患者さんのことなど7

「僕は青森で工場長していたんよ。もともとこのあたりの会社やったんけどね」

彼は下部内視鏡を受けるために入院し、その結果多量のポリープや癌らしき組織を認めた方だった。

喉が詰まると言うので上部内視鏡も行ったのであった。その結果大きな潰瘍性病変を認め、生検を行ったのであった。

それから全ての大腸ポリープを切除するため、引き続き入院となっていた。

「ちいさいころは満州でね。引き揚げて北海道に行ったけど身寄りがないので、東京のおばのところに行ったんよ…」

それからこの地の工場に就職し、さらに青森の工場長を任されるに至ったらしい。

「工場が長いからね」

と彼は言った。

「三交代勤務のしんどさはよくわかってるよ。看護師さんは大変や。僕らも夜間の故障があったら、朝が来ても直るまで帰れないからな…」

彼はたいへんな勉強家で、自らに行われた処置や投薬をことこまかに手帳に記録していた。

「若い時からのくせなんよ」

と彼は言った。

「一生勉強や。医者もそうやろ」

上部内視鏡の生検の結果、彼は進行食道癌であった。

主治医から病態の説明を受け、それから私がしばらくしてから彼の床に訪れた。

「食道癌…」

彼は泳ぐ目で宙を見た。

「問題は、どこが原発なのかということや。大腸か、食道か…」

彼はぽろぽろと泣いた。

「どこで手術を受けるのが良いのかな」

彼はいろいろ自ら調べた結果、他県の大学病院に手術を希望して行った。

空谷子しるす

患者さんのことなど6

その方はS状結腸癌の術後であった。

「若い頃は臨床検査技師やったんやけどね」

いまは認知症患者のケアマネージャーをしているらしい。

「認知症患者の人が、弄便て、便をいじらはるでしょう。あれは便器が手水に見えてはるんかなと思うんよ」

彼女の若い頃にはまだ廁の外には手水があった。

上からブリキの缶が吊るされていて水が入っていたり、水の入った陶器の器が置いてあったりしたのだ。その水を使って手を洗う。

「認知症患者の人たちもそういう年代やから、ぼっとん便所の世代やから、水の張ってあるところに便があると『手水に汚いものがある』と思うらしいんやね。それで掬って取り除かなあかんと思うんやと」

そんなものかなと思った。自分はブリキや陶器の手水はいまだ見たことがない。

「それで掬って、でも自分の手に汚いものがついているし、あわてて壁になすったり、どこかに隠したりするのよね。彼らも『なんとかしなあかん』と思ってるのよ。理性はあるんよ」

彼らの時代の考えや文化を知らねば認知症を知ることは難しいという。

「それにしてもネ」

ふと懸念の色が彼女の額にかかる。

「切り取った私の腸の病理、どうなってるんかなあ」

彼女は元々臨床検査技師だったから、そういうことが気になると言った。

「私もむかしは標本作ったりしていたけど、40年も前の話やからね」

彼女は寂しそうに微笑んだ。

「まだ結果はさすがに出んよね」

断端から腫瘍の細胞が出るか出ないかは、たしかにまだ時間のかかるようだった。

「そうよねえ」

困ったように微笑む彼女は窓の外の田ンぼや団地を眺めるのである。

外は良い天気だ。

「そうそう、孫が音楽やっていてね、演奏を動画にして贈ってくれたんよ…」

空谷子しるす

外科

外科のローテーションは基本的には急性胆嚢炎や鼠径ヘルニアの第一助手を務めることが目標になる。

言われたことを我なりに必死にやるしかないというのは、私にできる唯一のことである。

病棟管理は任されないから気楽なものである。外科の医師たちも破格に優しい。当院は恵まれていると思う。

日々は過ぎ去る。

大切なことは祈り以外に何もない。

空谷子しるす