その神父は箕面の田舎のおじいさんであって金勘定が好きだというのだ。
「そら楽しみなんてほかにあらへんやん」といいながらヒヒヒと笑うのだ。とんでもない坊さんである。
彼が中宮寺の話をした。
「昔中宮寺に若い男が来たんよ。その男は日がな一日仏さんの前に座って動かんかった」
ワインをのみながら箕面のオッチャンは語る。
「夕方になって小僧さんが門を閉めないとならんのにその男はまだおる。日が傾いていよいよ日没と言う時になってもまだおる。しかたなくもう時間ですと言うと、男はようやく立ち上がって帰っていった。その翌日男は出征して戦地から帰ってこんかった」
神父は赤ワインを飲む。店の電灯がワインの面に映ってきらきらしている。
「僕もややこしいことや嫌なことがあったら中宮寺の仏さんのところに行くんよ」
私の出身は奈良であるから斑鳩はよく知っている。翌日私は法隆寺に向かった。
中宮寺は法隆寺のすぐ隣にあるから、法隆寺の前に車を停めれば歩いていける。法隆寺の拝観料は1500円と極めて高いからそれは入らずに、土塀と石畳の道を中宮寺までてくてく歩く。
中宮寺は尼寺である。
皇室の女性が出家するいわゆる門跡寺院であって、ちいさな寺は全体的に風雅な趣がある。中宮寺の拝観料は600円だ。常識的と言えよう。
本堂は山吹の花に囲まれた池に浮かんでいる。
その中に如意輪観音半跏思惟像がおわします。
蝉が鳴いているのは梅雨が明けたのであった。
池の傍で亀が甲羅干しをしている。
今日はよく晴れた。暑い中に風が吹き抜ける。奈良盆地特有の焦熱が心地よくて助かる。
漆黒の御仏は微妙な表情で衆生を救う手段を考えている。
人間一切が救われることは無いかもしらんが、考え祈ることは…
他人の痛みを取れずとも、我もまた悩み痛むならば…
斑鳩は晴れている。小宇宙のようなきれいな寺と汚くて埃っぽい地べたが混ざる。
野の花が咲いている。
私は腹が減ったから街に向かった。
空谷子しるす