2月は小児科だった。
当院に産婦人科はなく、NICUはあるけれどそれほど忙しくない。
一日外来に張り付いて、ときどき診察や小児採血をやらせてもらった。
川崎病の子が来た。
よく泣く子であった。アンパンマンのドキンちゃんが好きで、ちいさなドキンちゃんの人形を「キンちゃん」と呼び離さない。
4日間の発熱があり、眼球結膜の充血、手足の硬性浮腫、体幹部の皮疹、苺舌(私は初めて苺舌というものを見た)と典型的な徴候を認めて川崎病と診断された。
ただちに彼は入院となった。
彼の母は彼をなでながら言った。
「◯◯ちゃんはいろんな目に合うなあ」
母親は彼を慈しみの目で見た。
「ぜんぶお母ちゃんが代わってやれたらええんやけどな」
幸い一回のIVIgで熱も下がり、血小板も大して増えなかった。冠動脈も拡張しなかった。
よく泣く子だったが元気になって帰っていった。しかしどうやらすっかり病院に懲りたようで、外来に来るたび泣いている。優しい子である。
兄がたまたま電話してきたのである。
電話の用件は彼の異動についてであった。その話が済むと、話題は私の仕事に及んだ。
「川崎病の子を診させてもらったんだよね。僕は指導医にくっついていただけだけど…」
と、私は川崎病の子を診て、幸い彼が元気になって帰っていったことを話した。
すると彼は妙に嘆息して言った。
「お前自分で気づいていないかもしれないけどな」
仕事で疲れた兄は急に身を乗り出したようだった。
「川崎病の話をしているとなんかいい感じだぞ。おかげで元気もらったわ」
私はよくわからないことを言われたので、そうか、それはよかったとのみ返した。
彼は妙に機嫌が良くなり、またなにかあったら話せよ、おれも話すからと言って電話を切った。
兄はときどき妙なことを言う男である。
勘にすぐれ、能楽を好む。
兄は私の言葉に何を感じたのかはわからない。
ただ、私は外来に張り付きながら、猫ひっかき病疑いやら手足口病疑いやらの子たちを見ながら、
なんとなくこうしたことはたしかに意味のあることかもしれないと思った。
私はドン・ボスコ師の本を改めて読み返す気になった。
小児神経の先生が南方熊楠の熱心なファンであったことも私の気に入った。
空谷子しるす