豚足と肺のない大阪

息子@4歳7ヶ月の憤り

息子)今日行ったとこには豚足も肺もなかったよ!大阪なのに!
父)ああ、あそこは鶴橋ちゃうからな。
息子)え、大阪じゃないの!?
父)いや、そこも大阪やで。大阪の中に、鶴橋もあれば、今日行ったところもあるねん。
息子)なんで!
父)・・・

この背景には、次のようなやりとりがあった
息子)お父さん、豚足と肺、今から買いに行こ!
父)いや、ここは京都やから、豚足売ってるとこないんよ。鶴橋じゃないと。
息子)じゃあ、今から鶴橋に行こ!
父)いや、鶴橋は大阪で遠いんや。ここは京都なんよ。
息子)なんで!今から大阪に買いに行く!
父)いやいやもう夜やから><
息子)今から行こ!
父)・・・

我が家では鶴橋で売っている豚足と肺(ほっぺ)が大人気である。
特に子供らはほっぺが大好きで、家に帰るのを待ちきれず電車の中で食べてしまう。
電車の中で嬉々として肺の肉を喰らう子供達・・・
安くてうまいのでおすすめします♡

<わたし>

シフターについての話題

7歳娘:えな(2歳3ヶ月)、最近、自分のことわたしって言ってるんよ
父:へー
7歳娘:あの歳の子がわたしっていうのなんか変よね
父:うーん
父:ももちゃんが自分のことを私って言うと変なの?
7歳娘:変じゃないけど、とにかくももちゃんはももちゃんと言っていたいの

専攻医12

様々な児がいる。いままた児が危うい。

私はとても疲れている。血液グループのローテーションが終わり、また別のグループにいるが、血液はとても大変だった。首筋のあたりにじっくりした重みが被さっている。

世の中はお盆であって、先祖の霊を祀るのか、ただ遊ぶのかは人それぞれだが、めいめいが焦熱の中を休んでいる。私も、ああ、どこかに祈りに行きたい。神仏に委ねたい。

ちかごろはまた日本とヘブライの関わりに興味がある。大昔からこのたぐいの話は父がよく話をして私に身近だったから、ふるさとに帰ってくるような気持ちである。荒唐無稽な話のようで、しかし何らかの影響はあったかもしれないと思うと、やはり日本の神仏というのは多様にして全て異なりながらも一なのではないかと思われてくる。たぶん「私にとっては」それが神仏についての真実なのだろうと思う。

余分なことを考えたくないのは私がとても疲れているからだ。私はなにか、安定した楽しい時代というものは無いままに、ただ背負う荷物ばかりが重たくなっていく気がする。しかし考えてもしかたがない。だからこそ祈りながら、考えずに生きていくしかないし、それでようやく生きられるのだ。

空谷子しるす

専攻医11

イエズスのように生きることはとても難しい。

血液のローテーションが終わり、神経免疫グループに移った。血液ではまだ様々な児が様々な困難に直面していた。悪性腫瘍という大病を乗り越えるにはめちゃくちゃな治療を必要とする。そのために圧倒的な労苦を必要とする。親も児もいらいらしたりわめいたり疲れたりする。本来生きられなかった者が生きられるかもしれないとなると、次は様々な要求も出る。あの症状を止めよ、この症状を止めよということになる。本来が無理を通して不治の病を治そうとしているからさまざまな症状は出る。その全てを予防したり治したりすることは不可能である。医者も人間だからそのできることはしたいと思う。

どうも体調がよくない。今週末は二日連続の当直である。

どうか神様がお守りくださいますように。

すべての人が幸せになりますように。

空谷子しるす

専攻医10

昨日母に連絡がつかなくなった。

結論から言うと母は無事だった。職場の仲間と飲み会だった。

母と連絡がつかない間私はとても不安になった。母の死を想像した。夏の部屋で母が腐敗するさまを思い、私がそれを発見して絶望するさまを思った。私に身内の死体検案は不可能だろうと思った。

中学生のころを思い出した。毎晩父と母が口論し、路頭に迷う話をしていた。私は寝床の中や居間で「助けてください」と祈っていた。自分に自活する知能と体力が無いことがわかっており、そのことがとても恨めしかった。自分を鍛える余裕もなかった。私はただ毎日死んだような顔をしながら学校に行き、学校から帰っては助けてくださいと願いながら古いゲームをやり直したり漫画を読み直したりして現実を緩和していた。

そのときのことを思い出した。絶望の中で何かに助けてくださいと祈っていた気持ちを思い出した。母がここで死んだらいったい私はどうしたらいいのだろうと悩んだ。なぜこんなつらい目にばかり遭うのかと神を恨んだ。父が亡くなったのは解剖実習の始まる前の試験中だった。なんで医学生として極めて忙しくなる時期に死んだのかわからなかった。なんで間の悪いことばかり私の人生に起こるのかわからなかった。

母が無事で本当によかった。何万円を稼ぐよりも嬉しかった。

病棟の最重症の児が亡くなった。児が亡くなったのは未明だったから私と中間医は呼ばれなかった。その児とは短い付き合いだったが、私の中では色々あった。惜しい人間を亡くしたと思う。思い出すと泣きたくなる。私はべつにその児と親しかったわけではない。その児はオクラと白いご飯を食べたがっていた。児は絶食管理だったので食べてもらうわけにはいかなかった。私は児に気兼ねしてしばらくオクラを控えていた。児が亡くなって、私は久しぶりにオクラを煮込んだものを食べた。うまかった。児がいまごろ、オクラも含めて、うまいものを食べられていることを信じている。うまいものを食べる以上にいい報いが得られていることを信じている。

児が亡くなって、一日の病棟の時間が過ぎて、私が夕方に帰る時には虹が出ていた。私は児が天国に行ったことを信じる。

空谷子しるす

覚書15

物を書くようになってすぐまともなものが書けなくなった。

結構のある小説、理路の通った論説、いずれも面白くなく全く書けなくなった。書きたいとも思わなくなった。

たまに頭の通りが悪くなり、はたからみるとよくなったときに少し通じることをいうと、ちゃんと薬を飲んでいるのだろうとか、体験から逃れているのだろうとか見当違いの想像と微笑ましいような眼差しを向けられて、そういうときはおむつのなかでよりいっそう激しく放尿したくなる。むしろおむつをはずした瞬間に放尿したくなる。放尿は時に正義だ。

廊下を歩いていると、両脇にいつも同じような感覚でうつろな表情で、というより中毒症状やひとりで脳内で闘志を燃やしている人たちが、昼の日光を浴びて、外部と交流している。頑張れよとおむつをした私はふらふらでそこを通り抜ける。天井を突き抜けるように、地面を睨みつけながら、腹はまっすぐ突き出して。

中庭に四葉のクローバーが密生している一角がある。誰も気づいていないのかむしろ不気味に思ってか、手はつけられずにいる。岩陰になり日当たりも悪く、小さくなれるから私は彼女か彼らが風で微かにそよぐのをみながら岩に張りつきながら、耳を澄ましている。小さな声をききとろうと。

ある日、エアコンもきかないような図書館の自習室で勉強する学生に紛れて、私も勉強する学生だったじぶんに、官能小説を書いていた。図書館の廊下の窓に差し掛かる木の枝からはリスが飛び乗り、図書館を行ったり来たりしていた。薄暗い古い建物でいつも人がいても図書館だからというわけではなく、静かだった。

もっと小さい頃は母とプラスチックの赤いカゴを持って、絵本などを借りにきていた。

私は勉強もせずに官能小説ばかり書き続けていた。主人公は変態だった。いつもなぜか同棲している年上の女の人の歯ブラシをしゃぶっていた。プロレスごっこと称して子供たちは女の体に触れたがった。

それから私はAV監督になり、ストーリー性のある作品を作ることにこだわった。AVなのに女はほとんど裸にならず、むしろ最後まで裸にならないのではないかというところで裸になったりならなかったりした。ならなかったりしたものだから男はおこって怒って酷評する。主演女優のひとりはやさしい作品を作ってくださりありがとうと引退するときに礼をのべた。彼女がいちばんきれいにみえる作品を撮ろうと思っていた彼女だった。体ではなく彼女ごときれいだと思わせる作品が撮りたかった。AVというジャンルである必要があったのか?とある人は言った。AVでなければならなかったと思うと私は答えたが明確な理由は言えなかった。それはあえて言葉にする必要もないと思っていた。わかりきっているじゃないか。わかりきっていることがわからない人だけがいつも問うている。

彼女はヴェールを纏い(比喩ではない)、教会で天を仰ぎ、日記を綴り讃美歌を歌う日々を半分ドキュメンタリーとして撮った。半分ドキュメンタリーというのは彼女は教会に行かないし讃美歌も歌わないからで、ただ日記は書いていたから。あの年の夏の日差しを彼女とともに収録できたことは私にとっても幸福なことだった。何本も並ぶ彼女の作品の中で脱がなかったのは当たり前のように私の作品だけだった。それをAVとする必要があったのか?と人は問うが、何度も問われるうちに私はまともに答えることはせずにその都度考えるようにわかりませんと言うことにした。

2023/06/18 勉強会記録

2023/06/18 勉強会記録

13時からの予定ということで午前中は子供とショッピングモールのようなところで買い物をしたりドーナツを食べたりして過ごした。赤ちゃん用の籠に乗りたがって、乗せると上の子はもう6歳だから体が入らなかったが下の子は3歳でなんとか乗れた。どっちも乗ろうとするから喧嘩になる。上の子は結局乗れないから諦めたようだった。ドーナツは持ち帰りにするつもりだったようだが、下の子がちゃっかり外の席に座っていて食べる気満々だったからその場でみんなで食べているともう12時を回っていて家に着いた頃には13時になっていた。

未の刻には、遅くとも申の刻にはとメールをして会場へ向かった。

今回から理事長iさんの自宅で開催できることになった。今年の秋口から開業予定のiさんのお宅は二世帯住宅でそのひと棟をクリニックとする予定である。

つい先ごろご家族で転居された。京都駅で伊勢丹に寄ってお祝いを選んでいると、いつのまにか15時を過ぎていた。獺祭とシャンパンとメロンを買った時点でくたびれてしまい、酒のつまみを吟味するゆとりがなくなってしまった。パン屋でフランスパンだけ買っていくことにした。

桃山駅を降りて、東へしばらく歩いて山を登り、南へ下る頃には緑の深い森林に囲まれ空気が少し冷ややかに感じられる。神社を越え、線路を抜けるとiさんのお宅がみえてきた。

インターホンが2つついており、どちらを鳴らしてよいかわからないので黙って鳴らさずに入った。入ると手前の家の網戸越しにiさんたちの姿が透けてみえる。私は網戸を開けて畳のお部屋からお邪魔した。もうだいたい終わりましたよといったことをiさんが言い、薬剤師のuさんが私と会ったら帰ろうと思ってたといい帰っていった。オンコールなのだそう。皆さんお忙しい。

他には学生のaさん、大学で講師などされているsさん、この前あったときは学生さんだったはずのmさん、今は病院勤めのよう。この前大手術を終えたばかりのhさんがいた。

今回の読書会はブッダのことば スッタニパータだった。特別講演はiさんの緩和のお話だった。いずれも遅れてきたのでどんなだったかはわからない。ただ昼からお酒を呑みながら、皆頬を赤らめているところをみると、まだ煩悩を捨て去ってはいないようで安心した。日本酒が美味しくて、呑みすぎてしまう。本の紹介はhさんがされた。アイとアイザワというAIと恋をする漫画だった。アイは超限記憶を持っており、アイザワは人間の不完全性をインストールされたようなAIだった。二人はとんでもないことが起こらないようにフラグを回収していく。だいたいフラグ回収はオイディプスのように、それ自体が運命へと導いていく形で不可避的に進行していく。運命はいつも、過去も未来も丸ごと変わる。もっとドラマティックではない、展開されなかった未来がいつも背後に伏在している。ドラマが起こらない日常を描くことは、ドラマの裏番組を流すことで、それが丸ごとドラマのほうまでを伝える力がある。

iさんの子供たちが2人、3人とぞろぞろと入ってきて、銃で撃たれたり腕を切られたり眠らせられたりしているうちに日は傾いていった。(2023.6.20)

専攻医9

丸太町通にはプロテスタントの寺があって、十字架が曇天の空を指している。

朝はいつも「マリア様助けて下さい」と祈る。朝に限らずいつも祈る。祈るとかろうじて物事が進む。私は病人である。重篤な病人が薬を切らしては体が悪化するように、私は祈りを切らしては滅びてしまう。

中間医から患者のことを尋ねられてもだいたいのことが分からない。6月から来た研修医の先生のほうがよく分かっている。私はあまり優れた医者ではないのだと思う。しかし適当に生きていく。私は全ての誠意を尽くしていることは神がご存知である。

論文の抄読会が来週にある。論文は手元にあるが、まだ読めていないしパワーポイントのスライドもできていない。この週末に片付けることはできるだろうか。

初めて外勤というものに来た。伏見の山にある病院に来た。入院している児らは元気だ。病院といってもいろいろあるのだと感心する。発達に凹凸のある児らが入院しているという。見ているかぎり彼らは普通だ。親しくすれば色々と見えてくるのかもしれない。

私は常に考えることを要求されている気がしている。それはとてもうんざりすることだ。一体なんのために考えるのかが分からなくなるからだ。一体医者はなんのために鎬を削るのか分からなくなる。おおむね患者のためというのは間違いないことだ。しかしそのためと言うには学会、論文抄読、さまざまな事務作業は迂遠に思われる。もちろんそれらは利益のあることだろう。しかしそれらが主な目的にすり替わりかねないほど忙しくしては不幸なことだ。

竹下節子の「聖女伝」を読み、その文章の複雑さに困る。聖女の成したことを単純に知りたいと思っても、竹下節子の批判的学術精神が彼女自身の分析を文章に加えることを逃がさない。私はただそのまま聖女が歩んだ実際を知りたいだけなのだ。その意味では聖人伝として有名な「黄金伝説」も、宗教にありがちな荘厳をあえて取り付けた感じがして苦手だ。私は淡々と聖人たちの歩みが見たいだけなのだ。

学術というのは…正確さを保つために言葉が厳密になり、言葉が厳密になると実際に現れてくる姿は真実から遠ざかる気がする。学術らしい学術をいくら重ねても救われない気がする。もちろん科学は治らない白血病を治るようにしたのだ。そこに自然の軸があれば学術は意味が生じる。自然の内奥には神がある。軸のない学術はただ難しい言葉を並べるだけの無意味である。

乾燥した世界に水が欲しい。神のいない知恵比べをする羅刹の世界にはいられない。

空谷子しるす

専攻医8

肩が重く体が重い。

中間医の先生が5月で去り、研修医の先生が6月の第一週終わりに去った。新たな中間医と研修医の先生が来る。二人は必ず私より優秀だろう。しかし新しい環境に慣れるまでしばらく時間はかかる。その間なんとか病棟を維持するようにできることはしないとならぬ。

しかしどの道それはいつもと変わらないことだ。やれることしか私にはできない。

170cm、70kg超える体格のよい児に一度で腰椎穿刺を成功し、無事に髄中ができた。以前L4-5では中間医もうまく穿刺できなかった人だ。化学療法のステロイドの影響で、筋肉質な体の上に脂肪がやや厚く、鎮静しながら巨体を支えるのも困難な児だ。うまくいったのはとても嬉しかった。

空が明るい。初夏の紫外線は真夏より強いと言う。

世の中ではさまざまな事件が起こっているようだったが私には一分の余裕もなく、私の力の全てはいよいよ病棟に向けられている。それでもなお細かな失敗は後を絶たず、しかし全てを「うまくやる」ことは私には不可能だ。

彼女の祖父母に会いに奈良に行かねばならぬ。気は重い。陽気な人々だと聞く。陽気な人々から私は憎まれることが多い。

医師という仕事は人の病気があって初めて成り立つ。それが切迫していれば医師は休む訳にいかなくなる。仕事の量が多くても少なくても困る。表面的には医師は人の不幸で暮らす人間と言える。人がよく生きるためには医療以外も必要である。私がよく生きていくためにもあるいは医療以外が必要である。しかし卑劣な商売は私はする能力がないから、私が生きていくには必死に医療をする以外のことはいまだ思いつかない。

祈りは常に重要である。天津神と国津神はどのようであったろうか。明らかに天津神は大陸の人間信仰や道教の雑多な蕃神と性格を異にする。人間信仰と自然信仰、一神教的なgodの性格を兼ねた神道はなにかの普遍性を有しているように思われるが、日本の土地を離れて成立するものかは分からない。

空谷子しるす

じゃあ、死んでもいいの?

車の助手席を取り合う子供達
今は妹が助手席に座り込んでいる

兄:そこはダメだよ、警察にみつかったらたいほされるよ
妹:ダメなの!
兄:じゃあ、死んでもいいの?
妹:しんだらだーめな-の!
兄:じゃあ、警察に見つかってもいいの?
妹:だーめ
兄:ゆびきりげんまんはりせんぼん、ウソついたらはりせんぼんの-ます♪
妹:なにゆーてんえん!

兄は4歳で妹は2歳1ヶ月
2歳で死について理解しているか不明だが、少なくともツッコミはできるらしい。
我が家唯一の教育目標、3歳にしてツッコむ、をすでに達成している。
もはや教えるべきことはなにもない。