体重増加には抗精神病薬と直接の因果関係がないのではないか。それは円滑な治療の経過において認められるのであろう。回復が膠着した準安定状態の慢性患者は、体重は変化しないことが多く、すでに肥満している患者の体重は減ってもわずかである。 (中略)薬物の漫然投与は、ある段階以上に回復を進めることはあっても少ないだろう。せいぜい寛解期後期に数歩も手前に留まる。(中略)ここに重大な誤解ー精神病者はおしなべて薬物で太るか、肥満しているという誤解ーが生まれている原因がある。精神科医や精神医療にかかわる人たちの一般的見解となっている観すらある。体重の増加を「くすりのせいですか?」と質問する患者や家族がいる。私は、「(病気が)良くなっていくときの一里塚のようなものです」と答えることにしている。 (中略) 私の体重についての見解は、〔急性期の患者は回復過程にはいるとおおむね体重が増え、寛解期後期に至って一定し、いっそうの回復がすすむと漸減する。慢性患者が慢性期から離脱するときは、痩せている人は太り、肥満している人は体重が減る傾向にある。慢性期から離脱準備の条件が整いつつあるときも体重はゆっくり変動する〕である。 (星野弘『新編 分裂病を耕す』pp168-169) 返信
掲示板を新しい順に表示するようにしました。表示件数を減らすようにしました。モンスターidというメールアドレスからアバターを自動生成するようにしてみました。ご意見あればお願いします。 件数はもっと減らしてもいいかと思ってます。下までページを繰るのが大変になりそうなので。 返信
「症例検討会」は、まず症例を呈示する医師の側からすれば、症例に関する情報のあらゆる質問に答えられる準備をしておく必要が起こる。(中略)そのために患者の秘密まで侵襲的に聞いて情報の収集を補充しておく羽目になる。(中略)また参加者の意見は、治療の実情からはずれたものも多いのであるが、治療者は屈服して意見を過大に重視する。「ああ、そういう診かたもあったのか」とか、患者の病理が分かったような気になる。治療者はそこで気が抜けて治療熱が一挙にさめてしまって診察が疎かになるか、反対に意気込んでインテンシブな診察になりがちになる。患者のほうは、秘密を奪われ萎えてしまったり、硬化する。こういう現象を「症例検討会症候群」と言い、一般に、呈示された症例の予後は屈折し、スムーズな回復を辿らないことが少なくない。そうでなくても治療者の興味の対象になった患者の予後は芳しくない。 (星野弘『新編 分裂病を耕す』) 返信
ある概念に収斂されてしまったら、何も見えなくなるんですよ。ほとんど何も言ってないことと同じになるんですよ。だから、今言ったことを私なりに要約させてもらうと、クライエントが示している、あるいはクライエントが語っている、クライエントがいる状況にあって、体験しているものを、できるだけクライエントの言葉で、クライエントの体験の仕方で、クライエントのイメージの仕方で、こちらがどう受け取るかということだようね。僕はそう受け取ったんだけど。 恐らくそれは、他の言葉で言うと「従来からわかっていないことが多いという認識」が必要だということですよ。わかっているというのは、実は、あらゆるわかってないことをわかっていることに収斂されがちなのです。違うんだ。自閉症で言えば、自閉症の治療というのは、何もわかっていないと思った方が良いくらいですよ。僕に言わせると。自閉症に限らない。分裂病がそうですわ。強迫症もそうだし、ボーダーラインだって絶対そうだと思う。要するに特に病態水準が深いと言われるほど僕はそうなると思うんだけど、わかってないことの方が圧倒的に多いんですよ。そのことをわかったかのうようにしてしまっているから治療がそれ以上進展しないし、上手く進まないんじゃないでしょうか。 (山中康裕『こころに添う−セラピスト原論−』) 返信
ケース・カンファレンスを有益なものとするために ケース提出者はつねに、自分が最も関心をもっている部分に焦点を絞って報告するのが正しいやりかたです。 レジュメが配られているケース・カンファレンスの場では、参加者全員が書かれた文字を目で読んでいます。報告者も、あらかじめ文字で伝えられていることに依存してしまうので、語る口調ではない、読む口調が混じったりします。(中略)そのような非実用的技能を育てるサロンにならないよう、レジュメなしの、語り言葉だけのケース・カンファレンスをなさってください。もっとも、レジュメを作る作業は、報告者自身にとって大切なトレーニングになりますし、参加者にとってのレジュメの効用もあるものです。ですから、レジュメを用意しておいて、会の終了時に配布するのがよいかもしれません。 治療者になるためのトレーニングの一環としてのケース・カンファレンスの場合、会の終了後も内的独言が続いて、脳が忙しくなるくらいがいいものです。そのための、ひとつの工夫は、たくさんの疑問が噴出した状態で会が終了するように、司会者が努力することです。逆に、司会者がまとめなどして、動きを鎮めてしまうのを見ることがあり、もったいなく思うことです。 (神田橋條治『精神療法面接のコツ』) 返信
7/20 35.6度。書き忘れていたが昨日あった腰痛がなくなった。結膜充血軽度、耳下腺あたりの圧痛は右だけわずかに残っている。リンパ節腫脹や圧痛はない。咽頭後壁のリンパ濾胞はわずかに縮小傾向で張りもない。鼻閉は右だけ残っている、そのせいか右頭部に軽度頭重感がある。前頭洞や前顎洞の叩打痛はないが軽いウイルス性の副鼻腔炎はあるかもしれない。咳は頻度は減っているが気管の過敏性が亢進しているせいか、発作的に起こる。 昨夜はカロナールを飲まなかったが今朝は飲むようにした。コロナにいいとかどうとか文献が昔出ていたLアルギニンも害はないだろうと陽性判明してから1000mg2錠/日で続けている。 返信
7/21 ほぼ症状は消失、わずかに咳嗽、喀痰、鼻詰まり、嗄声が残る程度。発熱はない。両側の口腔内の頬粘膜に小さな白斑の集簇がある。痛みはない。咽頭後壁のリンパ濾胞も残っているが、日々色褪せ退縮している。読書による眼精疲労。 返信
7/18 夕37.1度(カロナール200mg2錠朝昼夕飲んでいる)。咳が少し目立つ。昼夕共にレトルトカレーを食べるが、依然味覚、嗅覚障害の自覚はない。もともといずれも鈍いので評価が難しい。 7/19 雨。朝36.6度。喉頭のむず痒さが引いてきて、咽頭痛が顕著となる。手足口病のときのような、喉の奥のひりひりと灼けるような痛み。咽頭後壁のは可視範囲では4条ほどのリンパ濾胞形成を伴う赤い縦縞がある。濾胞はイクラ様ではなく、弛緩しており空気の抜けかけた紙風船のような張り。扁桃腫大や目立った白苔付着はない。頸部のリンパ節腫脹や圧痛はないが、耳下腺のあたりに両側圧痛軽度認める。鼻汁、鼻閉感。 返信
コロナ陽性になり自宅療養中です。経過をメモしておきます。 7/16 喉頭がむず痒く咳嗽現れる 7/17 37.8度の発熱、悪寒、全身倦怠感、頭痛。頸部リンパ節腫脹や圧痛はなし。コロナPCR陽性。本は読めないが映画は視聴できる。 7/18 解熱。咽頭痛、結膜充血、鼻汁。頭痛や倦怠感も軽減し本も読める程度。エビやザリガニの世話をする。 返信
診断を留保することの重要さを説明するもうひとつの方法は、保留の有益性を語ることである。すなわち、診断を保留することは、ひとつの疑問を、いやしばしば複数の疑問を蓄えることである。そして、通常、知的に豊かであるというのは、知識を蓄えていることではなく、疑問を蓄えていることなのである。あわてて診断を決定してしまうことで、束の間の心のやすらぎを得る行動の中に逃避し、疑問が解決したかのように思いこむのは、貧しさへの道であるかもしれないのである。なぜなら、豊かな可能性をひめているかもしれない疑問を見据えることなく、とりにがしてしまうからである。診断保留から生みだされる富は多種多様である。 「下司の勘繰り」という心理行動を、精神分析学では「投影性同一視」という述語で記述する。 (神田橋條治、『追補 精神科診断面接のコツ』、岩崎学術出版社、1994年) 返信
しびれますね。 僕もかつて正にここを引用してスライドを作ったことがあります。 神田橋の文章を読んでいると他にもナルホイヤを思い出す箇所があります。 彼は狩人なんでしょうね。 トラウマトラウマとうるさい世の中ですが、リスク回避も高じると偶然を狩れなくなります。 返信
診断はひとつの判断であるが、この診断という行為には、常に「判断保留」という姿勢が裏打ちとして用意されていなければならない。 (中略) 患者の状態について我々が判断し解ってしまうことが、患者にとっては、何よりも解ってもらえないことの証左と感じられることがある。むしろ、考え続けること、迷うことが、関係を作り、治療的であることがあるのである。 (鈴木國文『精神病理学から何が見えるか』) 返信
神戸のピアニストと週末に飲んだら、随分ここに来たがっておられました(演奏に)。ピアノを電子ピアノでも用意したいところです。9/18は鳥取ジャズhttps://tottorijazz.jp/に出るとのことでダメでしたが、いつかお誘いしたいと妄想しています。 返信
沖縄の詩人、山之口貘の詩を載せます。 彼もまた沖縄人として、貧乏人として、ひたすら自分の詩を手直し書き直し続ける奇妙な詩人として、異人でありました。異人であることに悩みながら素朴に正しさを見つめた人間と思います。 求婚の廣告 一日もはやく私は結婚したいのです 結婚さへすれば 私は人一倍生きてゐたくなるでせう かやうに私は面白い男であると私もおもふのです 面白い男と面白く暮したくなつて 私ををつとにしたくなつて せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか さつさと來て呉れませんか女よ 見えもしない風を見てゐるかのやうに どの女があなたであるかは知らないが あなたを 私は待ち佗びてゐるのです 返信
ちなみに私も10月から職場が変わります。往診にシフトしていくことになりそうです。 研修期間は役割が宙ぶらりんでストレスフルですね。やりがいが見出しづらくてつらい。職場が変わったりすると3ヶ月前後は研修期間があると思いますが、それが2年などと続くとなかなか。 返信
往診にシフトされるんですね。 すごい。と素朴に思います。 やることを変えるのを決めるのは優れたことだと思います。 研修期間、役割はたしかによくわかりませんが、「じゃあ主治医で自由にやっていいよ」というのは、知識も経験も足りなくて、恐ろしくてたまらないです。僕はとてもやっていける気はしていません。神様に祈り求めています。その上でいつものように、やれることだけしかやれないのです。 返信
ありがとうございます! 研修は疲れます。 しかも2次救急のハイポ病院で、なにもしていないのに疲れています。 自分の非力なことは知りながら、前に進むしかありません。 祈ってくださりありがとうございます!今までのように、人の目にはどう映っても、神様から見ればきっと良いように運んでくださることを信じます。 返信
体重増加には抗精神病薬と直接の因果関係がないのではないか。それは円滑な治療の経過において認められるのであろう。回復が膠着した準安定状態の慢性患者は、体重は変化しないことが多く、すでに肥満している患者の体重は減ってもわずかである。
(中略)薬物の漫然投与は、ある段階以上に回復を進めることはあっても少ないだろう。せいぜい寛解期後期に数歩も手前に留まる。(中略)ここに重大な誤解ー精神病者はおしなべて薬物で太るか、肥満しているという誤解ーが生まれている原因がある。精神科医や精神医療にかかわる人たちの一般的見解となっている観すらある。体重の増加を「くすりのせいですか?」と質問する患者や家族がいる。私は、「(病気が)良くなっていくときの一里塚のようなものです」と答えることにしている。
(中略)
私の体重についての見解は、〔急性期の患者は回復過程にはいるとおおむね体重が増え、寛解期後期に至って一定し、いっそうの回復がすすむと漸減する。慢性患者が慢性期から離脱するときは、痩せている人は太り、肥満している人は体重が減る傾向にある。慢性期から離脱準備の条件が整いつつあるときも体重はゆっくり変動する〕である。
(星野弘『新編 分裂病を耕す』pp168-169)
掲示板を新しい順に表示するようにしました。表示件数を減らすようにしました。モンスターidというメールアドレスからアバターを自動生成するようにしてみました。ご意見あればお願いします。
件数はもっと減らしてもいいかと思ってます。下までページを繰るのが大変になりそうなので。
ありがとうございます。新旧逆なら読みやすいのにと思っていたところです。
アイコンはキモくていいですね。
みやすいです.ありがとうございます.
「症例検討会」は、まず症例を呈示する医師の側からすれば、症例に関する情報のあらゆる質問に答えられる準備をしておく必要が起こる。(中略)そのために患者の秘密まで侵襲的に聞いて情報の収集を補充しておく羽目になる。(中略)また参加者の意見は、治療の実情からはずれたものも多いのであるが、治療者は屈服して意見を過大に重視する。「ああ、そういう診かたもあったのか」とか、患者の病理が分かったような気になる。治療者はそこで気が抜けて治療熱が一挙にさめてしまって診察が疎かになるか、反対に意気込んでインテンシブな診察になりがちになる。患者のほうは、秘密を奪われ萎えてしまったり、硬化する。こういう現象を「症例検討会症候群」と言い、一般に、呈示された症例の予後は屈折し、スムーズな回復を辿らないことが少なくない。そうでなくても治療者の興味の対象になった患者の予後は芳しくない。
(星野弘『新編 分裂病を耕す』)
ある概念に収斂されてしまったら、何も見えなくなるんですよ。ほとんど何も言ってないことと同じになるんですよ。だから、今言ったことを私なりに要約させてもらうと、クライエントが示している、あるいはクライエントが語っている、クライエントがいる状況にあって、体験しているものを、できるだけクライエントの言葉で、クライエントの体験の仕方で、クライエントのイメージの仕方で、こちらがどう受け取るかということだようね。僕はそう受け取ったんだけど。
恐らくそれは、他の言葉で言うと「従来からわかっていないことが多いという認識」が必要だということですよ。わかっているというのは、実は、あらゆるわかってないことをわかっていることに収斂されがちなのです。違うんだ。自閉症で言えば、自閉症の治療というのは、何もわかっていないと思った方が良いくらいですよ。僕に言わせると。自閉症に限らない。分裂病がそうですわ。強迫症もそうだし、ボーダーラインだって絶対そうだと思う。要するに特に病態水準が深いと言われるほど僕はそうなると思うんだけど、わかってないことの方が圧倒的に多いんですよ。そのことをわかったかのうようにしてしまっているから治療がそれ以上進展しないし、上手く進まないんじゃないでしょうか。
(山中康裕『こころに添う−セラピスト原論−』)
ケース・カンファレンスを有益なものとするために
ケース提出者はつねに、自分が最も関心をもっている部分に焦点を絞って報告するのが正しいやりかたです。
レジュメが配られているケース・カンファレンスの場では、参加者全員が書かれた文字を目で読んでいます。報告者も、あらかじめ文字で伝えられていることに依存してしまうので、語る口調ではない、読む口調が混じったりします。(中略)そのような非実用的技能を育てるサロンにならないよう、レジュメなしの、語り言葉だけのケース・カンファレンスをなさってください。もっとも、レジュメを作る作業は、報告者自身にとって大切なトレーニングになりますし、参加者にとってのレジュメの効用もあるものです。ですから、レジュメを用意しておいて、会の終了時に配布するのがよいかもしれません。
治療者になるためのトレーニングの一環としてのケース・カンファレンスの場合、会の終了後も内的独言が続いて、脳が忙しくなるくらいがいいものです。そのための、ひとつの工夫は、たくさんの疑問が噴出した状態で会が終了するように、司会者が努力することです。逆に、司会者がまとめなどして、動きを鎮めてしまうのを見ることがあり、もったいなく思うことです。
(神田橋條治『精神療法面接のコツ』)
7/20 35.6度。書き忘れていたが昨日あった腰痛がなくなった。結膜充血軽度、耳下腺あたりの圧痛は右だけわずかに残っている。リンパ節腫脹や圧痛はない。咽頭後壁のリンパ濾胞はわずかに縮小傾向で張りもない。鼻閉は右だけ残っている、そのせいか右頭部に軽度頭重感がある。前頭洞や前顎洞の叩打痛はないが軽いウイルス性の副鼻腔炎はあるかもしれない。咳は頻度は減っているが気管の過敏性が亢進しているせいか、発作的に起こる。
昨夜はカロナールを飲まなかったが今朝は飲むようにした。コロナにいいとかどうとか文献が昔出ていたLアルギニンも害はないだろうと陽性判明してから1000mg2錠/日で続けている。
7/21 ほぼ症状は消失、わずかに咳嗽、喀痰、鼻詰まり、嗄声が残る程度。発熱はない。両側の口腔内の頬粘膜に小さな白斑の集簇がある。痛みはない。咽頭後壁のリンパ濾胞も残っているが、日々色褪せ退縮している。読書による眼精疲労。
7/22 痰が少し絡む程度、鼻の通りもよくなった。晴れている、午後の陽光浴びながら、海老、カニに餌をやり水を足し洗濯を干す。
7/18 夕37.1度(カロナール200mg2錠朝昼夕飲んでいる)。咳が少し目立つ。昼夕共にレトルトカレーを食べるが、依然味覚、嗅覚障害の自覚はない。もともといずれも鈍いので評価が難しい。
7/19 雨。朝36.6度。喉頭のむず痒さが引いてきて、咽頭痛が顕著となる。手足口病のときのような、喉の奥のひりひりと灼けるような痛み。咽頭後壁のは可視範囲では4条ほどのリンパ濾胞形成を伴う赤い縦縞がある。濾胞はイクラ様ではなく、弛緩しており空気の抜けかけた紙風船のような張り。扁桃腫大や目立った白苔付着はない。頸部のリンパ節腫脹や圧痛はないが、耳下腺のあたりに両側圧痛軽度認める。鼻汁、鼻閉感。
コロナ陽性になり自宅療養中です。経過をメモしておきます。
7/16 喉頭がむず痒く咳嗽現れる
7/17 37.8度の発熱、悪寒、全身倦怠感、頭痛。頸部リンパ節腫脹や圧痛はなし。コロナPCR陽性。本は読めないが映画は視聴できる。
7/18 解熱。咽頭痛、結膜充血、鼻汁。頭痛や倦怠感も軽減し本も読める程度。エビやザリガニの世話をする。
診断を留保することの重要さを説明するもうひとつの方法は、保留の有益性を語ることである。すなわち、診断を保留することは、ひとつの疑問を、いやしばしば複数の疑問を蓄えることである。そして、通常、知的に豊かであるというのは、知識を蓄えていることではなく、疑問を蓄えていることなのである。あわてて診断を決定してしまうことで、束の間の心のやすらぎを得る行動の中に逃避し、疑問が解決したかのように思いこむのは、貧しさへの道であるかもしれないのである。なぜなら、豊かな可能性をひめているかもしれない疑問を見据えることなく、とりにがしてしまうからである。診断保留から生みだされる富は多種多様である。
「下司の勘繰り」という心理行動を、精神分析学では「投影性同一視」という述語で記述する。
(神田橋條治、『追補 精神科診断面接のコツ』、岩崎学術出版社、1994年)
しびれますね。
僕もかつて正にここを引用してスライドを作ったことがあります。
神田橋の文章を読んでいると他にもナルホイヤを思い出す箇所があります。
彼は狩人なんでしょうね。
トラウマトラウマとうるさい世の中ですが、リスク回避も高じると偶然を狩れなくなります。
研修医の先生でも、たくさん知っているよりもたくさん疑問を持てる先生をみていると優秀だなあと思いますね。
診断はひとつの判断であるが、この診断という行為には、常に「判断保留」という姿勢が裏打ちとして用意されていなければならない。
(中略)
患者の状態について我々が判断し解ってしまうことが、患者にとっては、何よりも解ってもらえないことの証左と感じられることがある。むしろ、考え続けること、迷うことが、関係を作り、治療的であることがあるのである。
(鈴木國文『精神病理学から何が見えるか』)
神戸のピアニストと週末に飲んだら、随分ここに来たがっておられました(演奏に)。ピアノを電子ピアノでも用意したいところです。9/18は鳥取ジャズhttps://tottorijazz.jp/に出るとのことでダメでしたが、いつかお誘いしたいと妄想しています。
ぜひ演奏に来ていただきたいですね。ジャズバーしましょう。こういうのを最近はジャズるというのでしょうか。楽しみが増えますね。
テスト書き込みです。
いい詩だと思います。しんどいときにユーモアを飛ばせるのは難しいことですね。
今日もめちゃくちゃ暑いですね
暑いですね。
ベランダのザリガニとエビが今夏を乗り越えられるかどうか、心配です。冷却装置を買うべきか、川に帰すべきか。to be or not to beです。
沖縄の詩人、山之口貘の詩を載せます。
彼もまた沖縄人として、貧乏人として、ひたすら自分の詩を手直し書き直し続ける奇妙な詩人として、異人でありました。異人であることに悩みながら素朴に正しさを見つめた人間と思います。
求婚の廣告
一日もはやく私は結婚したいのです
結婚さへすれば
私は人一倍生きてゐたくなるでせう
かやうに私は面白い男であると私もおもふのです
面白い男と面白く暮したくなつて
私ををつとにしたくなつて
せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか
さつさと來て呉れませんか女よ
見えもしない風を見てゐるかのやうに
どの女があなたであるかは知らないが
あなたを
私は待ち佗びてゐるのです
不安だけど不敵なまでに自信に満ちていて、しかし切実
いい詩ですね
空谷子さんの詩かと思いました。
ユーモラスかつ切実でいいですね。
病院見学に行きまして明日はまた精神科に行きます 全ていい感じになってほしいです
お祈りいたします。またお祈りの仕方も教えてください。
ちなみに私も10月から職場が変わります。往診にシフトしていくことになりそうです。
研修期間は役割が宙ぶらりんでストレスフルですね。やりがいが見出しづらくてつらい。職場が変わったりすると3ヶ月前後は研修期間があると思いますが、それが2年などと続くとなかなか。
研修はつかれますよね。本当に。
職場がコロコロ変わるのは心によくないと思います。
往診にシフトされるんですね。
すごい。と素朴に思います。
やることを変えるのを決めるのは優れたことだと思います。
研修期間、役割はたしかによくわかりませんが、「じゃあ主治医で自由にやっていいよ」というのは、知識も経験も足りなくて、恐ろしくてたまらないです。僕はとてもやっていける気はしていません。神様に祈り求めています。その上でいつものように、やれることだけしかやれないのです。
ありがとうございます!
お祈りの仕方、定型は各々あるかと思いますが、
ただ手を合わせて、お願いしてもいいし、何も考えなくてもいいと思います。
とくに何も考えないのがいいような気がします。
小児科お疲れ様でした。
いい具合になるといいですね。
お祈りしております。
ありがとうございます!
研修は疲れます。
しかも2次救急のハイポ病院で、なにもしていないのに疲れています。
自分の非力なことは知りながら、前に進むしかありません。
祈ってくださりありがとうございます!今までのように、人の目にはどう映っても、神様から見ればきっと良いように運んでくださることを信じます。
テストです
テストです