつかない間私はとても不安になった。母の死を想像した。夏の部屋で母が腐敗するさまを思い、私がそれを発見して絶望するさまを思った。私に身内の死体検案は不可能だろうと思った。

中学生のころを思い出した。毎晩父と母が口論し、路頭に迷う話をしていた。私は寝床の中や居間で「助けてください」と祈っていた。自分に自活する知能と体力が無いことがわかっており、そのことがとても恨めしかった。自分を鍛える余裕もなかった。私はただ毎日死んだような顔をしながら学校に行き、学校から帰っては助けてくださいと願いながら古いゲームをやり直したり漫画を読み直したりして現実を緩和していた。

そのときのことを思い出した。絶望の中で何かに助けてくださいと祈っていた気持ちを思い出した。母がここで死んだらいったい私はどうしたらいいのだろうと悩んだ。なぜこんなつらい目にばかり遭うのかと神を恨んだ。父が亡くなったのは解剖実習の始まる前の試験中だった。なんで医学生として極めて忙しくなる時期に死んだのかわからなかった。なんで間の悪いことばかり私の人生に起こるのかわからなかった。

母が無事で本当によかった。何万円を稼ぐよりも嬉しかった。

病棟の最重症の児が亡くなった。児が亡くなったのは未明だったから私と中間医は呼ばれなかった。その児とは短い付き合いだったが、私の中では色々あった。惜しい人間を亡くしたと思う。思い出すと泣きたくなる。私はべつにその児と親しかったわけではない。その児はオクラと白いご飯を食べたがっていた。児は絶食管理だったので食べてもらうわけにはいかなかった。私は児に気兼ねしてしばらくオクラを控えていた。児が亡くなって、私は久しぶりにオクラを煮込んだものを食べた。うまかった。児がいまごろ、オクラも含めて、うまいものを食べられていることを信じている。うまいものを食べる以上にいい報いが得られていることを信じている。

児が亡くなって、一日の病棟の時間が過ぎて、私が夕方に帰る時には虹が出ていた。私は児が天国に行ったことを信じる。

空谷子しるす