消化器内科といえば緊急にて食道静脈瘤破裂や憩室出血が来る科であるが当院はゆるやかであるから時間外に研修医が呼ばれることはない。
研修医のやることは内視鏡の設置、移乗介助、鎮静剤の静脈路確保、生検介助、ルゴール液散布やインジゴカルミン散布介助、雑務であり、しかれどもやるべきことが明確なのは私にはありがたかった。
病態はどれをとっても分かりきることはない。わからぬものをわからぬでは話が進まぬからガイドラインを覚えて治療方針を立てよと言われる。私は私なりに必死を尽くすが、私の能力は至らぬからやりきるを得ぬ。
私は患者の方々とよく話す。彼らは寂しいのかしらぬがよく話してくれる。当院の周囲がのどやかな土地柄であることもあろう。
患者方と話す。神社に行って祈る。くたびれて眠る。相変わらず女からは相手にされぬ。いままで一度も相手にされたことが無い。このまま一生独身かとも思う。鏡を見て、おのれの醜さを思う。また神社に行って祈る。私には祈ることしかできぬ。
学生実習で神経内科を回ったときにさまざまな神経難病を拝見したのである。
若くして発症した場合、世間的に言う青春を諦めざるをえぬことが多くある。
チャプレンのごとき活動をする浄土真宗の僧侶が話してくれたことがあった。
「神経難病の若い男の子がね、お坊さん、あんたはいくら話しても僕の気持ちはわからないだろうと言うんですよ。だってお坊さんは学校も行って、仕事もして、結婚もしてるじゃない。僕はなんにもできないんだよ。お坊さんは僕の気持ちは絶対にわからないよ」
箕面の老師は言ったのである。
「司祭が一生独身なんは、いろんな都合で結婚できない人らの気持ちがわかるようにということもあるんちゃうかな」
私は神経難病患者のようにやむにやまれぬ事情もない。司祭のように自ら貞潔を誓ったのでもない。ただ女に厭われるのであって、それはある意味では最も惨めな立場なのかも知れぬ。
実用、実用の病院のことどもがうまくいかぬ。私は知能が足らず医者に向いておらぬと思う。しかし飯を食うためにやれる限りのことをやり、やりたくないことは極めてやりたくないと思う。
出町柳の柳月堂でケーキを食いコーヒを飲みながらこの文をものしている。
背後で女子大生がよい男をひっかける算段をしている。
私は現代日本社会から結果的に疎外されている。
日蓮のごとく正しいがゆえに世が逆らうと思うべきか。
もはや努めて楽しいことを探し求める時期に来ている。
空谷子しるす