宇佐

宇佐八幡宮は国東半島の付け根にある。神武の帝にゆかりがあり、もともとは宗像三女神が御許山に降臨したのが始まりともいい、八幡神が大神比義の前に顕われた土地である。

大きな参道沿いに「ねぎ焼き」を売っていた。

「ねぎ焼きですよ。どうですか」と中年の女性が呼び込む。彼女ひとりで店を回している。

ねぎ焼きを食べながら宇佐とはどういう土地なのだろうとぼんやり考えた。

参拝は叶った。

八幡宮の広大な神域を後にして私は駅に向かって歩き始めた。

はるかに山々が聳える。かつては内陸深くまで海岸線があり、今に田畑に見えるところは恐らく全て海であったろう。

私は歩いた。台風が近づいているらしかったが雨も降らず、雲はむしろ次第に薄くなるようだった。

青い山を見ながら歩いていくと生きている気分になる。

世は揺れ動くようだが本当のところは動かない。

頭で考えるより(正しいことにあっては)素直に思ったほうが良いように思われた。

八幡神は不思議である。

空谷子しるす

鉄輪

鉄輪温泉と言うのは別府八湯の一にしていわゆる湯けむりの街として有名である。

貞観九年(西暦867年)に別府の高峰鶴見山爆裂せり。おそらくその噴火は辺りの野を焼き、火砕流、噴煙の類いが麓を焼きかつ埋めたのだろうと思われる。その惨状を治めたのが火男火賣神社の神だ。

由緒にいわく

「大音響とともに無数の岩石を吹き上げ、溶岩が流出して河川をなした。鳴動は三日間続き、人々は神の怒りであると恐れたが、これを止めたのが当社で読み上げたとされる『大般若経』であった。(中略)大般若経は九人の山伏に命じ三日間読み続けられたとされている。そしてこの時に出来たのが別府温泉であり、その守護神としても崇められている」(加藤兼司宮司「火男火賣神社由緒」)

この鶴見山の大爆発以後別府は今に至るまで人々の業苦を緩和している。噴火を鎮めた功績を讃えて火男火賣神社は延喜式の式内社に列せられている。大分県には式内社は6社しかないから朝廷からの認識の重さは並々ではない。さすが別府温泉だ。

台風が電車を止めたので別府に一日いることにした。

地獄めぐりをやってみようと思って鉄輪の方にバスで来たのだ。

鉄輪の近くに火男火賣神社が坐す。台風の強風が境内のイチイガシを大きく揺さぶる。空も海も青い。

私はなんだか湯に浸かってめしが食べたくなった。

「焼酎にかぼすを入れるとおいしいですよ」

と定食屋の女将が教えてくれた。

言う通りにするとたしかに爽やかでうまかった。

めしを食い、湯に入り、鉄輪の温泉街を歩くといろいろなことがぼんやりするようだった。

どうせ病院に戻ればまたはっきりしたことがたくさん出てくる。今はむしろ積極的にぼんやりしたい。

空谷子しるす

麻酔科

当院の麻酔科もまた破格に優しい。

質問攻めも無ければ侮辱の言葉も無い。その上で部長先生は私の研修が順調だと言う。私は矛盾に頭を悩ませる。不勉強なのはどの科でも同じだ。聞かれたことはほとんど全て知らない。なのにある科のある医師からは侮辱され、別の科の医師からは褒められる。

人間はいいかげんなものだ。

私は叱られたく無い。気分が滅入るからだ。叱られた方が勉強になると言う人がいる。本当に駄目な奴は叱られないから、叱られる内が花というのだ。しかし嫌なものは嫌だ。できるなら平穏に話をして欲しい。

青やかな稲穂は次第に早稲から始まる順に黄色に変わってきている。近江の田は収穫に向けて時間を刻んでいる。

私は相変わらずできる限りには懸命にやっている。アンプルを切り、バイアルから薬液を吸うのが多少うまくなった。挿管も筋弛緩がきまっているから割合に入るようだ。しかしこれを私の実力と言うわけにはいかない。麻酔のことは何もわからぬ。わかるということはない。2年目の医師にわかるほどしょうもない事柄が医業のはずがない。救急を恐れぬ優秀な研修医がいる。彼らは頭がどうかしている。私は自然が恐ろしくて仕方がない。2年しかやらないのに全てが分かるというのは絶望的な誤謬だ。

週頭に夏休みをもらえた。

病棟に患者がいないのだから今取っておきなさいと言うのだ。

病棟に患者がいると盆も暮れも休めないのでは医者は極めて不健全な職業だ。

しかし休んでパァッと遊びに行くというのも私には分からない。

学生時代は金と時間がなかったから遊ぶ間はなかった。賢い研修医たちは東北一周をしたり北アルプスにこもったり男と遊び回ったりしている。そんな遊び方は私は知らない。

結局どこかに祈りに行くことにした。遠くの中々行けぬところへ。それは江戸時代の伊勢参りをする町人と同じ精神性なのかと一瞬疑ったが、彼らは私よりよほど「参詣以外の付随物」が主目的であったろう。私は参詣に行くために行く。そのためにいささか銭湯に浸かるくらいの楽しみは許されようと思っている。

空谷子しるす

精神科3

精神科はつくづく厭なところだ。患者の方々の話を聞くときの疲労感がすごい。しかも私は技術も知識も無く、勉強する気力も無く、ただ今この時を体験してなにがしかでも残ればそれでいいと思っている。それ以上に気張るのは私には不可能だ。自身の心身の容量では不可能だ。

私がいなくても病棟は続いていく。今日明るい彼らが明日は不機嫌になったり暴れたりめしを食わなくなったりする。自然と同じだが医療者はそうも言ってはおれず対応を迫られる。私は幸いだったのは指導医はガチガチの理論派ではなく、矛盾を知る人間だったことだ。人にはそれぞれいいところがある。そのいいところを見ていきたい。指導医は良い意味でよいかげんだったので私はこそこそ逃げ回るを得、結果的に生き延びた。

人間は善人であり悪人であるを地で行くのが精神科だったように思う。それは人間の自然だが、彼らはさまざまな理由でわがままなのでそれが余計顕著に見える。

ものごとが移りゆく。

エビデンスを重視する先生がいて、「私は不安だから勉強する」と言った。なにかしていないと不安で勉強するのだそうだ。

幼少のころおそらくASDであり、親から注意されることが多かった。学校では周囲から浮いて、「勝たねばならない」と思って勉強に打ち込んだ。それで医学部に来た。いまでもちゃんと臨床やれていると思わないから勉強を沢山する。

「そうしないとすぐに堕落するよ」と彼は言うのだ。

脳波の指導をしてくれると言ったが、私は脳波を読む努力をする体力が尽きていた。

「そんなものだよ。とりまぎれて読めないことはよくある。しかし医者はそうしてすぐダメになるから気をつけなさい」

天地神明にかけて私は私にできる最善は私なりに尽くしている。

「自分なりのやり方」ではなく優秀な人のやり方をまねろとひろゆき氏が動画で言っていた。でもできんものはできんから仕方がない。

私が祈らなければ到底前に進むことも生きることもできんのはそれだ。人のまねもできぬ、自力も乏しいとあれば祈るしかない。

それが正解かどうかは私が死んだ後に誰かが判断してくれたらいい。

空谷子しるす

椿

ああもう嫌だなあめんどくさいなあと精神科病院の控え室でひたすらサボり、スマホの動画やら坂口博信の新作ゲームfantasianばかりやっているのは自己嫌悪に陥るが潰れて死ぬよりマシだと開き直っている。

病棟の患者はめしを食べるようになったが別の患者に肝障害が出た。黄疸もないし腹部症状もない。薬剤性を疑う。患者の飲んでいる薬を調べる必要がある。しかし自分が必死こいて調べんでも指導医の方が自分より遥かに知識も技術もあるから、自分が切迫して調べんでも患者の安危に関わらんから適当にやってやれと思う。

私はバカにされても仕方ない生き方をしているがバカにされると腹を立てる。

椿大神社と書いて「つばきおおかみやしろ」と申すのは伊勢国一宮の古社である。松下幸之助や岸信介の崇敬も厚かった。そのうんぬんは別にして猿田彦大神の総本社であり、倭姫命が伊勢の神宮を建てたのと同じ時にこの社の創建にも関わったと聞く。詳しくはよく知らん。なにしろ鈴鹿の山中には磐座が散在していて、いつから信仰の土地だったのか誰も知る者がいないのだ。猿田彦大神とは何者だったのかは誰もわからない。もし明らかにしたければ日本のあちこちを掘り返して古いものを見つけるしかあるまい。

椿の炭は製鉄に用いたという。どうも若狭のほうにも椿という地名があって製鉄に関わる。鈴鹿というのもスズというのは金属のことを指すという見方もあるらしい。も少し北の員弁の方に行けば多度大社という古社があり、ここは製鉄の神様を祀る。鈴鹿というのは大昔は製鉄をやっていてだいぶ勢力があったのかもしれない。

椿大神社の境内には奥さんの天鈿女命を祀る椿岸神社があり。きれいでかわいらしい丹塗りの社だ。夫婦和合というのは一つの神秘だ。他人が家族になるのはとても不思議のことで、だからキリスト教でも結婚の秘蹟と言うのだろう。

精神科の外来には全般性不安障害になった妻を甘やかす夫とその家族、仕事に行くと嘘ばかりついて適当にバックれた上にトレカやソシャゲに浪費癖のある夫、仕事でいじめられて弱った彼女をヤバいヤバいと盛り上げていく彼氏、さまざまな男女が来る。

三界の火宅だ。世の中は一切がめんどうくさい。外来もめんどうくさければ病棟もめんどうくさい。病棟の患者たちはいろいろな人がいるがたしかに基本的にはわがままで、彼らの話を聞いて私が心を悩ますのは下らなく思える。

なんでもいいが一番の問題は私が楽しくないことだ。大乗にせよ小乗にせよ仏教的には他人に構うのが間違いの元なのだ。自分のことだけ考えておればよいのだ。自分が楽しければなんでもいいのだ。他人にちょっかい出すのは無駄だからだ。

しかし人は人に左右される。釈迦の理屈はわかるけど目の前に他人がいたら心が動かされる。それが困るから修行でもなんでもして不動心を養おうというのだ。そんなバカな話があるか。世の中に不動心なんかあるものか。そんなものは神様しか持っていない。私はバカなりにズルく生きるしかないのだ。

椿大神社はいいお宮だった。私もやっかいなことから離れて神仙の世界に生きたい。しかし他人に罵倒されながら自分のバカさに死ぬまでのたうち回るのが私なのだから、それなりに生きて最後激烈に苦しみ抜いた挙句に死ぬ。そうしたらもしかしたらなにがしか報われるかもしれん。

空谷子しるす

多賀

多賀大社は近江にあって伊奘諾命を祀る古社である。古事記に「伊耶那岐大神は、淡海の多賀に坐す」とあり、少なくとも古事記の頃から伊奘諾命をお祀りしている。

朝から着古したスクラブを洗濯に出しに病院に行くと循環器内科医とすれ違う。会釈すると彼もわずかに会釈し目を反らす。

医局秘書の女性は看護師と話している。私は以前自分はなぜモテないのかと秘書の女性に問い詰めたのですっかり嫌われてしまった。しかしどうしようもない時は周りにぶちまけるしかない。自分が潰れて死ぬよりましだ。

スクラブを洗濯かごに放り込むと妙にお多賀さんにお参りしたくなった。天気予報は雨だったのに空は徐々に晴れてきていた。もともと昨日は椿大神社が気にかかっていたが片道一時間半もかかるから無理だと思っていた。日頃からお世話になっているお多賀さんにお参りするのはとても適切に思えてきた。

多賀というのは不思議な土地である。

近隣の深い山の中に三本杉なる霊木あり、上古の昔伊奘諾命伊邪那美命の二柱はこの杉に降臨給いたのが多賀の宮の始まりという。多賀の山の中は深い。惟喬親王の都より逃げ給い、この多賀の山中に隠れ杣人に仏具を模した木椀をろくろもて作ったるが日本の木工のはじめだ。木地師というのは所謂木工職人のことで実に日本中の木地師は多賀山中の木地師の本拠地から印可をもらわねば商売する能わずと。大君が畑という地名は実に惟喬親王を讃えた地名ならん。なお政所とあるも惟喬親王のゆかりならん。政所に惟喬親王の墳墓あり。さらには政所は日本最古級の茶の木あり。樹齢三百年を数え、その味きわめて素朴ながら不可思議に複雑なり。政所茶は大津の中川誠盛堂にて販売せらる。

さて多賀三社参りとていつの頃から人の言うならん、多賀胡宮大瀧の三社もて三社参りと申すはいかにも滋賀県の観光誘致の方便なるべしと思い定めつれどもこれまた稀有なるご神縁の機会なれば本日いかにも晴天にて風涼しく、青竜山が私を誘うようだ。

胡宮神社は伊奘諾命伊邪那美命二柱をお祀りする古社にて創建の由緒不明ながら上古の昔より崇敬せらるるお宮なり。かの東大寺を勧進したる重源もまたこの胡宮神社にありし敏満寺に合力の依頼を書状にしたためてあり。青竜山背後にあり。標高三百三十三米なり。これ昔は神体山、すなわち山自体が御神体であったことと思う。その証拠に山頂には磐座と小さな池あり。この池かつてはこの磐座参拝の前に身を清めるのに用いられたと伝わる。この池のあるによって龍神の山に住まいたることが連想されたことから青竜山の名が付いたかと思う。磐座は社殿を必要とする以前の信仰のなごりだ。岩に神様が降りてくるという信仰だったかと思う。山の中の巌にて神様をおろがみ祀った。山そのものが聖地のなり、ふもとから山を拝むこととなったのが神体山の信仰と私は理解している。胡宮の信仰は大変古いことがわかる。また麓には石仏谷と申して古くは十二世紀ほどの時代からのあまたの石仏、あまたの墳墓あり。今なお発掘調査せらる。敏満寺は天台宗の大寺にてもともとの創建は飛鳥時代の敏達帝の御代になされた。以後拡大続け城郭を擁するようになったが十六世紀織田信長に焼討にせられて寺院ことごとく灰燼に帰す。焼け残った礎石のたぐいを古井戸に投げ込まれたのが、平成のいつごろかに掘り出して胡宮神社の境内に積み上げてあり。これを焼石の塚と申す。胡宮神社は多賀大社と同じ御祭神にて延命長寿の霊験あらたかなりとぞ。

さて多賀三社参りの最後は犬上川上流に御鎮座せらるる大瀧神社にて、きびしい巌を縫うような清流の傍らに坐すお宮なり。

これは犬上氏の祖先稲依別命にゆかりあり。御祭神は高龗神、闇龗神にて京都貴船の貴船神社と同じ御祭神にして水の神様なり。これは川の上流、水源地だからこうした神様をお祀りするのだと思い、「水の神」だったから後の世に水の神様である高龗神闇龗神を祀るとしたのだろうと思う。犬上氏は今の豊郷町に犬上神社あり、これは犬上氏の祖神稲依別命をお祀りする。なお稲依別命は日本武尊の王子なり。日本武尊は瀬田川の建部大社に祀られてあり。近江に日本武尊の足跡多い。そういえば伊奘諾命は琵琶湖を渡って大津の三尾神社に至った。長等山を目指して淡海を渡った。これは多賀の地から淡海を渡ったものか。近江には伊奘諾命の足跡も多い。三尾神社は全国に珍しい「兎」を神使とする宮である。

さて話を大瀧の宮に戻そう。

稲依別命、犬上の土地に至ってこの地を治めんとしたとき悪しき大蛇が犬上川に住まうと聞いた。これを討つため愛犬小石丸と共に探索に出たが中々大蛇見つからず。七日七夜過ぎて稲依別命疲れたものか寝入っていたら小石丸盛んに吠え始めて止むことがない。怒った稲依別命一刀抜き払って小石丸の首切り落としたら首は地に落ちずして飛んで薮の中に入り、薮に潜み居た大蛇が首に噛みついてこれを絶命せしむ。小石丸は主人を守るため盛んに吠えたのだ。稲依別命は愛犬の忠義に感じ、またその命失ったを悲しみ、愛犬をこの地に弔い松の木を植えた。これ犬胴松という。いつの世に枯れたか知らぬが大瀧神社道路挟んだ向かいに犬胴松の木の乾いたものが今でも祀られてあり。小石丸の首は大瀧神社の脇、巌を縫う急流を覗くような場所に祀られてあり。

さてさらに適当なことを書けば、敏満寺焼討の際に不動明王を救出したのは佐々木隼人庄宰相と申す者にて、今の世に至るまで不動明王を清涼山不動院とて敏満寺の集落内に守り伝えている。あまり調べていないがこの隼人庄と言うからには昔この地には薩摩隼人が移住したものか。たしか奈良時代に国策として隼人をあちこちに移住させたことありと開聞岳ふもとの資料館で見た記憶あり、その一例といえば山城は田辺の棚倉彦神社の隼人舞を見よ。舞に用いる盾には隼人の用いる赤い渦巻き模様が今も描かれている。

さらには近隣に楢崎古墳あり。横穴式石室。古墳の様式はよく知らんが渡来系の影響ありと言われていて、考古学に知識とぼしく不勉強だからこれ以上はわからん。

日本史では所謂遣隋使に犬上御田鍬が行ったのは有名な話だ。それは小野妹子もまた渡来系氏族の出にして派遣された(近江は大津の小野に小野神社あり。小野氏は実に日本に最初に「おもち」を持ち込んだ大偉人が先祖だ。なお「おまんじゅう」を日本に最初に持ち込んだのは大和奈良、高天の交差点近くに坐す漢国神社、その境内にある林神社に祀られている人だ)のと同じで、犬上氏も渡来系氏族かあるいは渡来の文化に詳しい氏族だったのであろう。

さても多賀、犬上、豊郷の地は面白い土地よ。歴史は深く複雑である。

よし、人から蔑まれることあったとしてそれが渡来、薩摩隼人の故に古代疎まれたならば、そのよし今は蔑むにあたらず。蔑まれることは別に近代江戸幕府のフィクションではなく古代よりのことだが、古代に遡ってその理由蔑むにあたらぬことを弁えるのが大切と私は思う。思うのだがこれはいかにも浅学の私が断言すべきことではない。

精神科の指導医に乞われるままに豊郷、犬上の自分の知っていること話したら喜ばれ、

「今からでもその道に行ったらどう」

と言われたのは医師が向いてないと言うより古代を話す私が楽しげだったからであろう。

実に文学部、古代史の研究で生き残るほどの卓越した実力は我に無い。無いが、医師として、またご神縁にて、こういう日本の神々のことは実は世界中の万国民に有用な気が私はするからできる範囲にて考えたい。神様が与えて下さるなら至るだろう。

多賀三社参りはよいお参りだ。

空谷子しるす

精神科2

患者の女性がまた飯を食べられなくなった。

彼女はまだとても若いが、小さいころから父親との関係に苦心した人だ。父親は教育水準の高い人で、繊細でしかも体格のよい男性だ。

どうも「ちゃんとしなければいけない」という観念が彼女を小さいころから苛んでいたように私には思われる。父親は弱いところがあり、「ちゃんとした」状況から逸脱するような彼女を打擲した。彼女は音声言語を発せなくなり、自傷、自殺企図が発生し、彼女が言うには複数の人格が彼女内に出現した。

彼女は東田直樹さんが自分に似ていると言うのだ。

難しい文章は書けるが文章を読んで理解することが困難である。知的な障害があるとみなされるが算出されたIQに見合わぬ情報を取り入れたり発信したりできる。東田直樹さんも自身の使用する語彙が豊富なことから周囲による文章の捏造を疑われることもあるようだ。彼女もまた、複雑な文章を読めるのに何故言葉が理解できないふりをするのか?不動産屋とメールでやり取りするのに慣用句も漢字も使うのになぜ普段ひらがなの曖昧な書き言葉を使うのか?本当は自らの症状を偽るところがあるのではないかと時に疑われる。真実は正直なところ私には分からない。しかし彼女が自分はこうした人間だと思うのなら私はそれでよいと思う。彼女は「そうした人間」なだけなのだ。あとは彼女が苦しみ過ぎぬ程度に世の中と折り合いがつけばよかろうと思う。

彼女はしばしば尿閉になるかと思えば、失禁してしまう時期もあった。自らの意識か無意識か、下部尿路は意のままにならぬようである。そうして精神的な負荷がかかると心窩部痛が出現する。ネキシウムやレバミピドを指導医が用いても奏効せず。ブスコパンもあまり効かない。一、二週間ほどすると収まる。EEGにも著明な所見はなくバイタルの変動もない。

この間から彼女は外出訓練をするようになった。しかしそのことが彼女を不安にしたようだ。外出自体も彼女に負荷を与えたが、さらには一人暮らしやグループホーム暮らしのことを考え、彼女はどうも自らの容量を超えた重責を得たようだ。再び心窩部痛を訴え、呼びかけても反応しない。

私は指導医に頼り、自らの遅鈍な頭脳で勉強を進める他にない。

看護師をはじめとした周囲が私を軽蔑している気すらしてくる。

「おいっ貴様医者なんだから患者を救わねばならんぞ。それができんオツムと体力しかないならば直ちに医者をやめよ」

かかることを言う内科医は多い。これは真実である。

しかしながら真実は正しからず。私は神にのっとって進む。

基本的に神様の言うことしか聞かぬ。

空谷子しるす

精神科1

「あの先生はエビデンスに基づいていない。注意したほうがいい」

ある医師が私の指導医について警告を発した。

私はと言えば、教科書やガイドラインをよく読まないので当該医師が標準治療から逸脱しているかはわからなかった。指導医のうけもつ患者の半分を担当し、彼らの話を聞いて回るので精一杯である。

しかし患者たちは安定を見せた。

私の研修病院ではどつぼにはまるしかなかったような高齢のアルコール依存患者が生き延びて、立って歩いて帰った。

入院したらどのみちある程度落ち着くものだろうか。外来患者のコントロールも悪くないようだった。

統計をとれば医師たちの「優秀さ」は評価できるものだろうか。エビデンスは有用であるが万能ではないことは全ての医師が認識している。その上で、多くの医師はエビデンスに基づかない治療をする医師のことを憎悪し、知識の浅い研修医を侮蔑する。

「エビデンスというのは医者の勝手で、患者からみたらいい医者というのは全く別だ」

箕面の神父は言った。

「自分が信頼できるかどうかだ」

医療界には「やさしいヤブ医者」という言葉がある。

患者にやさしく、信頼されるが、医学が疎漏なので患者を死なせるというのだ。

こうした医師がただのヤブ医者よりもはるかに有害だとされ、平凡な医師たちは日頃己の命を削ってエビデンスを追究する。医学は無限に更新され、常に「お前の治療はエビデンスにもとる」と陰に日向に侮蔑される恐怖と戦わなければならない。

少し話がそれる。

こうした状況下で「頭の悪い奴は医者をやめろ」という言説が現場で飛び交う。無能な人間は有害だと言うわけだ。そこには互いに補い合うといった発想はない。体育会系部活動に表れるような、日本の学校教育における実力至上主義を背景とした無能を排除する構造を私は疑う。それはとても合理的に見えて人間を使い潰す思考である。組織はむしろ脆弱になり、慢性的な人員不足から優秀な人間までも破滅していくことを私は予想する。

話を戻す。

優しいヤブ医者という現象は本当に出現し得るのだろうか。

箕面の神父によればそれは嘘だと言う。

それはそうだ、患者も馬鹿ではないから、おのれに真摯に向き合う医師かどうかは分かる。真摯な医師であれば、真摯さ故に完璧でなくとも最善の治療を彼ないし彼女の力の範囲内で行うはずだ。結果的に現代の標準治療を「すべての点において」遂行することができずとも、患者は不平であろうか。

むしろ知識で武装した上で高慢かつ冷徹な態度を取る医師を患者は納得するだろうか。

私の兄は刑事だ。ある人が死亡し、死体検案書を要することは多い。三次救急病院にかかりつけであった場合、そこの医師はしばしば死体検案書を拒否する。「警察はなにもわかっていない」「私は今忙しいんですがね」彼らの苛烈な職場環境は彼らを残忍な人間にしていく。彼らが愚かだと思う人間たちを見下し、人の死を軽侮し、自らが修羅道を往くことのみに誇りと生き甲斐を感じる。

やむを得ないことだ。理知、合理の修羅道におかれた人間がしだいに修羅に変ずるのは当人の責任ではない。本居宣長は古事記伝の中で理知、合理の精神を「からごころ」と呼び批判した。細かくは覚えていないが、実用性がなく硬直的で戦闘的という欠点があるということだったように思う。実用性の無さについてはどうだかはわからない。西洋科学の理知、合理は患者たちの疾患に一定の有用性があるからだ。しかし理知、合理の追究は人をだんだん戦闘的にする。医療はおのずから人間と向き合う領域である。人間の不合理性も認識せねばならない。理知のみの修羅に果たして人間が診られるだろうか。理知のみの修羅に診てほしくないから「共感と傾聴」などという言葉が昨今の医学教育に頻繁に出現するのではないか。患者も馬鹿ではない。理知の修羅の形式的な共感と傾聴は無価値であることを見抜いている。

しかしながらエビデンスというものの有用さも大切なことは論を俟たない。

できる範囲で私もやろうと思う。

できる範囲でだ。

空谷子しるす

角鹿

角鹿と書いて「つぬが」と読む。つぬがというのは敦賀の古名であって、昔当地に渡った新羅の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)にちなんでいる。

人の世は不穏に満ちておった。先の首相が射殺されたり、日本国内の給料が上がらなかったり、露国の独裁者と烏国が戦争したりしていた。病棟では患者が不穏になり、扉を乱打する音が響いていた。

私は気比神宮に行くつもりになった。

とてもよく晴れているから気比神宮に行くのだ。

ラジオは藤井風の「まつり」を流していた。祭りは神様がいなければ塩味の無い塩のようなものだ。神様と人々が楽しむのが祭りである。

敦賀の気比神宮は神宮の名を持つ通り立派なお宮である。清々しい風が吹き抜けて邪な思いは流れていく。都怒我阿羅斯等を祀る角鹿神社は気比神宮の摂社である。隣には子どもを守護する兒宮があり、静かに鎮座ましましている。

昨日は重症心身障害児の在宅訪問診療を見学した。

人は人を見ると間違える。

夜、鹿児島の桜島が噴火した。

世は乱れ、さまざまに入れ替わる。御代替わりとはそうしたものであろう。人間はいい加減なものだ。今の世に褒められる人間に英雄の例しは少なく、全てはただ夢中の中に行われて先の世で検められる。

人間を見ない方が良い。夜の闇に目を凝らす。

空谷子しるす

晴れている

このところ雨が続いたがそれが一段落して晴れている。

精神科のために外病院に出ねばならない。毎日そちらに行く。毎日病棟をぷらぷらして気のないカルテを書く。気のない割には気を遣っているから、毎日妙に疲れる。

精神科とは奇妙なところだ。患者たちはたしかに普通でないようだが、冷静に考えたら別に大して変わらない人間である。誰だって気に入らない時は殴りたくなる。パンツを脱ぎ散らかしたり、訳がわからなくなって小便をそこらにする。「そんなことはしない!」と言える人はよほど幸せな頭をしている。前後不覚になって、あたかも異邦人が太陽の光のために殺人を犯したように、赤と黒の中で青年が殺人を犯したように、そうした人間の混乱をつゆしらず、親の金でのうのうと暮らしてきたのだろう。そうした人たちは叩き起こされて寝ぼけたことすらないようだ。人間存在に絶対の自信がある、幸せな自力信仰の自由主義者だ。

ストレスがかかると性的な欲求が出る。人間には常のことであるが、自慰をするといかにも情けなく、自らが下等な人間に思われる。不細工な顔がますます不細工に、矮小な体躯はますます貧弱になる気がする。しかし身を焼く情欲はどうしようもない。一年目の研修医に風俗に詳しい男がいる。彼に今度神戸の福原を案内してもらう予定だ。ナポレオンが金を払って童貞を捨てたような哲学的な体験ができるとは思わぬ。なにしろ私の陰茎はここぞのときに勃たない可能性が高いのだ。ああ私は実に世間に無用な男だよ。みんな私をどうか憐れんでください。しかし侮辱せずに一人の人間として認めてください。私はなんの能力もないが、侮辱されることが宇宙で一番嫌いなのです。

私に寄る女性はみな年上か、器量も教養もない女性ばかりだ。そのたびに私は絶望する。私はとんでもない女に支配されるか、あるいは38から45歳の女性と結婚して子を諦めねばならぬ。誰もが私をたしなめる…私は身の程知らずにも子どもを持ちたいと願い、平穏な家庭を望んでいるからだ。私に年上の女性を薦める人たちは悪気なく私の本質を見抜いている。私に家庭を持つ価値は無いと言うのだ。聖パウロ、あなたは独身でいるならその方がよいと仰ったが、望まないで独身でいさせられる苦しみは大きいものがある。全ては私が愚かにも年齢や顔、教養、考え方があうかどうかで女を選別するのが悪いのだ。私がつまらない人間というのはそれだ。私はまともに女と付き合えたことがない。女に相手にされない男になんの価値があるのか。

精神科の病院は犬上の土地にある。犬上の土地は渡来の人々の匂いがする。安食の神社は百済氏の作庭の日本最古級の庭がある。天稚彦を祀る宮があるのは、彼は高天原に弓引いた男だから、とても珍しいことだ。犬上の土地は明るいだけの歴史ではなかったようだ。しかし諸々の罪穢れはとどまらず、生まれては流れゆく。

私はなんのために生きているのだ。天津神、国津神、どうか私に生きがいを与えてください。私によい医業とよい妻とをお与えください。

しかし医業はともかく、妻は「もの」ではないのだから、私のような醜い外道のもとへ来ることは永劫あり得ない。

空谷子しるす