覚書1

覚書1
 足の裏に忘れるなと書かれているマジックの文字をシャワーで洗い落としながら、忘れてしまったことを思い出そうとしていた。必死ではない、というのも私はその頃には忘れたことも忘れているのだから。左足を洗い、右足を洗い、左足を洗い、右足を洗い、左足を洗い、左足を洗い、左足を洗い、右足を洗い、右足を洗い、左足を洗い、左足を洗ったかもしれない。そしてまた左足を洗い、左足を洗い、右足を洗い、右足を洗い、右足を洗い、右足を洗ったかもしれない。 

 私は仕事の一つを思い出した気がして外へ出た。「どうして靴を履いてないの」と問う子供がおり、私はまた靴を探しにいくはめになった。 

 十分くらいだったか、二時間くらいだったか、車窓から田園風景が続いた。電車の子供がどうして靴を履いていないのかと問うた。どうせまた忘れたのだろう。私は彼に微笑みかけ、忘れてしまったんだと答えただろうか、それとも失くしたんだと答えただろうか、だから探しにいくのだと。 

 車窓には黒いスーツを着た男ののっぺりとした顔が映し出されていた。ネクタイはしていない。シャツも襟が乱れている。靴は履いていない。髭は生えていただろうか。今は、生えている。私は、と言ってよければ、私は河岸の芝に座り込んで、じゃらじゃらとした水の擦れる音を茫然と聞いていただろう。ある女性は目を見開いて川とは反対方向に電話を掲げて口の端を持ち上げていた。もう一人の女性は長い柄をつけて、より高く電話を持ち上げていた。光が粒となり川面を弾いているようだった。 

 もし仮に、と私は、と言ってよければ、私は、考える。私が会社員であるとすれば、どうだろうか、私はそれなりに優秀な会社員で、会社のために何かしらの成果を上げていた。書類を仕上げたり、会社員達の前で会社のためになるような何かしらのプロジェクトについてプレゼンをしたり、仲のそれなりに良い同僚や上司と米の汁を啜り合ったり、そうしているうちにある人と結婚して、子供が産まれたりした。 

 水面は次第に赤く滲んでいく。遠くで竹林の葉の擦れ合う音がする。私は鞄から書類を取り出し、確認するというより思い出すために、一字一句を読み上げる。企画書の類だろうか。それはこう述べる、夜明けを知るためには、夜を知らねばならないだろうか、そのためにはもう一度夜を知らねばならないだろうか、忘れる前に忘れるために、手を触れる必要があるだろうか、というのもそうでなければ忘れたことを私は思い出したふりさえもできなくなるだろう。第一に、手順を決めることである。もし私が、こう言ってよければ私が、靴下や靴を履き忘れるとすれば、それは特別なことではないのだ、それがあなたにとって初めてだとしてもそれはもう何度繰り返されたことか、私はと言ってよければ、私は、ただ、それを知らないだけであると知ることである。第二に、手順をその都度決めることである。常に決めることである。あなたが仕事を忘れたとしてもそれは大したことではない、もうずっとそうである、あなたはもうずっとそうである。たとえば、金木犀の香りがした、それがあなたの家の玄関に植えられており、借家となった今でもそれはそこにあるだろう。春になれば、青黒い毛虫がつくのだ。子供は気をつけよと祖母の声がするだろう。マニュアル式の軽自動車で君は学校の裏門まで送り届けられる。サッカーボールとサッカーシューズを持って、君は駆けていく。早く終われば良いと思った。運動は楽しいものではない。もちろんいつもではないが、練習の繰り返しは退屈で試合はひどく体を酷使する。 

 ひぐらしの時雨れる山をその子供が親とその兄弟と従兄弟と登っている。傘をさしている。山の喫茶店は薄明かりで照らされ、打ちつける雨音と静かなBGMが流れていただろうか。子供はグラスの水滴をなぞり、照明を反射する氷の表面を話を聞くともなしに聞きながら眺めていた。それは光の粒が彼を眺めているのだった。何度でも繰り返す。彼は何度も忘れている、忘れたことにも気づかずに、世紀の発見をしたと目を輝かしている、それは正しい、彼は確かに発見した、その都度忘れ、その都度新しい発見をした。君が覚えていようがいまいが、どうでもいい。 

 竹林の中には線路が横切っている。君は線路の前に立ち尽くしている。子供が駆けてくる。彼は私の前を通り過ぎてゆき、笑顔で振り返り、また前を向いて全速力で駆けてゆく。